記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

魍魎の匣にまつわる求菩提山・鬼神社、地元ゆかりの島田芳文

2008年01月06日 03時39分23秒 | 吉田初三郎
 映画「魍魎の匣」の謎解きで京極堂(堤真一)が解説した求菩提山は
隣接する英彦山と並ぶ修験道の里である。鬼にまつわる伝説も多く、そ
れが題材のひとつになっている。また、修験道の里らしく?カラス天狗
にまつわる話も多く、市内至る所にカラス天狗像がある。
また、私の通った千束(ちづか)小学校の校歌にも求菩提山は登場する。

 求菩提の山の谷深く 神秘のながれ岩岳の
 注ぐ周防の波しずか ここに我等は生まれいず

 見よ旭城の神木立 千年のみどりいや深く
 歴史は遠し大宮居 ここに我等の徳はなる

 作者は誰だろうと思い小学校のサイトを観たが、残念ながら記載なし。
実家からは求菩提山をはじめ、福岡県下で一番高い山である英彦山や2
番目の犬ヶ岳(天然記念物ツクシシャクナゲの群生地として著名)など
が、冬の今頃だと白い雪を山頂に抱いて見える。子供の頃、実家の屋上
から望むこの景色を幾度となく写生した。

 小学校から高校まで、遠足といえば求菩提山が多かった。特に高校時
は山の麓まで約15キロの道のりを市内の生徒は自転車で集合というの
だから、今から思えば鍛えてもらった(笑)。行きはずっと登り坂、帰
りは大げさでなく一度もペダルをこがずに下って行ける。

 近隣には今から思うと「国宝」「重要文化財」がたくさん身近にあっ
た。明治以前は隣の中津、近隣の日田などと並び蘭学が栄え、名士を多
数輩出している。かの名優・大河内伝次郎も市内の出身。そして、作曲
家・古賀政男とのコンビで名曲「丘を越えて」を生み出した、島田芳文
である。

 前豊前市立図書館長の松井氏が最近書かれた「青春の丘を越えて」と
いう島田芳文の生涯を綴った本が面白い。地元びいきを除いても、昭和
初期を彩った島田の詞・文は今みても新鮮である。古賀政男、北原白秋
など同じ福岡県出身の大家にかくれがちだが、昭和の大衆歌謡に多くの
傑作を遺した島田の功績はもっと見直されて良い。

 私の通った千束小の隣、黒土小の校歌は島田の作曲。島田の故郷でも
ある。私が中学時代によく遊んだ池のそばの公園には島田の歌碑があっ
た。宇島鉄道の黒土駅があった現・農協倉庫の目の前である。島田存命
時、出発や里帰りはここから汽車で出掛けたのだろうか。

本に出てくる島田の同級生だった水野氏はのちの豊前市長。私の所有す
る昭和2年の黒土村絵葉書にも水野家の絵葉書があり旧家である。島田
の青春期、黒土は全国有数の「模範村」としてその名を知られていた。
九州各地の市町村からも視察が絶えなかったという。水野氏とともに、
島田の親友だった下村信貞(のち満州国外交部高官)は、私の小学校恩
師の一族である。

 吉田初三郎が「耶馬渓御案内」を度々描き、中津・耶馬渓へ足を運ん
だ頃、島田らは旧制中津中学に学んでいる。演劇や詞文、歌謡に目の無
い初三郎と接点が無いかも調べ始めた。初三郎の別名「虎眠」名義でも
同様。当時、14歳の島田はすでに様々な文芸誌へ投稿し中津新派歌人
の一人となっていた。

 のちに満州の様々な鳥瞰図を描く初三郎と、外交官だった下村との接
点もありそうだ。案外、中津で秀才と称えられた島田、下村、そして後
に豊前市長となる水野とは、中津中時代に初三郎と接点があったのかも
しれない。

 吉田初三郎(二代目)の「豊前市鳥瞰図(昭和35年)」作成時、すで
に水野氏は地元有力者。鳥瞰図制作依頼の経緯や、当時の資料・証言者
が出てこないかと、少ない手がかりを手探りで探している。なぜ作成さ
れたかの資料・証言は、一昨年纏められた豊前市史でも明らかにならな
かった。

 素朴な疑問もいくつか宿題。明治33年発行の「福岡県名所図絵」掲載
の「千束神社」境内は、現在の千束神社(旭城跡、千束小学校敷地隣接)
ではなく、隣の黒土村の岩清水神社である。当時とほぼ同じ境内である
ことを現地で確認したが、神社名の移設などの記録は判らなかった。

 大正期、宇島鉄道の「鉄道唱歌」には黒土駅界隈の名勝として千束神
社が登場する。当時は現在の千束神社(旭城跡)最寄りの塔田駅は無く
現地の可能性もあるが、記述を読むと現・岩清水神社である。しかし、
神社や付近の方々の聴き取り、当時の絵葉書の記述をみても岩清水神社
とあり、謎は深まるばかり…。と現代人の私は悩むのだが、当時の人か
ら言わせれば簡単な理由のような気がする。歴史とはそういうもの、記
録に留めておかねばやがて忘れ去られるのである。

今日の写真は、映画「魍魎の匣」の謎解きで京極堂が説明した
求菩提山にある「鬼神社」大正2年の絵葉書。
発行は大江青明堂、私が最初に就職した現・築上印刷の前身。

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2 コメント

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観ました。 (ちょいぬ)
2008-01-12 23:47:24
京極さんの原作も大好きなので、早速、観にいきました。鬼神社よかったです。でも求菩提山の近くの川は犀川ではないですよね。(聞き間違いか)求菩提山にも登りましたが、映画を観てちょっとうれしくなりました。
返信する
求菩提山と佐井川、岩岳川 (mapfan)
2008-01-15 17:09:33
ちょいぬ  様

コメントありがとうございます。
求菩提山麓(犬ヶ岳山麓)からは佐井川(水系)と岩岳川(水系)が流れています。原作でも佐井川が出てきたと思います。
返信する

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