記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

チンチン電車と西鉄ライオンズの想い出を探す・北九州編

2008年06月18日 02時30分46秒 | まちづくり
 16日、往時の西鉄ライオンズのことを、近しい位置にいた方々から聴き
取りをしようと思い、知人に紹介いただいて久保田運動具店の江頭氏を尋ね
た。国産グラブ等をプロの選手はじめ野球界へ広めたその世界では超有名人
である。西鉄ライオンズも昭和26年から営業担当となって福岡に縁が出来、
以来ずっと野球界を職人の立場で支えてきた。

 国産野球用品の普及に燃え、営業担当として西鉄に接してきたとはいえ、
選手個々との接触、島原キャンプ帯同など、まさに近しい位置でライオンズ
の栄枯盛衰を見てきた生き証人。2時間30分ほどお時間をいただき、様々
なお話を聴くことができた。紹介してくれたM氏、いつも的確な相談相手と
なってくれるカメラマンの遠江氏に感謝!

 17日、ゼンリン地図の資料館での次回企画展(にしてつ共催の記念展)
打合せ後、次の移動に少し時間がありお昼時になったので、黄金町市場へ
出向いた。昭和レトロを今も体感できる、大好きな商店街である。戦前から
続く食堂で焼きうどんを食べながら、お店のおばあちゃん達に昔の話しを聴
く。メニューは昭和20年代後半から変わっていないとのこと。金額の部分
だけ書き直した跡がある。昭和30年頃は焼きうどん80円くらい、今は5
00円だ。

 北方線のチンチン電車があった頃、電車に乗って井筒屋へ出掛けるのが
若い頃の市場界隈の女性の楽しみだったそうだ。持参していた写真を少し
見てもらい、色々エピソードを聞き出す。小倉球場の竣工(昭和33年、
現在の北九州市民球場)試合も観に行った方がいた。西鉄ライオンズ3連
覇の最後の年、軌跡の大逆転優勝の年、ちょうど今から50年前の話しで
ある。

 大津屋さんを覗いたが、お話を聴きたい奥さまはいないようだったので
この日は時間も無いし諦める。ゼンリン地図の資料館へ先日、吉田初三郎
の高弟・中村次郎氏の息子さんが来館されたとのこと。洋志さんであろう。
大津屋の先代が所有していたという下関市鳥瞰図絹本(たぶん昭和25年版
の原画)は現在未確認だが、これはタッチから見て中村次郎が担当した作
品と思われる。同年前後、山口県内の作品が多数あるが、その多くが同じ
次郎タッチだ。

 午後、この日もうひとつの大切な訪問先である泥谷氏を小倉南区に尋ね
る。昭和55年以降の門司や小倉の町並みやスナップ写真を撮影し続けて
おられる方である。ご自宅は一歩入ると、懐かしい昭和の北九州市満載の
写真ギャラリーである。もちろん今は無き市内電車の沿線写真も、素晴ら
しい構図のものが多数ある。写真賞もいくつも貰われているそうだ。

 西鉄の企画展、写真集への協力をお願いし快く受けていただけてひと安
心。写真の話、市内電車の話、福岡にも住んでいらっしゃった奥さまも加
わっての市内電車の想い出話、そして吉田初三郎の話など、気が付くと3
時間があっという間に過ぎていた。

 宮城・岩手の地震は3年前の福岡の地震の記憶を蘇えらせてくれた。新
聞記事で交通博物館の学芸員で鉄道遺構などの保存に熱心だった岸田氏が
犠牲になったことを知る。吉田初三郎の鉄道鳥瞰図にも興味を持ってくれ
ていた方。前田稀氏から岸田氏のことでお電話をいただいた。ご冥福を祈
るばかりである。

今日の写真は昭和32年、小倉の井筒屋付近の空撮写真。
建設中の小倉駅(33年移転竣工、現在地)、駅前通り、そして
現在のKMMビルなど浅野口一帯にあった豊楽園球場が見える。
西鉄ライオンズの試合も行われていた。戦前はベーブ・ルースなど
日米野球も来た球場だったと記憶(文献には小倉野球場と記載)
しているが確認してみることにする。

 
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