記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

ブラタモリ「高千穂」で紹介されなかった「高千穂が世間に知られる100年前のきっかけ」

2023年01月22日 20時04分15秒 | 吉田初三郎

2022年1月21日夜のブラタモリ「高千穂〜神話の里・高千穂はどうできた?〜」も、とても面白かった♫独特の景観が生まれる地学的な前半と、後半の用水路開発は素晴らしい。

ただし、中盤に八十八箇所巡りと共に少しだけ展開された「なぜ高千穂が世に知られるようになったか?」の下りは構成上の問題かもしれないが、最も重要な部分に全く触れなかったので、個人的には少々残念だった。

高千穂峡が最初に脚光を浴びたのは今から100年前、1923(大正12)年の日豊本線延伸開業と翌1924(大正13)年の皇太子御成婚記念である。高千穂を含む西臼杵郡と宮崎県は、皇室に吉田初三郎筆「高千穂付近之図」絹本一幅を献上。それを台覧した秩父宮殿下が高千穂峡を訪問したことで、メディアを通じて注目を集めたのが最初のきっかけだと思う。

「高千穂付近之図」絹本は宮内省三の丸尚蔵館に収蔵されており、今も昭和天皇絡みの展示の際にお披露目されることもある。高千穂は天孫降臨の地として、全国に知られることとなった。

1924(大正13)年には、延岡市と立野(熊本県)を結ぶ高千穂自動車が「高千穂峡遊覧」自動車を開始。別府観光の祖・油屋熊八と吉田初三郎も遊覧自動車の立ち上げに関わっている。

熊八と初三郎は、高千穂峡の遊覧自動車ルートを開発する過程で、ポイントとなる景勝地に「初熊景」などオリジナルの名称まで付けて宣伝をしたが、残念ながら交通僻地である高千穂の観光ルート開発は時期尚早で大失敗だったようだ。

その反省を経て、熊八は湯の町・別府を起点とした「別府遊覧」「耶馬溪遊覧」「久住遊覧」などの遊覧自動車を次々に立ち上げ、日本初のバスガイドも誕生。由布院温泉の開発(亀の井別荘)や九酔峡&久住飯田高原の開発(亀の井久住テント村)と道路整備は自費で行い、初三郎は熊八の観光アドバイザー役として景勝地やルート開発を含めて、宣伝広告を担った。

その後、毎日新聞や鉄道省が1927(昭和2)年に行った「日本新八景」投票で高千穂峡は惨敗。さらに1934(昭和9)年から始まる国立公園の選定にも漏れた。初三郎は高千穂峡の素晴らしさを伝えるため、1931(昭和6)年6月には福岡日日新聞(西日本新聞の前身)で「国立公園として九州の価値」と題した21回連載を執筆し、高千穂峡を含む九州の魅力を分析解説している。この年は陸軍特別大演習が熊本・鹿児島両県で開催され、九州に全国メディアの注目が集まった。

ちなみに1934(昭和9)年の「国立公園」最初の選定地3ヶ所は、いずれも吉田初三郎が宣伝アドバイザー役を務め鳥瞰図作品を描いた「瀬戸内海」「霧島」「雲仙」である。

戦前、幾度も挫折を味わった経験が、ブラタモリで紹介された「戦後に地域住民総出の観光地投票運動」へと繋がる。僻地ゆえ失敗続きだった交通網の整備とメディア戦略がようやく身を結んだのが1949(昭和24)年の昭和天皇九州巡行の頃…。ただし、この時も高千穂はルートに含まれていない。

今回の放送では、皇室絡みにあえて触れる時間も必要もなかったのだろうが、時代背景としてはこのあたりを知っていると、余計に高千穂エリア活性化の苦難の道のりが違う見え方になって面白いと思う。

ちなみにその後、宮崎県は宮崎交通などが仕掛けて1960年代に「新婚旅行・修学旅行」を中心とした観光地のメッカとなる。しかし、高千穂・延岡など大分鉄道管理局管内にあたる県北エリアはルートから外れていた。一般的な団体観光の多くは、県南エリアを中心とした観光ルート開発で、西日本鉄道を含む九州の交通事業者が開発した「九州一周の旅」コースなどからも外されることが多かった。

宮崎空港の民間航空指定は1961年、国鉄高千穂線の高千穂延伸も1972年だ。吉田初三郎は戦後も「宮崎市鳥瞰図(1950)」「都城市鳥瞰図(1951)」「日向市鳥瞰図(1953)」「延岡市鳥瞰図(1953)」などを依頼を受けて描き、観光景勝地には初三郎作の観光案内板も登場するなど、宮崎県との関係は深かった。初三郎没後の1960年代にも二代目(吉田朝太郎)が「小林市」「宮崎市」などを描いていて、その全てに絹本肉筆画が遺っていることも記す。

 

天神の過去と今をつなぐ(西日本新聞meの連載)

・にしてつWebミュージアム(企画構成を担当)

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