marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(704回) 僕が感動したあの事件 全人類の救済(その18)

2020-09-01 03:19:08 | プロテスタント

「十戒」という映画を見たのは中学の時だったかと思います。チャールトン・ヘストンがモーセでユル・ブリンナーという俳優がエジプト王パロでした。聖書のお話というのは、ただいろいろな神様に関するお話がまとめられているだけなのか。モーセの話も、イエス様の話もただ、昔の善いお話が集められ、まとめられているのを聖典としているのかなと、教会に来て自分の言葉で読むまでずっと思っていたのです。しかし、違いました。それは、天地創造以来つながっていたのです。生きて働いておられることが分かったのです。イエス様が言われた「私の言葉は失われることが無い」と言われたその言葉、天地が壊れるまで生きて働き繋がっていることが理解されて来たのです。それはおおきな驚き、発見でした。「わたしの父は今も働いておられる」というイエス様の言葉が理解されてきたのです。(ヨハネ伝5:17)

◆あの事件とは「出エジプト」の事件です。聖書の記事は淡々と無味乾燥に書かれているようですが、ずっと後の出エジプト記13:19節に次の言葉を見つけたときはとても感動しました。あのヨセフの死からおよそ360年も後のことなのです。

『***モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせられたからである。』(出エジプト記13:19) ***

長い物語の中にこの一節がぽっと書かれて出てくるのです。繋がっていたのです。神様は決してわすれておられなかった。壮大なスケールの天上界の救済の物語が見えてきたことに感動しました。映画の中には出て来ませんが、あの事件の中で、あの紅海が割れて、パロの軍隊に追い詰められたあの大変な騒動の時に、モーセが杖をあげて皆が紅海を渡っていたあの騒動の中にミイラとなったヨセフの亡骸が運ばれていたのかと思ったときは正直、感動しました。ヨセフのお墓の場所はきちんと分かっていますので日本の古墳が誰のお墓かなどということではなく、これは架空の物語ではない実際の事なのです。これは信仰の父と呼ばれたアブラムに400年後に帰ってくるのは今から4代目であると言われたことがそのとおりになったことを示しています。一代を100年としますとアブラハム、イサク、ヤコブ、そしてヨセフと確かに4代目になります。ヨセフの死から360年、そして荒野の40年をへてカナンの地へ入っていくのです。・・・続く


世界のベストセラーを読む(703回) 異国の地はこの世の世界、神の示される地とは 全人類の救済(その17)

2020-09-01 03:14:15 | プロテスタント

◆異国の地で宰相にも上り詰めたヨセフ。多くのエジプトの宗教儀式にも従い、取り仕切ったことでしょう。しかし、この地上で彼はどこに帰ろうとしていたのか。先祖に誓われた神、歴史を支配される神の住まわれるところ、神のおられる永遠の故郷を決して忘れずそこを目指していたのです。教会では永眠者記念礼拝を先々週行いました。わたしたちはどうでしょうか。彼らは地上においては旅人であった。すべての異邦の地にあって、今日の私たちも又、そうではないでしょうか「われらの国籍は天にあります」とへブル人への手紙にあります。神の示された地が、ここですべての人々にとって天のエルサレムへ帰っていくこと、希望の地へ天の故郷へ帰っていくことが、ひな型として描かれているのです。

ヨセフの最後の言葉に「神は必ずあなたたちを顧みてくださいます。」という言葉があります。これは、イエス様が今日礼拝を献げている私たちにも語りかけている言葉です。しかし、間もなく死を迎えるヨセフを除き、一介の遊牧民であった誰がその希望を叶えるだろう。その時の常識から言えばまったく叶える術はなかったわけです。それから何世代の年月が経過したことでしょう。・・・エジプトの地でヨセフの功績も忘れた王が出てきて苦しむようになった。これは、神がアブラムに異国の地で400年間苦しめられるという神からの言葉の通りとなりました。(創世記15:13) そういう中であの事件が起こります。


世界のベストセラーを読む(702回) 異国の地のヨセフの最後 全人類の救済(その16)

2020-09-01 03:08:42 | プロテスタント

ヤコブは先祖伝来のお墓のことを細かに覚えていて息子たちに伝えるのです。ここはエジプト、しかし神が導かれた先祖が眠るその地に帰って眠りたいと語るのです。エジプトで宰相になっていたヨセフはファラオに許しを得て、戦車や騎兵も伴う盛大な葬列を組んでカナンの地に上って父ヤコブの亡骸を運び、そこで荘厳な葬儀を行いました。(創世記50:7-10)。カナンの地では「盛大な追悼の儀式」が行われましたが、これはエジプト式の葬儀だったと書かれています。それは、ヨルダン川の東側にあると述べられています(11節)。この地上の場所において父ヤコブと後でなくなるこのヨセフ自身は、エジプトのミイラという遺体処置がなされたのです。

父ヤコブの葬儀を終えて、一行はエジプトに帰って(下って)いく。兄弟たちは、昔ヨセフを奴隷として売り飛ばしたことの報復が父が亡くなったのでなされるのではないかと恐れました。しかし、ヨセフはこういうのです。

「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。・・・」(創世記50:19-21) 

父ヤコブを葬り、親族も兄たちとも幸せに暮らしたヨセフも年を重ね、今生の終わりを迎えます。ヨセフの最後は次のように書かれています。

ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」ヨセフはこうして百十歳で死んだ。人々はエジプトで彼の亡骸に薬を塗り、防腐処置をして、棺に納めた。(創世記50:24-26)****** こうして創世記は締めくくられます。・・・続く


世界のベストセラーを読む(701回) 働く神  全人類の救済(その15)

2020-09-01 03:02:03 | プロテスタント

幼いころから父ヤコブが溺愛していた子、ヨセフ。世界的な飢餓により食料を買い出しにエジプトに下った息子たちから、ヨセフはエジプトで大臣にもなり生きていたと聞かされ、会えるなら死んでもいいとヤコブは老体を押して親族ともどもエジプトに向かうのです。途中、ヤコブに神が幻の中で語り掛ける。「ヤコブ、ヤコブ、わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはそこで大いなる国民にする。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。」(創世記46:2-4)

ヨセフは、カナンから父ヤコブと家族、親族を呼び寄せ、生存中、幸せに暮らすのです。・・・エジプトへ下ったヤコブ一行は総勢70名であったと書かれています。(紀元前1876年のことです。)・・・しかし、ここは異郷の地です。しかも人は、必ずだれでも地上の生涯を終えなければなりません。・・・続く 

 

 


世界のベストセラーを読む(700回) 異国におけるヨセフの信仰 全人類の救済(その14)

2020-09-01 02:51:01 | プロテスタント

あの異郷の地エジプトで、大臣となったヨセフは当時の多くの宗教儀式や様々なとりなしなども行ったことでしょう。しかし、ヨセフは、「わたしはアブラハム、イサク、(父の)ヤコブの神である」というそのお方を決して忘れなかったのです。そして、食物を買いに来た兄弟たちにとうとうヨセフは身のうちを明かします。皆さんはその言葉が天の父なる神様が地上に送られたイエス様の言葉に聞こえないでしょうか。

「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。この2年の間、世界中に飢饉が襲ってきますが、まだこれから5年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためですわたしをここへお遣わしになったのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。急いで、父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに私のところへおいでください。』」(創世記45:4-9)

この7年とは聖書の深い学びにおいては、イエス様が再来するとき7年間の艱難時代が来ると述べられていることに符合するのかもしれません。

ヨセフ物語は、イエス様の生涯のひな型が描かれていると言われています。当時、世界の繁栄を誇っていたあのエジプトで信仰的環境においてはまったく孤立無援の中にあったヨセフの信仰が、成長の中で自己憐憫におちいることや途方に暮れることもなく、どんな試練の中にあっても揺るがず、神は信じる者を忘ず、必ず導かれているのだということを信じていたのです。・・・続く