◆毎年、10月31日は宗教改革記念日である。宗教改革を行ったM・ルターは「キリスト者の自由」の最後に、「ヨハネの福音書」と「ガラテア人への手紙」を読んで欲しいと語っている。無論、自分の言葉でである。誰でもが読めるようにとルターはドイツ語に訳したのだから。今はインターネットなどで誰でもが組織的に聖書を学ぶことができるようになった。プロテスタントの牧師さん達、自分の言葉で聖書を読めるように信者を育てて欲しい。ご自分の勉強の成果は卒業してとうに次の時代に入ったのではないだろうか。◆「永遠の命の元へ」などというと何処かへ飛んで行ってしまう宗教オタクの言葉のようだが、決してそうではない。キリスト教というと宗教ジャンルの一つと思われるから本当は好ましく思わないのだが、無論、そういう地上の定義など超えたものである。読者がこれを読み、改めて目が文字を追って、読もうとしているその場にあるという自分という事実に関することだからである。◆それは、誰でもが「幽霊」などという言葉を知っているが実態が分からないように、命あるものには誰でも関係するものであるがイエス(キリスト)は「神は霊である」とはっきり言っているのであるから。神の言葉によれば、神の似姿に創造された「人」は神の最高傑作で、それは「霊」、その器である「肉(肉体のこと)」、そしてその一体となったその個々の個人の内なるものが「魂」と言われるようだ。◆これが本当かどうかは、読者の日々の心の満足に見られよう。目に見えない霊は多数、浮遊するが悪さもするし混乱もさせる。イエスは語る。「いつも、わたしの霊(聖霊)につながっていなさい」と。ここが、すべての原点である。というのは、こんな人に関するキリスト教の根本から、急に今のタイの民主化デモのニュースを目にして思わされたことは~ 続く