marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(715回) (その5)敬愛するM牧師に出した手紙<完>

2020-09-07 18:11:24 | 手紙

戦争を体験し、帰還され真摯な文面で敵国アメリカにも賞賛された「戦艦大和の最後」の著者吉田氏が生死を見つめてこの国を語っている内容は、私たちが過去の大戦から、多くの死を犠牲にしたあの大戦から何を学び何を次の世代に伝えていくのか、を常に問いかけています。或る人間は戦争鼓舞、或る人間は反戦意識として。しかし、単純に表面上のすぐ感情論にふりむけがちな見解として割り切れるものではないでしょう。やはり、神からの我々への視点、そして、ひとりひとりが真摯にキリストに出会わなければ、日本のこの国(いや、地上の人間)は、決して自己を語る言葉を持ち得ないように思うし、真の平和は訪れないように思われてなりません。

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「この病は死に至らず」(ヨハネ伝11:4)。それにもかかわらずラザロは死んだ。キリストの弟子たちが「われらの友ラザロ眠れり、されど我よび起こさんために行くなり」というキリストのその後の言葉の真意を理解しなかったときに、キリストは弟子たちに直截にこう語った、「ラザロは死にたり」(11:14)。かくてラザロは死んだ、にもかかわらずこの病は死にいたらなかったのである。ラザロは死んでしまった、にもかかわらずこの病は死に至っていない。

(「死に至る病」緒論より)

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キリスト者の希望は絶望に終わることがない。

26日は、「キリスト教における『死』への備え方と題して」教会修養会がもたれます。M先生に手紙が出せますことを、まずは主に感謝いたしたいと思います。社会の中で働かれ、その視線から神のご用をされているM先生には、ときおり思いだしてはいろいろと示唆を受けるように思われます。M先生とご家族、教会員の方々のご健康と神さまからの祝福を祈ります。     (2012/8/16)


世界のベストセラーを読む(714回) (その4)敬愛するM牧師に出した手紙

2020-09-07 18:05:35 | 手紙

 あの方は、もうそばに来ておられるのだ。・・・キリスト者は大いに奮起しなければなりません。

 学生時代に読んだ「死に至る病」(キエルケゴール著)の岩波文庫本(1995/6第75刷)が、この本の隣にあり暗い学生時代に読んだ赤く線が引かれた箇所が目にとまりました。おわかりのように人が地上の上に生存することの意味、その基準の根源をキリスト教は語っていることをキエルケゴールは語るのですが、「人間とは精神である。」という言葉から始まります。

「自己を精神として知らないところのすなわち神の前に自己を個人的に精神として知らないところのあらゆる人間的実存、自己を自覚的に神の上に基礎づけることなしに、ぼんやりと或る抽象的な普遍者(国家、国民等々)の中に安住ないしは没入していたり、或いはまた自分の自己についての自覚もなしに自分の才能をただ働きかけるための力としてだけ受け取ってそれがより深い意味においてどこから与えられたかも意識することなく、もしまたその自己が内面的に理解せられるほかはないような場合にはそれをただ不可解な或るものとしてだけ受け取っているようなあらゆる人間的実存、すべてこういう実存は、よしそれが何を(よし最も驚嘆すべきことを)実現しようとも、よしそれが何を(よし全存在を)説明しようとも。よしそれが自分の生活を審美的にいかに強烈に享楽しようとも、それは結局絶望である。(p74)」・・・続く


世界のベストセラーを読む(713回) (その3)敬愛するM牧師に出した手紙

2020-09-07 18:02:28 | 手紙

 われわれキリスト者は、この数行からも とくに毎年終戦の時期に(いやキリストの死を思う我々にとっては毎週と言ってよいでしょう)、多くに示唆を受けるように思うのです。吉田満氏の言われる「前の世代から受け継いできた唯一の資産」とは、何だったのでしょうか。その唯一の資産は架空の作り話の上に意図的に組み立てられてきたものではなかったでしょうか。それは、実際的に真実として検証され、きちんと自らの言葉でいつの時代も普遍的な事実として伝えられてきたものであったのでしょうか。しかも死を賭してまでも。それにしても何と多くの尊い命が犠牲になったことでしょう。 

 敗戦から67年が経ちました。日本の政治のあり方に、原発事故のことにつきましても、(飛躍して)不透明な経済のことにつきましても日本は敗戦を体験し何を学んだのだろうかと時折、疑問に思うことがあります。 

 第一にわれわれは、真摯に自己を見つめる言葉さえもっていないように思われます。私たちは言葉で最終的には意識し、考えるにもかかわらず、その訓練が意図的になされていない、愚衆はまとめやすいとの政治的な意図により、個人の見解をもたないように教育上の配慮が意図的になされて来たためかとも思われます。それは、やはり、自己を相対化する基準となる普遍的真理というようなものを持っていないことによると思われますが、日本が島国であり、周囲を海に囲まれ共にこの地上に住んでいる同類の異なる人間からの闘争意識にそれほど、脅かされてこなかったことに由来するかも知れません。インターネットにより瞬時に地球の裏側と連絡がとれる昨今においては、沈黙は金ではなく、真理はこれなりと常に積極的に言葉で発信していかねばならないものと思います。しかし、日本はその言葉の人間そのものを相対化する、言葉として普遍化する、その発信源を持っていないように思うのです。あるいは意図的に言葉にしないようにしている(基盤がないから)と考えてしまうのです。・・・続く


世界のベストセラーを読む(712回) (その2)敬愛するM牧師に出した手紙

2020-09-07 17:58:16 | 手紙

さらに、「散華の世代」の”戦争体験者の責任”と題する中に次のような文章がありました。少し長いのですが

「われわれは、戦争が人間の本性にどれほど深く食い込んでいるかを知り尽くし、したがって単に戦争の外形的な残虐さを強調するだけでは、戦争を防止するにいかに無力であるかをわきまえているはずである。戦争の悲惨さに対する嫌悪感、自分はいっさい戦争にかかわりたくないという逃避的な反戦意識だけで、平和を守りえないことは、歴史が照明している事実なのだ。戦争の悲惨さの実感に徹する以上は、自分だけが戦争から身を避けようとする姿勢ではなくて、自分の生活の中から「平和」に相反する行動原理を駆逐すること、何よりも人間を尊重し、人間の生活の重みをいつくしむこと、そのことのために、地道な潜心が積み重ねられるにちがいない。そこで、国家についての相対主義の制約を如何にするか。相対主義の壁が軽々に破られることは考えがたい。その枠の中で、日本には守るに値するものがなお内包されているとの前提に立って、日本がとるべき進路につきもっとも的確な方向の発見につとめること、そしてその進路の実現のために、自分の場に立って為しうるかぎりの役割を果たすことは可能と思われる。・・・われわれは日本の進路に対して、何の責任もなかったといえるのか。日本があの長い戦争の時期を通じて、一歩一歩微妙な段階へ通過するたびに、決定的な大戦争への道に傾いてゆくのを、自分なりの立場で阻止するために、指一つでも動かしたことがあっただろうか。およそそのようなことに、どれほどの関心を持っていたか。国の進路は作られ与えられたものでなくて、本来われわれ自身が作るべきものであったはずだ。(p195-195)」・・・続く


世界のベストセラーを読む(711回) (その1)終戦記念67回目にM牧師に出した手紙

2020-09-07 17:50:38 | 手紙

今年は終戦75年の年である。8年前にある敬愛する牧師に出した手紙を記録として残します。

御名を賛美致します。 

きょうは67回目の終戦記念日でした。昨日、実家から持って来ていた角川文庫の「戦艦大和(吉田満著)、だいぶ黄ばんでました(何十年も前に買ったものでしたが、昭和55年発行第2版)が、一気に読み終えてしまいました。同時にこの盆休みにいろいろな本を読み直してますが、キリスト者の僕としてはやはり、いつの時代も混迷の時代、「キリスト者の希望」について考えさせられております。とくに2011年、未曾有の東日本大震災があり19000人もの人命が失われ、原発問題も、いまだ混迷の中にあり、近隣諸国の政治的な動向もどうも気にかかるようなことばかりが起きているように思われます。

 冒頭から重い事を書きますが、ご存じのように吉田氏は戦艦大和から無事帰還された方ですが氏は「戦艦大和の最後」の以降に掲載されている「死によって失われたもの」に次のような文章を載せております。

「われわれ世代の不幸な宿命は、惜しむべき青春を愚劣な戦争と引きかえにしたことだけにあるのではない。最も忌避したい暴力のために、殉死しなければならないという矛盾にあるのでもない。前の世代から受け継いだ唯一の資産、それだけをよりどころとして育ってきた原理が究極には空しいことを予感したまま、散りはてたことにわれわれの非命は極まるのである。失われたものに、本来実るべき芽がないならば、今それをよみがえらすことはできぬ。われわれの世代に戦後を通じて明確な発言が乏しいのは、そのゆえであろう。(p206)」・・・続く