記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

人の縁で記録を綴る

2010年01月08日 00時20分49秒 | 福博まちの記憶
 5日、福萬醤油さんの後はカメラマンの遠江さんのスタジオへ。おかはちさん
編集長で編纂を担当していた「ふくマガジン」で、ウクレレ片手にお宅訪問する
おかはちさんの写真を撮ってもらっていたのは、もう9年も前のこと。その後も
事あるごとに撮影をお願いしたり、面白いことに誘ってもらったり、人物を紹介
いただいたり、私の大切なブレーンのお一人である。

 筥崎宮で行われる西日本最大の骨董市(蚤の市)を主催するシナカイさん(劇
衆上海素麺工場主宰)や、昨秋亡くなった田村悟さん、4年前に亡くなった絵師
の三浦吉十先生、サッカーの中田の家も設計したという建築家・白藤さん、それ
に福岡県内に僅かに遺る「昭和モダン」的レトロ写真館を継がれた写真家・鹿田
さんも遠江さんの紹介だ。

 遠江さんと田村さんを偲ぶ話をしていると、その鹿田さんから電話。ちょうど
私も近々、鹿田さんの写真館へ改めて伺いたかったので電話で話す。この写真館
は、映画「世界の中心で~」に出てくるような、本当にレトロで良い雰囲気の写
真館。船小屋温泉の旧市街にあり、来春開通する九州新幹線の筑後船小屋駅から
も近いので、うまく船小屋地区が観光地として再浮上するなら、最もお薦めした
いレトロな場所。

 鹿田さんの写真館には近年まで大正期の絵葉書印刷機が遺っていたそうで、こ
れが現存していれば貴重な文化資料だった。多くの写真館がそうであるように、
戦前の硝子版写真の時代から戦後のフィルム時代、そして近年は急速にデジタル
時代へシフトし、昔の資料の廃棄がここ10数年で進んでしまった。昔は写真自体
が貴重で、写真原板を写真館が持っていることが商売上とても大切だった。

 遠江さんの紹介といえば、日立の右田君(県マルチメディアコンテンツ産業の
プロデュース等多数)や、昨年私が執筆編纂した「西鉄ライオンズとその時代」
の監修をしてもらった故・和田博実さんも、もともとは遠江さんから紹介してい
ただきお付き合いしている写真器材店プラザオーキッドの的場さんから、浜の町
公園そばにある野球用具店「久保田運動具店」の江頭支店長を紹介いただき、江
頭さんから和田さんを推薦してもらったのである。

 江頭さんは、国内のみならず海外にも知られるグローブの型づくりの名手。ホ
ークスの本田選手をはじめ、現役プロ選手の中にも江頭さんファンは多い。昭和
27年以降、中西太さんや豊田泰光さんら西鉄ライオンズ全盛時の名選手の道具、
平和台球場での公式戦のボールやユニフォームなどを担当してきた方。伝説の島
原キャンプの話なども、選手やマスコミの方とはまた違った視点で色々教えても
らった。

 西鉄ライオンズについては、昨年末のOB会忘年会で西村さんが言われた通り、
OBや関係者の皆さんがお元気の間に、各人が持つ情報や資料、球団の全体像を可
能な限りアーカイブ化しなければならない。今年秋、球団創設から60年を迎える。
来年1月は西日本パイレーツ(西日本新聞社の球団)と西鉄クリッパースが合併
して「西鉄ライオンズ」が誕生してから満60年である。まだまだお伺いしたい、
伺わねばならない逸話は山ほどある。

今日の写真は、
12月31日で日本国内から姿を消したウェンディーズのショッパーズ福岡
店の店頭風景(12月31日撮影)。ギンギラ太陽sこがきょさんのブログで
思い出し撮影しました!

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