記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

耶馬渓の哀愁と、初三郎・虹映の軌跡を求めて

2007年04月08日 20時40分19秒 | 吉田初三郎
 昨日は従兄弟の結婚披露宴で里帰りした。久しぶりに親類従兄
弟が集まり、披露宴が終わった後も宇佐の叔父の家に集まり夜遅
くまで談笑した。結婚した従兄弟の家は宇佐神宮のそばで「宇佐
玉」の商標で数々の菓子コンクールでも賞をいただいている飴屋
である。しかし長男の本人は高校教師、弟は医者で、跡継ぎはい
ない。

 小さい頃から私は、従兄弟の家からいただく飴玉をおやつに育
った。ニッケ玉と黒糖玉が、私にとって「昭和」の懐かしい味で
ある。従兄弟は高校教師をしつつバスケの指導者としても名を馳
せており、全国選抜へも県代表として出場している。披露宴にも
教え子達がお祝いに駆けつける一幕があり、これが余興の中で一
番良かった。

 平成の大合併でこの地域の多くの町村が消滅した。ワインや農
泊で知られる安心院町も、70以上ある石橋の町・院内も宇佐市に
合併され、隣接する耶馬渓3町は中津市、国東半島北側は全て豊
後高田市となって大分県北はシンプルな自治体になってしまった。

 市街地に住む人々は良いであろうが、旧町村部の人々の多くは
不安ばかりが増えていると聞く。その一例として、絵地図作家さ
んが「耶馬渓」を周辺地域の「石」文化をテーマに描きたいと言
われ、10日ほど踏査取材して後、某自治体の助役に挨拶した際
「耶馬渓は魅力なし」との返答にがっかりしたと言う。耶馬渓程
度の景観は全国たくさんあるという返答だ。

 耶馬渓の観光コースと言えば、「青の洞門」で知られる競秀峰
や深耶馬渓の「一目八景」そして「羅漢寺」が定番で、他はほと
んど省みられることもない。観光バスのツアーだと尚更であり、
地元住民も「耶馬渓は大したことない」と思いこんでいて、年々
地元は寂れている印象が強い。

 しかし本当に「大したことない」のか?それは歴史を遡れば違
うことに気づく。今の耶馬渓の渓谷美は、実は手入れ不足で奇岩
奇勝の良い部分の多くが、成長した木々に隠れて岩肌がほとんど
見えなくなっている。古い観光絵葉書や耶馬渓を描いた絵画を見
ればそれは一目瞭然である。50カ所にのぼる渓谷のうち、往時に
近い景観を残しているのは競秀峰くらいである。

 現在、耶馬渓に限らず日本の山々は危機的状況にある。林業に
携わる人々は年々減り、耶馬渓でもそれは深刻である。手入れが
行き届かず、主産業である杉やヒノキの生育も阻む。成長力のあ
る竹が山を侵略していき、日田杉で有名な一帯も山の頂上まで竹
林になった山も少なくない。

 山が廃れると水源から流れ出す川も荒れ、最後は海の生体まで
変わってしまう。耶馬渓から流れる山国川も、河口付近で漁獲量
が減り、今ではこのことに気づいた地元漁師が山へ手入れの手伝
いに行くようになったという。国交省のモデル地域にも選定され
たようだが、まだ河川と流域の復活には時間がかかりそうだ。

 吉田初三郎はそんな耶馬渓の最盛期と、全国各地が耶馬渓目指
して地元観光地をPRする時代を間近で見てきた。今日の写真は
初三郎が大正3年に初めて耶馬渓を訪れ投宿した、羅漢寺・指月
庵の跡である。

 初三郎はここで耶馬渓の鳥瞰図の構想を練っている最中に、京
阪電車の太田専務(のち社長)からの電報で皇太子(昭和天皇)
が初三郎の処女作「京阪電車御案内」を「これは綺麗で判りやす
い」と褒めてくれたことを知り、生涯「図絵報国」の念を誓った
地でもある。

 その後も初三郎、そして一番弟子であった前田虹映が耶馬渓を
描いた際にも指月庵に滞在している。しかし昭和18年に不審火に
より指月庵は全焼、羅漢寺本殿、宝物殿なども焼失し、宝物の多
くも失われたという。戦後、本殿などが再建されたのは昭和40年
代に入ってから。私の小さい頃の想い出といえば、本殿再建時に
設置された山頂の「遊園地・動物園」とリフトの記憶である。

 トラやライオンもいた記憶のある動物園であったが、昭和の終
わりとともに閉園され、今はリフトのみが残っている。麓の売店
も訪れるたびに廃れていて、往時を知る者としては寂しい限りで
ある。3年前に先代住職が亡くなられたが、もう少し早く話しを
聞きに行けばよかったと悔やんでいる。

 火災からわずかに持ち出されて残った宝物の中に、鳥瞰図の巻
物があったと聞いた。それが初三郎もしくは虹映の作品の可能性
は高く、近いうちに離ればなれになっているご遺族を辿って確認
せねばならない。

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1 コメント

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耶馬渓谷の真髄 (けんちゃん)
2008-08-22 13:12:47
はじめまして
中津出身で現在福岡市に在住のもので、
中津市の情報発信をしているものですが、
貴兄のブログを本日初めて拝見させていただき
ましたが
「羅漢寺」に関する記述について
コメントさせていただきます。
当方「羅漢寺」の前住職(太田親成氏)とは
小学生のころからの記憶があり、
御長女とは高校の同級生でした。
彼女は現在福岡市のいらっしゃると思いますし
連絡もとれますので必要でしたら連絡ください。
またよろしれば、私の耶馬渓のページへの
リンクも御許可いただければ幸いです。
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