記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

醤油ソムリエ

2010年01月08日 00時14分04秒 | 福博まちの記憶
 世間的仕事初めの4日以降、日中は新しく発行を考えている本の打ち合わせで
人と会う日々。4日は西鉄グランドホテルで岡部はち郎さんと打ち合わせ。本題
からの脱線話題の方が多く(いつもの事)、朝いちの打ち合わせのはずが、気づ
くと周囲はランチ客ばかりの時間帯になっていた。

 おかはちさん、今年も恒例「のこのしま@ウクレレハイキング」を5月9日(
母の日)に開催とのこと。会場は能古渡船場から西にあるオーシャンズキッチン
のオープンテラス。建物オーナーの石橋さん(能古マリーン観光)は我々共通の
恩人である。絵地図「博多湾周遊絵巻」制作時、船を無償で何度も出してくれた
のが漁協組合長も務める石橋さんだった。

 5日は玄南荘(福岡の学生寮経営老舗)での打ち合わせ後、親不孝通りのモス
バーガーでぴあ梁瀬氏と合流。打ち合わせ後に近くのバル福萬(福萬醤油)さん
へ行き、7代目の大浜さんを紹介してもらった。大浜さん、醤油ソムリエ(九州
醤油ソムリエ協会会長)という聞き慣れない肩書きながら、お若いのにびっくり。
店内には各地のこだわり地醤油が並び、隠れ家的なとても素敵な空間で即お気に
入り登録!

 奥のカウンター席で普段は限定ランチも出しているそう。ただし、席数は僅か
で食事メインではない。来店客との会話空間として料理も出すとのことで、益々
私の好む空間である。宣伝はしないそうで開店してまだ5ヶ月、まさに知る人ぞ
知る、醤油好きにはたまらない空間だ。聞くと「今日感テレビ」に10月に出演し
たそうで、その際番組のNディレクターは昔の萬町界隈の写真を求めて私に連絡
して来た経緯があって納得した。

 福萬醤油さんは元々、黒田家の家臣だった家。栗山大膳が絡む「黒田騒動」に
より武家を廃業し、最初は酒の醸造からのち醤油醸造に転化、大正末までこの地
で営業していたそうだ。西鉄グランドホテルから浜側(北側)の旧町名は「萬町」。
福萬さんは、その町名の由来となった家で名付けは徳川家康だそうだ。バブル期
以降衰退している親不孝通り一帯の活性化を真面目に考えている一人。

 ランチは休みの日だったが、大浜さんは我々に特製お雑煮を出してくれた。こ
れがまたシンプルながら絶品!いわゆる博多雑煮ではないが、寒いこの日は特に
美味しかった。お店のオーナーもお店に顔を出され名刺交換、戦災で辛うじて焼
け残った貴重な資料群を拝見し、様々な話をご教授いただいた。帰りには「福萬」
ラベルのオリジナル焼酎までお土産にいただき、感謝のひととき。
(注:福萬本家・オーナーさんはRKB「探検!九州」司会でおなじみ白木正四郎
さんです。)

 福萬さんのお店を出て、久方ぶりに親不孝通り周辺を散策。往時を知る者には
信じられないほど空き店舗だらけ、中洲方面から次々と風俗店が進出してきたの
で、それを町ぐるみで一斉排除したこととリーマンショック後の不況も重なり、
今の状態になっているそうだ。居酒屋あぶさんも昨年閉店していて少々ショック。

今日の写真は、親不孝通りのヘンテコビル。

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1 コメント

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御知らせ (のぼ)
2010-03-14 18:41:00
初めて御便り致します。

醤油は「日本食の主役」と感じて居ります。

醤油には其れなりの「器」と・・・
揃えている内に200点を超えました。

そこで今回「醤油注し」のホームページを立ち上げました。

http://www32.ocn.ne.jp/~hasamikatsu/


御時間の有る時にでも
御高覧戴ければ幸いです。

突然のメール失礼しました。
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