marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(439回目)余談:近代文学の終わり(柄谷行人の講演から)

2017-10-23 01:00:00 | 日記
 今日は、「近代文学の終わり」について話します。それは、近代文学の後に、例えばポストモダン文学があるというようなことではないし、また、文学がいっさいなくなってしまうということでもありません。私が話したいのは、近代において文学が特殊な意味を与えられていて、だからこそ特殊な重要性、特殊な価値があったということ、そして、それがもう無くなってしまったということなのです。これは、私が声高く言ってまわるような事柄ではありません。端的な事実です。文学が必要だと思っている人はすでに少ない。だから、わざわざ私がいってまわる必要などありません。むしろ文学がかつて大変大きな意味をもった時代があったという事実をいってまわる必要があるほどです。
 私自身は文学に深くコミットしてきました。しかし、あなたがたにそうするようにいう気はないし、そんな必要はまったくありません。ただ、文学が永遠だと思われた時代があったのは何故か、そして、それがなくなったことは何を意味するのか、ということは、よく考えてみる必要があります。それは、われわれがどういう時代にいるかということを考えることだからです。
                    (柄谷行人 2003年10月近畿大学国際人文科学研究所付属大阪カレッジでの講演記録から)