戦争を体験し、帰還され真摯な文面で敵国アメリカにも賞賛された「戦艦大和の最後」の著者吉田氏が生死を見つめてこの国を語っている内容は、私たちが過去の大戦から、多くの死を犠牲にしたあの大戦から何を学び何を次の世代に伝えていくのか、を常に問いかけています。或る人間は戦争鼓舞、或る人間は反戦意識として。しかし、単純に表面上のすぐ感情論にふりむけがちな見解として割り切れるものではないでしょう。やはり、神からの我々への視点、そして、ひとりひとりが真摯にキリストに出会わなければ、日本のこの国(いや、地上の人間)は、決して自己を語る言葉を持ち得ないように思うし、真の平和は訪れないように思われてなりません。
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「この病は死に至らず」(ヨハネ伝11:4)。それにもかかわらずラザロは死んだ。キリストの弟子たちが「われらの友ラザロ眠れり、されど我よび起こさんために行くなり」というキリストのその後の言葉の真意を理解しなかったときに、キリストは弟子たちに直截にこう語った、「ラザロは死にたり」(11:14)。かくてラザロは死んだ、にもかかわらずこの病は死にいたらなかったのである。ラザロは死んでしまった、にもかかわらずこの病は死に至っていない。
(「死に至る病」緒論より)
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キリスト者の希望は絶望に終わることがない。
26日は、「キリスト教における『死』への備え方と題して」教会修養会がもたれます。M先生に手紙が出せますことを、まずは主に感謝いたしたいと思います。社会の中で働かれ、その視線から神のご用をされているM先生には、ときおり思いだしてはいろいろと示唆を受けるように思われます。M先生とご家族、教会員の方々のご健康と神さまからの祝福を祈ります。 (2012/8/16)