記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

地図グッズの楽しい企画展を見て初心を思う。

2007年04月18日 00時04分57秒 | まちづくり
 今日は、ゼンリン地図の資料館で開催中の「世界の地図グッズ大集合
-地図のある生活-」展を観覧した。毎年、春の企画展は地元で地図の
収集家として知られる出口氏のコレクションで構成されていて、今回は
氏の集めた「地図」でデザインされた国内外の様々な地図グッズが展示
されている。カラフルな色遣いの地図柄のグッズは見飽きない。
http://www.zenrin.co.jp/mapgallery/

 出口氏は元北九州市の助役も勤めた方。現在の環境都市北九州の石杖
を築いた方でもある。全国はもとより世界中から集めたあらゆる絵地図
や都市図、観光イラストマップ類は約2万点、都市の未来を映すランド
スケープとして効果的なことを最も良く知る方でもある。先日は出口氏
らの音頭取りで小倉市街地を流れる紫川を水源から河口まで描いた「紫
川散策マップ」も完成し、見本を送付いただいた(非売記念品)。

 私は元々グラフィックデザイナーであるが、ゼンリングループが募集
した新タウン誌立ち上げプロジェクトに興味を惹かれ、中途で入社試験
を受け、運良く数十倍の中で採用された。学生時代は朝日新聞の新聞奨
学生制度で進学し、実家の事情から地元へ就職したが、その理由も途絶
えた後の希望進路への転身であった。

 結果として入社直後のグループ再編で印刷部門は子会社化され、動機
であったタウン誌立ち上げも、まさにバブルが弾けた時期とも重なりお
蔵入り。その後はプランナー、ディレクターとして活動するが、中でも
今の私の思考や進む方向性に大きな影響を与えた仕事があった。

 企業メセナ全盛時代、某大学の都市学教授との打合せの折、初めて北
九州を訪れた教授から、JR小倉駅周辺に乱立する「KMM」ビルのK
MMとは何かと聞かれ、小倉興産であるとは答えたものの「ではその会
社はどんな会社で、北九州でどういう事業をしてきたのか、創業時期は」
とたて続けに聞かれ、答えられなかったことがショックであった。

 「地元の大企業のこと、地域がどう形成されたか等の歴史を知らずに、
キミ達はプランナーの仕事ができるの?」と指摘され、大きなショック
を受けたものである。それから意識的に地元の歴史や近代史、人物誌な
どを読み、今では埋もれた地域資料の掘り起こしがライフワークとなり、
博多へ居を移して16年目の今、地域の近代史・資料なら私に聴けとばか
りに様々な依頼が来るようになった。

 考えてみると教授さまさま。あのひと言が無ければ、意識を変えるこ
ともなく、平凡なサラリーマン生活で独立なども考えなかったであろう。
独立は独立で大変である。勤め人が考える「休日」は全くと言って良い
ほど皆無の日々。しかし、これまでの様々な経験、そして20年間に延べ
1万人を越える方々と出会い、その中で築いてきた人脈は今になって、
私の唯一の財産となっている。全くと言って良いほど営業をしない私で
あるが、毎日のように新たな仕事依頼、紹介が飛び込み感謝のひと言だ。
ただし、大仕事もボランティアも関係なく、ビジネス度外視で関わりた
い仕事ばかり選ぶので(笑)、いつも苦労して周囲に助けられている。
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