marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

異邦人ー1ー〔ある世代の終わり〕 

2017-10-05 06:57:18 | 日記
 親父が死んだ。日記は翌日から中断した(していた)。その日の深夜、病院から携帯に電話があり、お父さまの様態が悪いのですぐに来て欲しいと病院の看護婦から連絡があった。ぼくは、駄目かもしれないなと思いつつ車で病院に向かった。6階の病棟の事務室に着くとこちらですと看護婦が案内してくれた。部屋は相部屋から個室部屋に移されていて、点滴が施され、心拍を示すモニターがかなり弱い波形を描いていた。かなり衰弱した親父の姿があった。鼻に酸素の管をつけ、やつれて枯れていた。まもなく若い担当医が入ってくると、心拍数37からかなり弱く、次第に波形が途切れ、しばらくすると一直線になり心拍は0となった。担当医は白衣のポケットからペンライトを取り出し、親父の両まぶたを開け確認してから、亡くなりましたと言った。着いてから20分もしていなかったのではないだろうか。担当医はこの時を確認してもらいたかったとでもいう仕草で時間を言った。死亡時刻午後11時32分とそれだけを言ったからである。看護婦が顔に覆いを掛ける白い布を持ってきて掛けますかと訊いたがそのままでいいとぼくは断った。
 戸田というその若い担当医にぼくは少し腹がたった。患者が多いので仕方が無いと思っていたが入院してから初めて会うのである。日にちから言えばあと二日で退院する予定であったのだ。毎夕、仕事帰りに寄っていた。三日前、夕方に来ると親父は点滴を打たれながらもお粥をすすって、少しは話そうという意識があったのである。そして次の日の夕方、つまり昨日になるが、行くと、点滴は外され、鼻に酸素のチューブをつけられ混沌として変わり果てた親父の姿があった。看護婦曰く血糖値は下がりすぎたのだという。
 ぼくはバインダーに挟まれた処置記録を目にした。馬鹿な! 今までの個人病院からもらった薬をそのまま定期に患者の状態を細かにモニターすることなく律儀に投与していたのか。血糖値を下げる薬の筈だったろうに。今まで個人病院でもらった薬が正しく効いていれば、そもそも救急外来とはならなかっただろうに、そうでないということはその薬が当人にとっては逆効果だったということではないのか。まったく、持参した今までの個人病院の薬を確認する事も無く信じていたんだなと。
 本来は、すべてリセットして自然人(薬も何も投与するという処置をしない当たり前の状態をぼくはこういう)にしてから医師個人の処置を確認していくものではないだろうか。お粥が食べられ血糖値があがり、点滴をして少し回復の様子も見られたのに、急変していくその原因が予測できなかったのだろうか。今までの個人病院の薬の投与の患者に与えていた影響をモニターすることなく、機械的に考えてただ患者の反応を待っているだけなのか。そういう危険予測がどうしてできなかったのだろうか。現代の医療、雑多にいる医者ははっきり言って、薬投与の権限だけのようだ。書かれた効能に対して事務的にそれを与えてみる、今の処置、過去の経緯、結果の善し悪し、そして通常に、つまり自然人に戻すという処置をモニターしながら施す。これをぼくは、医者の常識のように思っていたが、事務的に任されたこの若い医者はどうもそうではないようだった。ぼくはこの若い担当医の名前を忘れることはないだろう。死亡診断書には、心臓関連死と書かれていた。違うな!おかしな書き方だ。死因を詳しく調べられますか、レントゲンや解剖が入り、時間が掛かりますがと彼は言った。無論、ぼくは断った。
 今までの個人病院を親父は気に入っていたが、それは医者の優しい思いやりのある会話があったからのようだ。そもそもすべてにおいてここなのだ。人がいいのと腕がいいのは必ずしも両立しない。水分を採ってくださいといいつつ利尿作用を起こす薬を与えられていたのだから(これは訪問看護の指摘による)。そんなことが頭を巡っていると、親父がもういいよと言っているように思われた。苦しまず安らかに眠るようにいったことをよしとしないといけない。90歳にも間もなくなる親父の命はここまでだったのだろう。長い煩いの糖尿病に軽い肺炎を併発していたのだから。親父の名誉のために容姿は詳しく書かない、彼の母親に(つまりぼくの祖母になるが)そっくりだったと言うことだけを書いておこうと思う。
 どこか葬儀屋さんを呼ばれてください、どこも24時間やられている筈です、死亡診断書を書きます、それがないと何も出来ませんからと担当医は言った。彼が事務所にもどりそれを書いている間、ぼくは看護婦から電話帳を借りて、目星をつけていた葬儀屋に電話を掛けた。一時間ほどで参りますとの返事であった。・・・・ 続く