marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(727回) (その12)外なる人は壊るれど内なる人は日々新たなり

2020-09-10 18:16:20 | 手紙

最後に、私たちのこの地にプロテスタントの福音の種が蒔かれてから今年で128回目(注:今から8年前に出した手紙です)のクリスマスをお祝い致しました。東日本大震災を超え、2万人近くの亡くなった方や行方不明の方々が発生し、まもなく3月になりますと2年にもなろうとする現在、多くの方々が困難の中に過ごされております。その方々、そして日本にある、世界にあるキリストの教会の為に祈りたい。イエス様の十字架は空中にぼんやり浮かんでいるものではありません、又、私たちは頭だけの空回りであってはなりません。私たちが生活し、生き楽しみ、苦しんでいる、この今日のこの日に主はひとりひとりに楽しみと、苦しみとの意味を語りかけられていることを忘れてはなりません。そして、私たちは空中にぼんやり浮かぶ十字架ではなくこの私たちの立っている地上に2000年以上も前に建てられたのであるということをしっかり覚えなくてはなりません。私たちはその地に上に立っているのです。そして、生ける人にも、死ねる人にも、今も彼は、十字架にかかりつつ在るのを覚えなくてはなりません。とくに今年のクリスマスは次のことを強く思わされたことでした。
 クリスマス、キリストのミサとは、イエス様の死なれた十字架、それは私たちがみ国に入れるために身代わりとなって架けられた死刑に当たる貼り付け台でした。私たちが思うべきは、それが建屋の一番上に掲げられた教会で、イエス様の死の象徴としての十字架がかかげられたその教会で、その方の誕生をみんなでお祝いしているこという不思議、奇跡でありました。「死と誕生」。このことを深く思うことは、地上と天国を結ぶ永遠を思うことを意味することになるでしょう。キリストのミサ、この十字架という死の象徴を掲げる教会で、イエス様の誕生をお祝いしている一人ひとりをイエス様はしっかり覚えてくださったのではないでしょうか。・・・続く


世界のベストセラーを読む(726回) (その11)今生の優位を願ったあの裏切りユダは身内だった

2020-09-10 17:58:48 | 手紙

 これからの世界に対して我々は経済(のみ)というバビロンの支配に翻弄されて、結局のところ魂を失うことにならないように祈りつつ歩まねばなりません。今や、悪魔は生き場所を亡くして、現世に顔を出し始めてもがき始めているのが感じ取られる世界情勢となってきているではありませんか。最近は大変なあがきであるように思われてなりません。(エペソ 6:12)

 <悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて「もし、ひれ伏 してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。(マタイ4:8-10)>

その繁栄ぶりを見せて・・・「経済、景気」というのは、そもそも私たちが生きていく為の「手段」と「結果」にすぎないものでしょう。これが今や数値だけが飛び歩いて、人の感情まで左右しているのです。「目的」は何かと問われれば、さらなる上の指標を指し示せないこの国の知識人、文化人、いや結局、金を動かす権威のある政治家と言ってしまえるこの国の思考の根は、とても浅く、不安定なものと言わねばならないのです。気持ちを鼓舞させるが故に、「坂の上の雲」を流布させるが、坂の上にきたら雲をつかむような話であったということに気がつかねばなりません。これさえ、すこしく日本人に隠されている歴史を調べて見るならば、善しに付け悪しきにつけ世界に離散した神の民の働きがあったことは知られているところです。・・・続く


世界のベストセラーを読む(725回) (その10)昔、A牧師に出した手紙

2020-09-10 17:01:30 | 手紙

 実のところ、いかなる国の人といえども人が生きるのは詰まるところ宗教性、宗教観であろうと思います。(戦時中、俄にもかなりぎこちのない神道なるものがぶり返してきた理由も緊急時の内的精神のありようの統一の必要性が外敵に対して必要だったからでしょう)。それが解決されねば、結局、肉の思いと、動物的・遺伝的に制約を受けた、時代に影響を受けた流れの止まった記録としてのみに留まるだけではないでしょうか。(これも同 思想家中江兆民などは記録のみとなりましょう。=これに関しては添付資料が同封していた。)そしてそこからは普遍的な言葉をつむぎだすことは決してできないであろうと思います。小林秀雄の先に述べた「有機的連続をなさしめている或るもの」とは何か、それに触れたからこそ戦争体験者でキリスト者になった吉田満は「普遍性のある言葉」を残したのであろうと思うのです。

 さて、朝令暮改の政治家の言動において、世界的視野に立って、先の普遍的な視野に立って言動を決定して行かねば、(世界を支配される神の視点にたつ大いなるビジョンを待たなければ)、景気と言えども一時的カンフル剤としての数値だけの景気回復はあるでしょうが、いっそうの魂の閉塞状態となるように思わされてなりません。アブラハムは神の声を聴いたときに行き先を知らずに出発した。これは次元の異なる行き先でした。決して目先のことも何も盲目のまま投げやりに出発した訳ではありませんでした。経済がよくなれば本当に人が生涯をこの地上から去っていくことに良いことにもなると言えるのか(この国の繁栄を誰がイエスに見せたのか、我々は今一度たちどまって考える必要があります)。・・・続く

 


世界のベストセラーを読む(724回) (その9)「理性(知性)は情念の奴隷である」(D・ヒューム)

2020-09-10 04:39:40 | 手紙

日本の知識人の多くは被創造物としての人を言葉で解明してきたキリスト教ベースの言葉化されてきた(人間の心の在りようの言葉による解明をなしてきた)西洋の哲学(その思考方法としてです)に基本的に多くの助けを受け継いでいると思います。軒下を借りて母屋を乗っ取らず、それの触りで理解したつもりで又、自分の家に戻ってきてしまい満足するという塩梅を繰り返している訳です。言葉の宗教と言われるキリスト教ベースの哲学や心理学などを借用し、本来、その母屋まで入り込んで、悔い改めて真新しい人になればよいものを(簡単に書いてますがここが肝なのですが)、人間学の解明にヒントを得て、いい具合に自分の意見にその手段を用いますから、結論を見いだすのに結局、もやもやした何ら自制しないおかしな結論、自己満足、自己肯定化に満足してしまうようになる。被創造物としての人間は神の視点が無ければ、普遍的な神の視点、神の言葉という基準(カノン)を持ち得ず、時代や時代の趨勢で何とでも考えを変えてしまいおかしいとも思わない。そういう意味では、小林秀雄もフランス文学、ランボーやベルグソンに親しんでいたようですが、日本の心情に固執したすごい人でした。しかし、グローバル経済云々と言われる昨今ではやはり古典の部類に入っていってしまうのはやむをえないでしょう。あるいは、国家神道の亡霊のようにまた日本でブームになるやもしれませんが。・・・続く


世界のベストセラーを読む(723回) (その8)この国の知識人も西欧の思想家の言葉の訓練を受けている訳を

2020-09-10 04:35:20 | 手紙

 人は、神の似姿、被創造物であるという視点に立ち得ないこの国の知識人は、その人の結果としての評価はするが、そこまでで留まらざるを得ないという限界があるように思います。情的思考に流され易い東洋の人をうなずかせる言葉は、「解析」と「評論」で終わるのみだからです。人という者はこういう生き物なのだ・・・という解明、説得。一種の評論家気分にはなるが、実のところ実態は、その先、つまりその当事者である人はいかなる者か、そしてどうするのかを示せないからです。雰囲気で何となくの気分が大衆を動かしてしまうことに、むしろ人間とはこういう生き物であるを示して更にその方向性まで示さないことには、何ら多読をして教養を積んだ一般人と何ら変わることがないということになってしまうのではないでしょうか。 そういう意味では小林秀雄は日本人の心情に訴えかけるすごい評論家でした。「本居宣長」で日本文学大賞を受賞されましたが、それにしても古文があると読みにくい。「もののあわれ」が時代は遡って、本居宣長門下であった平田篤胤は、思想を変じて国家神道まで高めて(歪曲)られてしまいました。・・・続く