記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

7年ぶりの犬山へ、初三郎ゆかりの桃太郎神社

2014年07月29日 08時59分15秒 | 吉田初三郎

名古屋市博物館を訪れた翌日の7月26日、7年振りに吉田初三郎「蘇江画室」があった犬山へ。すぐに名鉄犬山駅の横の不動明王に参拝。

大正12年秋、関東大震災で被災した初三郎の「大正名所図絵社」は名鉄・上遠野常務(のち社長)の誘いで犬山の名鉄施設へ画室を移転し(蘇江画室)昭和11年春まで本拠地とします。名古屋市内線(名電の路面電車)を市へ譲渡した時期でした。そこで名古屋鉃道の再出発の広報ツールを初三郎が担当する事になり、犬山周辺のレジャー開発を進める軌跡(木曽川日本ラインを新日本八景に当選させ、犬山城(白帝城)を中心とした観光地開発)が、初三郎と百合子夫人が献燈した灯籠の遺る小さな祠です。この時期の初三郎作品の大半に、小さく日本ラインや蘇江画室が描かれています。

「不老の滝」横の画室跡を過ぎて、木曽川沿いの「桃太郎神社」も参拝。

創建時に吉田初三郎は奉賛会代表を務め尽力、今に続く「日本一桃太郎まつり」も仕掛けます。本殿そばの碑も初三郎の題字、木曽川を挟んで岐阜側には博多ゆかりの川上貞奴「貞照寺」があります(昭和9年の貞照寺創建時、初三郎と貞奴は木曽川にロープウェイを通して日本ラインの観光開発構想を練っています)。

3回目の訪問、26日は早朝だったので社務所や宝物殿は見学できず。しかし、ここは正直言って幼少時に訪れていたら案外「怖いトラウマな場所」になるかも(笑)。こうなったのは戦後のレジャー開発時…



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