記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

11月15日に開業60年を迎えた博多駅地下街

2024年11月15日 20時58分00秒 | 福博まちの記憶
祝!2024年11月15日、博多駅地下街開業60周年♫
昨年12月の博多駅現在地移転60年に続き、西日本新聞社・福間さんがきちんとお祝い記事にしてくれました(^.^)。今回も言い出しっぺの私自身も、手持ちの資料などを揃えて取材同行(11月7日)しました。
 
神戸以西では最初だったという、本格的な地下街ですが60年前の開業時は「地下街」の呼称が不可であくまで地下通路、名称も「地下道センター(地下センター)」という名前しか許可が降りなかったそうです。以下は「明日を創る人〜博多ステーションビル意外史」より。
以下は福岡朝日ビル25年史などに掲載されている新聞記事(朝日新聞)内容。
私は1985年春、ちょうど地下鉄博多駅が仮駅から現在の駅に切り替わる頃から進学のために博多へ移住してきました。それまで受験や模試などで博多を訪れた時は、1983年春にできた博多仮駅。現在とは場所が異なり、祇園駅への地下通路上に改札などがありましたので、切り替わった直後に博多暮らしが始まり、地下鉄を利用しようとして面食らったのを覚えています。
 
この「博多仮駅」の話は、2008年にFSBナイトシャッフル「記憶探偵キノレオ」で取り上げられましたが、視聴者から「昔は地下鉄博多駅は別の場所だったような」というメッセージが届いたということで、ディレクターから私に「知ってますか?」と相談があって始まった回でした。
当時、私は福岡地下鉄の建設工事(1号線・2号線)の総指揮をとった方と偶然交流していて(奥様と博多市民センターの講座で一緒に活動、日田天ヶ瀬の別荘などに家族で泊まりに行く関係)色々と苦労話などを伺っていたので、すぐに繋いだ記憶があります。市地下鉄職員の方々も、その方がご出演して解説するならと即OKが出て、旧駅ホームの名残りなどを地下に潜ってロケしましたが、それから16年経ちました。その時のディレクターとは、今もめんたいワイド「ひと駅ノスタルジー」企画を一緒にやっているので、ご縁とは面白いなと思います。
ご縁といえば、私はデザイン学校に進学した際に、朝日新聞の新聞奨学生として販売店寮住み込みで博多での生活を始め、駅前のデザイン学校へ通いました。今では隔世の感がありますが、昭和から平成になった頃は新聞奨学生で大学などに進学する方は多く、不思議と新聞配達と学生生活を両立していた方で、ご縁のある方がたくさんいます。
学校と新聞配達(博多駅南担当)を含めて博多駅と地下街が青春最大の思い出の地で、今回の60周年というのは思い出が多すぎるのです。駅を降りて地下街への階段も、昔はもっとワクワクして降りたなと思い出したり。
博多駅地下街は2つの管理会社で成立しているのをご存知ですか?上の写真はその境目、タイルの並びや材質が微妙に異なり、実は店名看板の基本形も異なるなど見た目にわかるようになっています。
今回、西日本新聞さんのお店取材には、私からのお勧めで1900年創業「ウエダ洋品店」さんにご協力いただきました。ウエダさんは西鉄ライオンズ全盛期には、カジュアルウェアの広告モデルにライオンズの選手たちを起用されたり、福博の若者ファッションのリーダー的な存在だったお店です。博多駅地下街のお店も開業時に支店として出店し、当初はカジュアル服が多かったそうですが、ビジネス街という立地から次第に中高年向けに品揃えを変えていき、今も昔からの常連さんが多く訪れるお店です。私も50歳を過ぎてから、定番ウェアがコンパクトに揃うウエダさんで、シャツやジャケットを買うことが増えてきました。
そのウエダ洋品店さんからが朝日ビルの管理する地下商店街、向かいにある地上への階段は60年前の開業当時からほとんど変わってないそうで、1979年2月までは階段を登ると路面電車の電停(西鉄福岡市内線循環線)があり、今はバス停などがあるところ。
 
以下は現在の博多駅地下エリアのフロアマップ。約40年前から続くお店も少なくなりました。
1985年当時、少ない小遣いの中でコロンビア博多駅センターで12インチレコードやコンパクトディスク(C D)を買い、積文館や金文堂などの書店で本を立ち読み、博多駅マイングの奥にあったステーションシネマでリバイバル映画を観たり、バス地下デナール(1986年にリニュアル)で太郎うどんを食べたり(当時は量が多いので、バケツうどんと呼んでいた)、懐かしいお店がたくさんあります。近年では中古C Dのグルーヴィンが閉店した時のショックも経験したり。
学生時代、お金は無いけどデザインの勉強には「まちを歩き、最新の広告やデザインを感じる」ことが一番だと教わり、それ以来ずっと気に入った広告チラシや映画チラシ、シティホテルなどのパンフレットもファイリングしてきました。就職してデザインの仕事について、収集した資料は一層活用できる環境になり、まち歩きは日常行動になりました。
2000年に独立し、仕事用にコンデジを購入してから街並みや風景を意識的に撮影し、古い絵葉書の定点観察(撮影された場所、風景探し)がライフワークとなったことで、まちの歴史への興味や理解は加速していったことになります。そういう意味では、今の私の原点のひとつが博多駅地下街だったんだと、改めて感じます。
一番街(食堂街)に近いエリアはテナントの入れ替えが進み、新しいお店に行列もできます。
実は、1964年秋に開業した博多駅地下街の建設運営ノウハウは、1976年秋に開業した天神地下街に繋がることになります。その辺りの話はまた次回に。
 

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