◆最終面に ”うたごころは科学する”という欄に***「真面目」を探し求めて***と題して詩人で科学者である坂井修一氏の、人が死を考えたくなるのはどういう心情なのかを考えさせる文書が載っていたので思うところを述べてみたい。最近も若い男優俳優や女優俳優の自殺がニュースとなっていたから・・・。日経は次のような文章だった。
◇高校生の夏休みの宿題に、夏目漱石の「こころ」と太宰治の「人間失格」を読んでの感想を述べよについてだったと。こころの先生も人間失格の葉蔵も自殺するのであったが、人格落差は覆いようもなく、先生は生真面目に対し葉蔵は自堕落なグレた不良であって、先生に共感するも後者は人生の落後者として感想文を書いたというのだ。それに対し当時の現代国語の教師が、次のように筆致で答えてくれたというのだ。それは一人の人間の声だったと。***「真面目・不真面目で言えば、葉蔵は真面目すぎるほどにまじめだったのではないですか。出自にもよりますが人は人生の諸事をまともに受けとめすぎると彼のようにならざるをえないのではないでしょうか。」***正確には覚えていないがこういう内容だったと思う。これはとても痛い言葉だった。人間の本性を真摯に見つめ続けることを真面目と言うならば「こころ」の先生も、「人間失格」の葉蔵も等しく真面目である。前者しか見ようとしない私は、人間としての自分が何であるかを本気で考えたことがなかったのではないか。そして何事にも上手な応答をして世間受けする優等生になりたがっている俗物なのではないか。社会にも個人にも深い闇があり、漱石にも太宰も、その闇を真剣に探り求めた。文芸とはそういう行為であり、試験でよい点を取るのとは、根本から違うのだった。・・・続く