記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

選抜大会の代表校と初三郎鳥瞰図

2007年03月29日 16時02分46秒 | 吉田初三郎
 春の選抜高校野球、気が付くとどうしても郷土勢(九州・山口)
を応援している。今回は地元福岡県は大牟田高校が早々と(初日)
負けてしまったが、他はなかなか頑張っている。今回の出場校の
名を見ると、多少強引ではあるが吉田初三郎が都市図を描いた地
が多いことに気づく。特に今年の九州・山口は宇部商や都城泉ヶ
丘、大牟田など何れも描かれている。

 今日掲載したのは、その中の昭和26年に描かれた都城市鳥瞰図
直筆トレース図の部分である。図の全体サイズは横幅3m強の堂々
たるもの。都城駅周辺の当時の町並みが細部まで描かれ、ちゃん
と都城泉ヶ丘高校も描かれてあった。

 この作品は残念ながら印刷折図は所有していない。印刷物の黒
版の原板なので、これと同じサイズの絹本彩色原画がどこかにあ
るはずである。同じ時期に描かれた宮崎県では延岡市などは地元
に原画が残っている。宮崎市(昭和25年)は私の所有。また、日
向市(昭和27年)原画はお孫さん宅に残っていた。地元のどこか
にこの図の絹本原画が残っていないだろうか。

 都城市については、印刷パンフに使用した写真プリントも私の
方で保管している。踏査取材の際に撮影したものや、市から提供
されたものであろう。このトレース図は構図的にも他都市に比較
して素晴らしい。あまりにサイズが大きいので、データ化したい
のだがスキャナでの読みとりは大変である。ムリにスキャンしよ
うとすれば破損等が起きそうだ。かといって撮影複写でというの
も、素材がトレース紙であるためシワも寄っていて困難である。

 宮崎県の作品の中には、戦後の観光案内版もいくつか存在して
いたことが判った。保管する約6千枚の踏査写真ネガの中に、霧
島や宮崎の観光案内板が映っており、初三郎の落款も見える。こ
の当時の宮崎といえば、新婚旅行のメッカとして売り出しを始め
た頃であり、観光案内版にも初三郎を起用してPRをしたのであ
ろう。

 今は宮崎といえばプロ野球やJリーグのキャンプ地としての知
名度が圧倒的である。観光案内もキャンプ地巡りのマップ類は充
実している。東国原知事が就任して以降の宮崎県は、ひょっとす
ると昭和2~30年代以来の全国的な注目を集めている気もする。
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