週明けのワイドショーは加藤和彦さん死去の話題がトップ。こういう形で
ワイドショーのネタで取り上げられると、本当に残念。ゴシップ的な紹介の
仕方も多く、ちゃんとした音楽面での追悼番組を期待したい。最後の「あの
素晴しい愛をもう一度」つま恋ライブの映像は泪もの。
最後の「あの素晴しい愛をもう一度」/加藤和彦
18日夜放送された「記憶探偵キノレオ」、那珂川クナン君(博多大吉)の
登場で笑わせてもらった。ロケを観ているからかもしれないが、一度目より
も2度目、3度目と録画を繰り返し観ることで「さらなる味わい」が出る。
ひいき目ではなく、何度観ても面白い番組というのは最近少ないので、録画
をお勧め(笑)。ディレクターの手腕と編集の努力に脱帽である。
コーナー最初に訪れた寺尾印刷さん(博多区住吉)は、本当に飛び込みで
ロケ候補として開拓したもの。それも当初予定していたロケ先の急なキャン
セルで、全体の構成の変更を余儀なくされたなかでの苦肉の策だった。伺う
と昨日20日で閉店だという。今ではほとんど姿を消した活版印刷屋さん。
「これはぜひ記録映像に遺さねば」とすぐにディレクターに電話し、10分後
にはディレクターも到着し、その場で取材先に「当確」!
寺尾印刷さん、実は他TV局の名刺を一手に担当していて、その局からの取
材は今まで無かったそうだ。20日、協力のお礼で最後の営業日に訪れると、
また違う他局から取材依頼が来たとのこと。この日、冷泉荘の山本さんと共
に私の事務所へ来られたグラフィックデザイナーの池田さんは、寺尾印刷さ
んに仕事を依頼しお世話になっていたそうで、この日で営業終了を知ってそ
の足で寺尾さんへ花を持って行ったそう。寺尾さんが嬉しそうに教えてくれ
た。
放送の裏話、山本華世さんの名刺を寺尾さんの活字で作っておいて、ロケ
で完成品を見せてもらう案もあったが、そのままロケ当日に。ロケ後、華世
さんは自分で寺尾さんに名刺を頼みました。ロケ中、どこに行っても華世さ
んは人気。おばちゃんがロケについて来る、集まってくる(笑)。コスプレ
の大吉君、木下君もなかわない。
同じ20日夜、仕事を終えてから、最近通っている創作居酒屋「上四十川
舌心」で一人カウンターで食事をしていると、奥の座敷に見たことのある後
ろ姿が。お連れの紳士がちょうどカウンターの方へ来られたので声をかけた
ところ、寺尾印刷さんに名刺を依頼している某局の元副社長のNさんであっ
た(笑)。寺尾さんのことも先代からよくご存知だそう。辞めると聴いて少
し寂しそうであった。
Nさんの招きでテーブルに混ざり、私が知っていたミズナミュージックの
西野社長と、川端商店街にあるタックエンタープライズのYさんとしばしの
歓談。西野さんはポップ・デュオ「梅☆星」の事務所の社長さん。翌21日、
夕刻にブラジレイロで西野社長、梅☆星のお二人に改めてお会いし美味しい
珈琲を飲みつつ、情報交換をさせていただいた。
梅☆星ブログ「梅乙女」
彼女たちのラジオ番組は夜仕事をしながら聴くことが多い。一度聴けば
耳を離れない曲が多く、私自身密かにファンである。仕事の中心は、今は
東京とのことだが、このご縁を何か活かせる企画を考えたい。
カフェ・ブラジレイロは現存する博多で最も古い喫茶。戦前はここの常
連から芥川賞、直木賞作家がたくさん誕生し、今も文化人が集うサロン的
なお店。私も以前から岡部はち郎さんらTV・ラジオで活躍する方々との打
ち合わせをここでさせてもらう事が多く、仕事がうまくいく縁起の良いお
店だ。
今回の「記憶探偵キノレオ~路面電車の名残を探せ!」でクライマック
スに用意した福岡高校の「福高前」電停。本当に研究者や関係者が知らな
かった奇跡の情報!彼らが知らなかったので、クライマックスに持ってく
ることができたものだ。しかも大吉クナン探偵が言ったとおり、マスコミ
初登場。
この電停の移設保存に関わった当時の福高生、吉原住宅の吉原さんから
メールをいただき、移設保存当時は校庭の中庭に放置状態で上下線ともあ
ったことも知った。転勤された当時の先生が一人で電停の形に「修復」し
たそうだ。
吉原住宅
その情報をくれたのは、吉原さんと福高の同期の西日本新聞の手嶋記者。
手嶋さんが電停保存の関係者だったと知り、「マスコミじゃん!」と思う
とともに、彼は私を最初に新聞に取り上げてくれた「恩人」なだけに、人
の縁の不思議さに改めて感動!忘れもしない2004年3月14日の西日本新聞
夕刊の一面にカラーで私のことを掲載してくれたのが手嶋さんだった。
なぜ日付まで憶えているかというと、その日は長嶋茂雄さんが倒れた日
だから。あと1時間倒れるのが早ければ、私の一面記事は無かった(笑)。
その後、本を出したりするたびに新聞各紙で取り上げていただくきっかけ
が手嶋さんとの出逢い。私が出した小冊子を入手した手嶋さんが「益田さ
ん、私の昔の実家が写真に映っている!」といって取材依頼の電話をくれ
たのだ。
今思えば、「記憶探偵キノレオ」の原点?はこの時の手嶋さんのひと言
に集約されていたのかも(笑)。その後、調子にのって「懐かしい風景」
のアーカイブ化に本格的に力を入れ始めたのだから。それも、手嶋さんと
同じような「古い写真」を通じての感動的な出逢いを求めて…。
今日の写真は、30年前に全廃された「西鉄福岡市内線」路面電車の最後に
廃止された旧貝塚線(正確には宮地岳線の千鳥橋~貝塚の市内線乗り入れ
区間)の跡。路線跡の旧金平電停から浜松町電停までは公園(緑道)とし
て活用されている。写真は旧金平電停(廃止時は馬出三丁目)があった場
所。国道3号線に沿って背後にはゆめタウン博多が見える。
撮影日は2004年9月22日。
フォトブックシリーズ解説・通販
福岡市内線の思い出ブログ
写真集「西鉄ライオンズとその時代」
美しき九州「大正広重」吉田初三郎の世界 九州・初三郎研究会
アンティーク絵葉書に観る懐かしの風景・町並み
ギンギラ太陽's
冷泉のあゆみ1945~2007まちづくり戦後史
鳥瞰図絵師・前田虹映
オールド地図鳥瞰図コレクション・吉田初三郎ほか
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ワイドショーのネタで取り上げられると、本当に残念。ゴシップ的な紹介の
仕方も多く、ちゃんとした音楽面での追悼番組を期待したい。最後の「あの
素晴しい愛をもう一度」つま恋ライブの映像は泪もの。
最後の「あの素晴しい愛をもう一度」/加藤和彦
18日夜放送された「記憶探偵キノレオ」、那珂川クナン君(博多大吉)の
登場で笑わせてもらった。ロケを観ているからかもしれないが、一度目より
も2度目、3度目と録画を繰り返し観ることで「さらなる味わい」が出る。
ひいき目ではなく、何度観ても面白い番組というのは最近少ないので、録画
をお勧め(笑)。ディレクターの手腕と編集の努力に脱帽である。
コーナー最初に訪れた寺尾印刷さん(博多区住吉)は、本当に飛び込みで
ロケ候補として開拓したもの。それも当初予定していたロケ先の急なキャン
セルで、全体の構成の変更を余儀なくされたなかでの苦肉の策だった。伺う
と昨日20日で閉店だという。今ではほとんど姿を消した活版印刷屋さん。
「これはぜひ記録映像に遺さねば」とすぐにディレクターに電話し、10分後
にはディレクターも到着し、その場で取材先に「当確」!
寺尾印刷さん、実は他TV局の名刺を一手に担当していて、その局からの取
材は今まで無かったそうだ。20日、協力のお礼で最後の営業日に訪れると、
また違う他局から取材依頼が来たとのこと。この日、冷泉荘の山本さんと共
に私の事務所へ来られたグラフィックデザイナーの池田さんは、寺尾印刷さ
んに仕事を依頼しお世話になっていたそうで、この日で営業終了を知ってそ
の足で寺尾さんへ花を持って行ったそう。寺尾さんが嬉しそうに教えてくれ
た。
放送の裏話、山本華世さんの名刺を寺尾さんの活字で作っておいて、ロケ
で完成品を見せてもらう案もあったが、そのままロケ当日に。ロケ後、華世
さんは自分で寺尾さんに名刺を頼みました。ロケ中、どこに行っても華世さ
んは人気。おばちゃんがロケについて来る、集まってくる(笑)。コスプレ
の大吉君、木下君もなかわない。
同じ20日夜、仕事を終えてから、最近通っている創作居酒屋「上四十川
舌心」で一人カウンターで食事をしていると、奥の座敷に見たことのある後
ろ姿が。お連れの紳士がちょうどカウンターの方へ来られたので声をかけた
ところ、寺尾印刷さんに名刺を依頼している某局の元副社長のNさんであっ
た(笑)。寺尾さんのことも先代からよくご存知だそう。辞めると聴いて少
し寂しそうであった。
Nさんの招きでテーブルに混ざり、私が知っていたミズナミュージックの
西野社長と、川端商店街にあるタックエンタープライズのYさんとしばしの
歓談。西野さんはポップ・デュオ「梅☆星」の事務所の社長さん。翌21日、
夕刻にブラジレイロで西野社長、梅☆星のお二人に改めてお会いし美味しい
珈琲を飲みつつ、情報交換をさせていただいた。
梅☆星ブログ「梅乙女」
彼女たちのラジオ番組は夜仕事をしながら聴くことが多い。一度聴けば
耳を離れない曲が多く、私自身密かにファンである。仕事の中心は、今は
東京とのことだが、このご縁を何か活かせる企画を考えたい。
カフェ・ブラジレイロは現存する博多で最も古い喫茶。戦前はここの常
連から芥川賞、直木賞作家がたくさん誕生し、今も文化人が集うサロン的
なお店。私も以前から岡部はち郎さんらTV・ラジオで活躍する方々との打
ち合わせをここでさせてもらう事が多く、仕事がうまくいく縁起の良いお
店だ。
今回の「記憶探偵キノレオ~路面電車の名残を探せ!」でクライマック
スに用意した福岡高校の「福高前」電停。本当に研究者や関係者が知らな
かった奇跡の情報!彼らが知らなかったので、クライマックスに持ってく
ることができたものだ。しかも大吉クナン探偵が言ったとおり、マスコミ
初登場。
この電停の移設保存に関わった当時の福高生、吉原住宅の吉原さんから
メールをいただき、移設保存当時は校庭の中庭に放置状態で上下線ともあ
ったことも知った。転勤された当時の先生が一人で電停の形に「修復」し
たそうだ。
吉原住宅
その情報をくれたのは、吉原さんと福高の同期の西日本新聞の手嶋記者。
手嶋さんが電停保存の関係者だったと知り、「マスコミじゃん!」と思う
とともに、彼は私を最初に新聞に取り上げてくれた「恩人」なだけに、人
の縁の不思議さに改めて感動!忘れもしない2004年3月14日の西日本新聞
夕刊の一面にカラーで私のことを掲載してくれたのが手嶋さんだった。
なぜ日付まで憶えているかというと、その日は長嶋茂雄さんが倒れた日
だから。あと1時間倒れるのが早ければ、私の一面記事は無かった(笑)。
その後、本を出したりするたびに新聞各紙で取り上げていただくきっかけ
が手嶋さんとの出逢い。私が出した小冊子を入手した手嶋さんが「益田さ
ん、私の昔の実家が写真に映っている!」といって取材依頼の電話をくれ
たのだ。
今思えば、「記憶探偵キノレオ」の原点?はこの時の手嶋さんのひと言
に集約されていたのかも(笑)。その後、調子にのって「懐かしい風景」
のアーカイブ化に本格的に力を入れ始めたのだから。それも、手嶋さんと
同じような「古い写真」を通じての感動的な出逢いを求めて…。
今日の写真は、30年前に全廃された「西鉄福岡市内線」路面電車の最後に
廃止された旧貝塚線(正確には宮地岳線の千鳥橋~貝塚の市内線乗り入れ
区間)の跡。路線跡の旧金平電停から浜松町電停までは公園(緑道)とし
て活用されている。写真は旧金平電停(廃止時は馬出三丁目)があった場
所。国道3号線に沿って背後にはゆめタウン博多が見える。
撮影日は2004年9月22日。
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美しき九州「大正広重」吉田初三郎の世界 九州・初三郎研究会
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