冒頭「アメリカに何を学んだのか」と書きました。ぼくのいる当教会は1884年に宣教師が海を渡り、この地に福音をもたらされたことから始まりました。その当時、そしてそれ以前、宣教師たちのおられたアメリカはどうだったのだろうか。トクヴィルというフランスの思想家の名前が気になっていましたが、同じ課題で大陸の目線でアメリカを思索した著作があります。「アメリカのデモクラシー」。『トクヴィル 現代へのまなざし』(富永茂樹著 岩波新書)という本を正月に手にしました。今も変わらぬアメリカの商業主義、そしてデモクラシーの弊害まで、大陸での歴史を見据えた目線での思索は、今の私たちに多くの示唆を与えてくれているように思わされました。いつか、簡単にまとめてみたいものと思っております。(2013年正月の手紙はここで終わる)*****(追)新グローバル主義、市場経済で、2009年~2017年に渡った民主党のオバマ大統領の人選も僕が思うにイラン・イラク戦争に突っ走ったニューヨーク世界貿易センタービルの爆破、当時のブッシュ共和党大統領のアメリカ人の心の平衡を保つための偽りの演出解消のための路線変更とも思えるものだったのではないか。交代後のオバマ民主党時代、リベラルの考えはイエスの「許し」を強調し、現共和党は保守、律法重視の「法と秩序」を重んじる。「許し」では協調融和(これで中国は軒下借りて母屋をのっとりそれが今の米国の対抗路線となった)、人種差別撤廃などの緩みが強調され、保守共和党はその緩みすぎに枯渇していく実体経済の気づきにバックがユダヤ教徒がブレーンとなり,分断、自国第一の自覚を目指している。これは聖書の神学的解釈の2分にも相当するものだ。その解釈の違いが同じ聖書を信ずる者として政治に現れているようにも見える・・・というか、その解釈の実際的表れであるように思われてしまう。それは、個人の許しと律することの自覚に該当することに類似するだろう。旧約には神と悪魔とのあしらいの中に立ち上がり、あるいは立ち上がる国々の争いが描かれている。人が解釈する「許し」にも「法と秩序」を共著する分断にもいずれその隙間に悪霊が入り込むということだ。イエスの言葉に注意せよ、その意味を悟れ! 「自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」(ヨハネ伝11:25)・・・Ω
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