ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

吉ヶ平ダム

2024-05-09 08:00:00 | 福島県
2017年5月28日 吉ヶ平ダム
2024年4月13日
 
吉ヶ平(よしがだいら)ダムは福島県会津若松市湊町共和の阿賀野川水系原川左支流大清沢川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
会津若松市湊町は猪苗代湖西側の南北に延びる谷筋に位置しますが、猪苗代湖との間は山で隔てられ揚水技術のない時代は水利に乏しく、安定した水源確保は地域農家の宿願となっていました。
1964年(昭和39年)に大清水沢川源流にある陣馬湖という自然湖をダム化し灌漑用水源とする県営かんがい排水事業が着手、現地竣工記念碑では1969年(昭和44年)、ダム便覧では1972年(昭和47年)に吉ヶ平ダムが竣工し約600ヘクタールの水田への灌漑設備が整備されました。
ダムの管理は会津若松市湊土地改良区が受託し、ここで貯留された水はダム直下の頭首工で取水され吉ヶ平用水路を経由して受益農地に供給されます。
吉ヶ平ダムには2017年(平成29年)に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。
 
国道294号線から県道374号線に入ると吉ヶ平ダムを示す標識が現れます。これに従って左折すると右岸ダムサイトに到着します。
ダムサイトに建つ立入り規制板。


天端はダートですが車両の通行ができます。
かつては上流に数軒の集落があったようですが今は廃村。
下流面はきれいに草が刈られ今も貴重な水源であることが伺えます。

 
上流面は石積み護岸。

 
総貯水容量は125万3000立米と本州の農業用アースフィルダムとしては結構なサイズ。
向かって左側、ダム湖右岸沿いに別荘が並んでいます。
バブル期に別荘地として開発されたようですがデベロッパーはすでに破綻。
私有地のため立入り制限となっていますが、居住者がいるのかどうかは不明。

 
右岸の斜樋。

 
右岸の竣工記
一見監査廊入り口のような形状。

 
記念碑をズームアップ
裏面には諸元等の記載がありますが字が薄れて読み取り困難。

 
左岸の円形越流式余水吐
いわゆる『パイ生地型』。

 
余水吐の擁壁にはめ込まれた定礎石
こんなところに鎮座するのはちょっと珍しいかも?


ダム下に降りてみます。
堤体は犬走を挟んで2段、基部は石積みの擁壁。
手前側にわずかに雪が残ります。
左手のコンクリート構造物はドレーン施設。

余水吐導流部
一応ジャンプ台。


減勢工からそのまま大清水沢川となります。


右岸ダム下の底樋門
まだ灌漑期ではなく河川維持放流分だけ放流中。


すぐ先に頭首工の吞口が見えます。
取水された水は吉ヶ平用水路を経て約600ヘクタールの水田に灌漑用水を供給します。


ダムに至る道路が吉ヶ平用水路と交差しています。
非灌漑期なので水は流れていません。


0512 吉ヶ平ダム(1013)
福島県会津若松市湊町共和
阿賀野川水系大清水沢川
22.5メートル
190メートル
1253千㎥/1222千㎥
会津若松市湊土地改良区
1969年竣工(現地記念碑)
1972年竣工(ダム便覧)

東山ダム

2024-05-08 08:00:00 | 福島県
2017年5月28日 東山ダム 
2024年4月13日
 
東山ダムは左岸が福島県会津若松市門田町黒岩、右岸が同市門田町湯川の一級河川阿賀野川水系湯川にある福島県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
東山温泉を抜け会津若松中心部を東西に横断する湯川は古来より出水が多く抜本的な治水対策が求められていました。
一方高度成長期以降の人口増加や生活様式の変化を受け、会津若松市の都市用水需要が急増し安定した水源確保が喫緊の課題となっていました。
これを受け、福島県は湯川総合開発事業を採択し1982年(昭和57年)に竣工したのが東山ダムです。
東山ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、湯川の洪水調節(最大毎秒315立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持、会津若松市への上水道用水の供給を目的とし併せて河川維持放流を利用した管理用小水力発電も行っています。
また着工ベースでは日本で初めて堤趾導流壁を採用したダムとされています。
東山ダムには2017年(平成29年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時が記載してあります。
 
会津若松中心部から東山温泉の標識に従って県道325号線を南下、東山温泉街を抜けてさらに進むと東山ダムに到着します。
東山温泉の先右手にダム下へ通じる管理道路入口があります。
ゲートがあり立ち入りは微妙でしたが、ダム管理所に確認したら徒歩での立入りは規制していないとのこと。
ということでまずはダム下へ
入り口から約600メートル、歩くこと10分ほどでダム下に到着。
堤高70メートル、堤頂長275メートル
堤体は左岸側が折れています。
堤趾導流壁を採用しクレストには16門の自由越流頂が並びます。
(2024年4月13日)

 
常用洪水吐であるオリフィスゲートは洪水期と非洪水期の2門
このほか放流設備としてジェットフローゲートを装備
また河川維持放流を利用した管理用発電所があり、平時は小水力発電所経由で放流されます。
(2024年4月13日)

 
非洪水期(10月11日~6月20日)はEL396.5メートルが常時満水位
洪水期(6月21日~10月10日)はEL393.2が洪水期制限水位となります。
訪問時は非洪水期のため上部のオリフィスから越流中。
(2024年4月13日)

 
管理用発電所の水利使用標識。
(2024年4月13日)

 
ダムに通じる管理道路沿いには会津若松市向け上水道用水の水路管があります。
(2024年4月13日)

 
右岸ダムサイトに上がります。
管理事務所はスペースがないせいか基礎をコンクリートで固めバットレスで支える構造。
(2017年5月18日)

 
上流から遠望
右手は多段式取水設備
左はオリフィスゲート
ゴミ除けのスクリーンでよく見えませんが、右手の洪水期用ゲートはスライドゲートで塞がれています、。
6月20日~10月10日までの洪水期にはこのゲートが開けられます。
(2024年4月13日)
 
 
管理所および天端への入口
ここから先は車両進入禁止。
(2024年4月13日)

上水道用水の水利使用標識
ダムで直接取水され導水管で浄水場に送られます。
(2024年4月13日)

 
管理事務所わきの竣工記念碑。
(2024年4月13日)

 
ダムの概要説明板。
(2024年4月13日)

 
下流面
着工ベースでは日本で最初に導流された堤趾導流壁
今どきのがっつりした堤趾導流壁と比べるとフーチングの幅や導流壁の厚さがかなり華奢。
(2017年5月18日)

 
天端は徒歩のみ開放。
(2024年4月13日)

 
天端からダム下を見下ろす
減勢工右手奥が管理用発電所、手前は放流設備となるジェットフローゲート
基本河川維持放流は発電所経由で行われます
左手には『東山ダム』の植栽
完成から40年以上経過していますが、手入れが行き届いているのか?東山ダムの文字がきれいな状態に保たれています。
(2024年4月13日)

 
ダム湖は総貯水容量1250万立米
『湯の入湖』と命名されています。
東山温泉から上流を『湯の入』と呼んだことに由来します。
(2017年5月18日)

 
左岸の艇庫とインクライン
残念ながら左岸側の道は落石の恐れがあるため全面通行止め。
(2017年5月18日)


左岸から
堤体が折れているのがよくわかります。
こちらから見ても堤趾導流壁とフーチングがか細い。
(2017年5月18日)

東山ダムのホームページではダムのパンフレットがアップされています。
詳しくはリンクをご覧ください。
 
(追記)
東山ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0520 東山ダム(1012)
左岸 福島県会津若松市門田町黒岩
右岸       同市門田町湯川
阿賀野川水系湯川
FNW
70メートル
275メートル
12500千㎥/11500千㎥
福島県土木部
1982年
◎治水協定が締結されたダム

田島ダム

2024-05-06 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 田島ダム
2024年4月13日
 
田島ダムは福島県南会津郡南会津町高野の阿賀野川水系高野川にある福島県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国土交通省)の小規模ダム事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、高野川の洪水調節(最大毎秒35立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、旧田島町への上水道用水の供給を目的として1998年(平成10年)に竣工しました。
田島ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載する写真はすべて再訪時のものです。
 
会津田島市街から国道400号を北上すると右手に田島ダムが見えてきます。 
まずはダム下へ。
堤高36メートルに対し堤頂長200メートルの横長堤体。
洪水吐は堤体左岸側に寄っています。
ダム下は公園として整備され遊歩道や東屋が設けられています。


減勢工から
洪水吐はクレスト・オリフィスともに自由調節のゲートレス
融雪期ということでオリフィスから越流しています。

 
右手は放流設備
左手に監査廊入り口があり、堤体に直接触れることができます。
ダム下公園から右岸ダムサイトまで遊歩道が続いており今回は歩いて天端へ向かいました。


右岸ダムサイトから


ダムの説明板


天端は車両通行可能。


上流面
建屋は選択取水設備機械室。


右岸の舟鼻湖の石碑。


その舟鼻湖は総貯水容量52万3000立米
奥に貯砂ダムがあり、その先を国道400号線が跨ぎます。


貯砂ダムをズームアップ
湖岸には桜が植えられており、花の季節はもっと艶やかな眺めになるんでしょう。


天端から減勢工を見下ろします。
オリフィスの放流とは別に放流設備から河川維持放流が行われています。


生活貯水池ダムではおなじみ、ダムのすぐ下流に田島浄水場があります。
日量1500立米を浄水します。


左岸から上流面
建屋はエンジの早稲田カラーで統一
対岸は管理事務所ですが、職員は巡回のみで平時は常駐はありません。


上流の国道400号浅市大橋から遠望

(追記)
田島ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

3008 田島ダム(0407)
福島県南会津郡南会津町高野
阿賀野川水系高野川
FNW
36メートル
200メートル
523千㎥/451千㎥
福島県土木部
1998年
◎治水協定が締結されたダム

三ツ森ダム

2024-01-22 08:00:00 | 福島県
2016年 4月10日 三ツ森ダム
2023年 3月17日
2023年12月14日
 
三ツ森ダムは福島県安達郡大玉村玉井の阿武隈川水系七瀬川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
安達太良山南東麓に位置する大玉村は透水性の高い扇状地のため水利に乏しく、渇水時には激しい水争いが勃発するなど灌漑施設の整備が強く求められてきました。
これを受け1939年(昭和14年)に県営農業水利事業により建設されたのが三ツ森ダムです。
貯水容量72万立米は当時は福島県の灌漑用貯水池としては最大規模を誇り、ダムの完成により大玉村は中通り有数の稲作地帯となります。
管理は大玉土地改良区が受託し、約700ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
しかし2011年3月11日の東日本大震災により堤頂部に全長130メートルの亀裂が入るなど被災、貯水池の水を抜くとともに一時七瀬川下流住民に避難指示が出る事態となりました。
2012年(平成24年)に県営災害復旧事業等が着手され、2015年(平成27年)に竣工、翌年より運用が再開されています。
三ツ森ダムには運用再開直後の2016年(平成28年)4月に初訪、震災から12年、13回忌に当たる2023年3月に再訪、さらに非灌漑期で水が抜かれた同年12月に3度目の訪問をしました。
天端やダム下は立ち入り禁止となっていますが、2度目と3度目の訪問時はともに管理する土地改良区の職員さん同行での見学が叶いました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
また見学の詳細については別項の三ツ森ダム見学をご覧ください。
 
本宮から県道146号を西進し、大玉カントリークラブを過ぎると左手に三ツ森ダムが見えてきます。
奥が堤体で堤頂長は205メートル、足元に斜樋があります。
復旧工事では、既設堤体の上流面に傾斜コアを設置するとともに上流面全体と下流面下部に盛土を施し補強が行われました。
もともと上流側は石積み護岸でしたが、復旧事業によりコンクリート護岸になっています。
(2023年3月17日)

再訪時は水が抜かれていたので、上流面の盛土補強部分がよくわかりました。
(2023年11月14日)

天端
東日本大震災によりここに長さ130メートル、深さ4~5メートルの亀裂が入りました。
(2023年3月17日)


天端からダム下を見下ろす
堤体下部も復旧工事により土が盛られました。
(2023年3月17日)

左岸の斜樋。
取水ゲート6門をここで操作します。
(2023年3月17日)

再訪時は水が抜かれた貯水池内へも立ち入らせていただきました。
下から斜樋を見上げます。
もともとここには取水ゲートのほかに土砂吐ゲートがありましたが、復旧事業の際に撤去移設されました。
(2023年11月14日)


こちらは貯水池中ほどにある土砂吐ゲート。
復旧事業の際に従来より上流側に新設されました。
(2023年11月14日)

ダム湖
当所は総貯水容量72万立米でしたが、復旧工事で堤体に盛土が施された結果67万4000立米に減じました。
湖畔を県道146号線を通ります。
バブル期にダム周辺でのリゾート開発が進められましたが、バブル崩壊でとん挫。
結果、豊かな自然が残っています。
(2023年3月17日)

ダム湖
非灌漑期で水が抜かれ空っぽ。
例年灌漑期終了後に水を抜き12月から貯留を始めるのですが、今年は底樋に土砂が滞留したため流水で流下させるため12月半ばまで低水管理が続いたそうです。
(2023年11月14日)


大きく湾曲した右岸の横越流式洪水吐
1980年(昭和55年)の整備事業で改修されました。
洪水吐は震災での被災はありませんでした。
(2023年3月17日)

こちらは再訪時の洪水吐
(2023年11月14日)


1980年(昭和55年)の改修で洪水吐の深さは従来の2メートルから5.6メートルに掘り下げられ、放流能力が大幅にアップしました。
(2023年3月17日)


洪水吐導流部
上に量水計が設置されています。
流下しているのはドレーンからの水。
(2023年3月17日)


洪水吐導流部と減勢工。
(2023年3月17日)


左岸ダム下の取水設備からの樋門。
灌漑補給は4月中旬からのため、訪問時は河川維持放流のみ。
(2023年3月17日)


灌漑用放流ゲート。
(2023年3月17日)


左岸ダム下から
ここから見ると復旧事業で堤体下部に土が盛られたのがよく見てとれます。
(2023年3月17日)

ダムの下流約1キロにある長井坂円形分水
ここで安達太良川と百日川に分水されます。
かつて激しい水争いが展開されてきた結果、視覚的に公平感が実感できる円形分水が設置されました。
通水は4月中旬から。
(2023年3月17日)


(追記)
三ツ森ダムはは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0480 三ツ森ダム(0308)
ため池データベース 073220007
福島県安達郡大玉村玉井
阿武隈川水系七瀬川
28.8メートル
205メートル
674千㎥/666千㎥
大玉土地改良区
1939年
◎治水協定が締結されたダム

松ヶ房ダム

2023-12-28 16:35:33 | 福島県
2017年 5月28日 松ヶ房ダム
2023年11月 3日
 
松ヶ房(まつがぼう)ダムは左岸が福島県相馬市山上、右岸が宮城県伊具郡丸森町筆甫の宇多川水系宇多川本流にある灌漑目的のロックフィルダムです。
浜通り北部に位置する相馬市や新地町は地味は豊かながら水利に乏しく干ばつが常習化し、安定した水源確保は地域農家の悲願となっていました。
これを受け1978年(昭和53年)に福島県営かんがい排水事業相馬地区が着手され、その灌漑用水源として1997年(平成9年)に竣工したのが松ヶ房ダムです。
運用開始後は相馬市が管理を受託し約2800ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
ダムの完成や灌漑設備の整備により当地域での慢性的水不足は大いに改善されました。
松ヶ房ダムは福島・宮城県境にありますが、左岸が福島県ということでダム便覧には福島県のダムとして掲載されています。
また宇多川の流域の大半を福島県で占めており受益地も福島県となりますが、福島県の施設でありながら管理事務所は右岸の宮城県側にあります。

松ヶ房ダムには2017年(平成29年)5月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
東北中央自動車道相馬山上インターから北西に約9キロ、車で15分ほどで松ヶ房ダムに到着します。
初回訪問時はダム下に立ち入ることができました。
堤高46メートル、堤頂長242.7メートルのロックフィルダムで右岸に洪水吐があります。
この時はダム下には除染物質が積まれここが福島であることを思い知らされました。
(2017年5月28日)

 
右岸から
ダムサイトには駐車スペースが設けられ植栽が並びます。
(2023年11月3日)


事業説明版と竣工記念碑
(2023年11月3日)

 
洪水吐斜水路と減勢工。
減勢工はシュートブロック、バッフルピア、エンドシルの減勢工3点セット装備。
(2023年11月3日)

 
横越流式洪水吐。
(2023年11月3日)

 
上流面と取水設備。
(2023年11月3日)

 
管理事務所
福島県の施設ですが建っているのは宮城県。
玄関横に定礎石が置かれています。
(2023年11月3日)

 
農業用ダムとしては珍しく管理事務所内は資料室になっています。
(2023年11月3日)

 
(2023年11月3日)

 
天端からダム下を望む
手前が洪水吐減勢工
右奥が放流設備
灌漑用水は宇多川に放流されたのち、下流の頭首工で取水され受益農地に供給されます。
(2023年11月3日)

 
建設着手がバブル期だったこともあり、花崗岩の高欄やガス灯風の照明など意匠も手が込んでいます。
(2017年5月28日)

 
ダムは福島・宮城県境を跨ぎます。
斜めの白い線が境界線。
(2023年11月3日)


左岸から下流面
やや草が目立つものの農業用ロックフィルダムとしてはきれいに管理されている方でしょう。
(2017年5月28日)

 
天端は舗装されていますが車両は進入禁止
徒歩のみ開放。
(2023年11月3日)

 
総貯水容量は971万立米と本州の農業用ダムとしては屈指のスケール。
宇多川湖と命名されています。
(2023年11月3日)

 
取水設備をズームアップ
スクリーン一体型の斜樋。
(2023年11月3日)

上流から遠望
再訪時は灌漑期が終わり水位は低め。
(2023年11月3日)
 
(追記)
松ヶ房ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0529 松ヶ房ダム(1009)
左岸 福島県相馬市山上
右岸 宮城県伊具郡丸森町筆甫
宇多川水系宇多川
46メートル
242.5メートル
9710千㎥/9200千㎥
相馬市
1997年
◎治水協定が締結されたダム

金沢調整池副堤

2023-04-03 18:00:00 | 福島県
2015年12月20日 金沢調整池副堤
2023年 3月19日
 
金沢(かねざわ)調整池副堤は福島県郡山市田村町金沢の阿武隈川水系上石川左支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
金沢調整池三春ダムを水源とした農業用水の調整池で、郡山市東部土地改良区が管理をしています。
調整池がサーチャージ水位まで貯留した際に貯水池南側から水が溢れてしまうため、主ダムのほかに高さ22メートル、全長152.2メートルの副ダムが設けられています。
金沢調整池副堤には2015年(平成27年)12月に初訪、2023年(令和5年)3月に再訪しました。
写真は日時記載以外はすべて再訪時のものです。
 
堤体は犬走を挟んで2段構成
手前の建屋は浸透水観測所。


副ダムのため洪水吐はありません。


天端はアスファルト舗装されていますが、ゲートがあり徒歩のみ開放。


天端から
副堤周辺は郡山市東部森林公園として整備されましたが、現在除染物資の仮置き場となっており公園は立ち入り禁止。
ダム直下には駐車場もありますが閉鎖中。


貯水池越しに主堤と管理棟を遠望
管理棟は郡山市東部土地改良区の事務所になっています。


ズームアップ。


上流面はロック材で護岸。(2015年12月20日)
 
主堤から遠望。
 
3346 金沢調整池副堤(0131)
福島県郡山市田村町金沢
阿武隈水系上石川
22メートル
152.2メートル
1371㎥/1331㎥
郡山市東部土地改良区
2001年

金沢調整池

2023-04-02 18:00:00 | 福島県
2015年12月20日 金沢調整池
2023年 3月19日
 
金沢(かねざわ)調整池は福島県郡山市田村町金沢の阿武隈川水系上石川左支流にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
郡山市東部の阿武隈川右岸丘陵地は年間降水量1200ミリの少雨に加え複雑な地形が災いし、農家の大半は零細な営農を余儀なくされていました。
1979年(昭和54年)に農水省による国営農地開発事業郡山東部地区が着手され、同省は建設省の三春ダム建設事業に参加し特定灌漑容量を確保するとともに、新規農地開発・圃場整備・灌漑施設の整備が進められその調整池として2001年(平成13年)に竣工したのが金沢調整池です。
農業水利事業全体も2004年(平成16年)に竣工し、郡山東部地区約1500ヘクタールへの用水補給が開始されました。
管理は併せて建設された高柴調整池 などとともに郡山市東部土地改良区が受託しています。
金沢調整池は郡山市東部地区約1500ヘクタールの農地のうち南部の約1000ヘクタールを受け持ち、余剰期に揚水して貯留し、水量不足時及び三春ダムでの取水が中断される4月に用水補給します。
また金沢調整池は重力式コンクリートの本ダムとアースフィルので構成されていますがここでは本堤のみ取り上げ、については別項で記載することにします。
金沢調整池には2015年(平成27年)12月に初訪、2023年(令和5年)3月に再訪しました。
写真はすべて再訪時のものです。

ダム下から
洪水吐はクレスト自由越流頂2門だけで手前は放流設備。
集水の大半は三春ダムからの導水により事実上の河道外貯水ダムのため、簡易な洪水吐で十分なようです。 


ダム下の金沢揚水機場
三春ダムから導水された水を金沢調整池および末端の幹線水路に揚水します。


右岸ダムサイトには管理棟を兼ねた福島市東部地区土地改良区の事務所があり、門前に説明板や記念碑が建てられています。


天端は徒歩のみ通行可能で、周回道路で貯水池を一周できます。


右手の建屋は取水及び導水操作室
湖面に浮かぶのがヒンジパイプ昇降型フロート式取水設備。


ヒンジパイプ昇降型フロート式取水設備をズームアップ。
水中に『く』の字型の昇降機があり水位に合わせて表層取水を行います。


天端から
右手は放流設備、奥は金沢揚水機場。

総貯水容量137万1000立米の調整池
4月は三春ダムでの取水が一時的に中断されるため、それに備えてほぼ満水。


貯水池の対岸にある


左岸から
堤頂長247.8メートルの横長ダム。


上流面
堤体にビルトインされているのが取水及び導水操作室
右手に浮かぶのがヒンジパイプ昇降型フロート式取水設備。

から遠望
右手の建物が郡山市東部土地改良区事務所で、ここで灌漑設備全般の管制を行います。

貯水池周辺は郡山市東部森林公園として整備されており、本来なら市民の憩いの場となるはずです。
しかし、公園が除染物資の仮置き場となっているため今は使用禁止となっています。

0532 金沢調整池(0130)
福島県郡山市田村町金沢 
阿武隈水系上石川 
 
 
30.8メートル 
247.8メートル 
1371㎥/1331㎥ 
郡山市東部土地改良区 
2001年 

高柴調整池

2023-04-01 18:00:00 | 福島県
2016年4月10日 高柴調整池
2023年3月19日
 
高柴調整池は福島県郡山市西田町高柴にある灌漑目的のアースフィルダムです。
郡山市東部の阿武隈川右岸丘陵地は年間降水量1200ミリの少雨に加え複雑な地形が災いし、農家の大半は零細な営農を余儀なくされていました。
1979年(昭和54年)に農水省による国営農地開発事業郡山東部地区が着手され、同省は建設省の三春ダム建設事業に参加し特定灌漑容量を確保するとともに、新規農地開発・圃場整備・灌漑施設の整備が進められその調整池として2001年(平成13年)に竣工したのが高柴調整池です。
農業水利事業全体も2004年(平成16年)に竣工し、郡山東部地区約1500ヘクタールへの用水補給が開始されました。
管理は併せて建設された
金沢調整池 などとともに郡山市東部土地改良区が受託しています。
高柴調整池は郡山市東部地区約1500ヘクタールの農地のうち北部の約500ヘクタールを受け持ち、余剰期に揚水して貯留し、水量不足時及び三春ダムでの取水が中断される4月に用水補給します
高柴調整池には2016年(平成28年)4月に初訪、2023年(令和5年)3月に再訪しました。
写真はすべて再訪時のものです。
 
ダム下から
堤高24.3メートルと言うことですが、見た目の高さは15メートルほど
基礎岩盤からの高さが24.3メートルと言うことなんでしょう。


右岸ダムサイトの説明板


右岸の洪水吐
非常に珍しいシャフト式(竪坑落下式)洪水吐で、竪坑から隧道で南側を流れる大平川に流下します。
同じタイプの洪水吐を持つダムとしては香川の逆瀬池があります。


アングルを変えて
竪坑の先は隧道になっており越流した水は池の南側を流れる大平川に流下します。


下流面は犬走を挟んで2段構成
秋冬に草が刈られたようですが背の高い枯れ草が残っています。
堤体への立ち入りを阻止するために敢えて背丈を残して刈っているのか?


天端
わずかに轍が残っていますが、今は車両進入禁止。


総貯水容量11万5000立米と小ぶりな溜池サイズ。
貯留のほぼすべては三春ダムからの導水によります。
4月の三春ダムでの取水の一時中断に備えてほぼ満水。


ダム下の調圧水槽。

上流面はロック材で護岸
奥に斜樋が見えます。
左手は一般の民家。


左岸上流側から洪水吐と斜樋
斜樋の右手に細い水路は流入口。
三春ダムからの導水はここから流入します。


ダムの南約600メートルにある高柴揚水機場
余剰期にはここから調整池に揚水し、不足期には調整池から水を逆行させ補給します。

0534 高柴調整池(0307)
福島県郡山市西田町高柴
阿武隈川水系大平川
24.3メートル
128メートル
115千㎥/111千㎥
郡山市東部土地改良区
2001年

岩部ダム

2023-03-31 18:00:33 | 福島県
2023年3月19日 岩部ダム
 
岩部(がんべ)ダムは福島県相馬郡飯館村飯樋の新田川水系飯樋川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
飯館村から南相馬市原町区を横断する新田川は古くから流域の灌漑用水源となっていましたが、水量が不安定で渇水による干ばつ被害が多く灌漑設備の整備が強く求められていました。
これを受け農林省(現農水省)の補助を受けた福島県のかんがい排水事業により1962年(昭和37年)に竣工したのが岩部ダムです。
管理は南相馬土地改良区が受託し飯樋川および新田川流域の水田に灌漑用水を供給しています。
東日本大震災によるダムへの直接的被害はありませんでしたが、ダムのある岩部地区が一時居住制限地域だったこともありダムの劣化や機能低下が顕著となり2022年(令和4年)にかけて農山村地域復興基盤総合整備事業(水利施設整備事業)岩部地区による大規模復旧工事が実施されました。
なおダム便覧では竣工年度が1965年(昭和40年)となっていますが、ここでは竣工記念碑に刻された1962年(昭和32年)を竣工年度とします。
 
今回は3月にもかかわらず降雪があり雪景色の中での見学となりました。
ダム下から。
右手は放流設備、右岸(向かって左手)に洪水吐斜水路が見えます。


洪水吐をズームアップ。


駐車場のある右岸に向かいます。
竣工記念碑が建っていますが、摩耗が激しく解読が難しい。
天端は車道ですが、バリケードが張られ通行禁止。


洪水吐導流部
このあと2枚目写真の斜水路へと流下します。


横越流式洪水吐
満水で越流しています。
直近の復旧工事で漏水対策などが施されました。


洪水吐越しのダム湖
総貯水容量88万立米で4月半ばからの通水に備えて満水。
令和4年までの復旧工事中は水を抜いて低水運用が続いていたため、久しぶりの満水となります。


左岸の取水塔。


洪水吐越しの上流面。


次に左岸に回ります。
堤高は23.1メートル
浜通りの相双葉地区としては珍しく3月の降雪で雪化粧となりました。


上流面はコンクリートで護岸。
こちらも直近の復旧工事で刷新されました。


湖岸から取水塔を見下ろします。
四角形だと思ったら六角形でした。


0502 岩部ダム(1965)
福島県相馬郡飯館村飯樋
新田川水系飯樋川
23.1メートル
119メートル
880千㎥/880千㎥
南相馬土地改良区
1962年

万右ェ門溜池

2023-03-30 18:00:17 | 福島県
2023年3月19日 万右ェ門溜池
 
万右ェ門溜池は福島県双葉郡大熊町野上の熊川水系万右ェ門川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1935年(昭和10年)に大野土地改良区の事業で竣工と記されており、土地改良区の前身である耕地整理組合の事業で建設されたものと思われます。
戦後の土地改良区の統合で大熊町土地改良区が管理していましたが、2011年(平成23年)3月の原発事故により大熊町の大半で避難指示が出されたことで灌漑用貯水池としての運用を停止、低水管理を実施するとともに管理は大熊町に移されています。
その後大熊町の避難指示は逐次解除されていますが、2023年3月の訪問時点で受益農地の過半が帰還困難地域となっていることから低水管理が継続されています。

国道288号からダムに通じる林道入口に『万右ェ門ため池』の標識があります。


林道を進むと溜池右岸に到着。
天端は車道で車の通行もできます。


右岸の横越流式洪水吐。


総貯水容量25万7000立米の貯水池
原発事故以降10年以上にわたり低水管理が続き、貯水池には樹木が侵入しています。


左岸の斜樋操作建屋
建屋の下には竣工当時のものと思われる石積の擁壁が残っています。


原発事故以来灌漑用貯水池としては機能していませんが、下流面は草が刈られ堤頂部は養生が施されています。
将来受益地域への帰還が叶うときに備え、管理が行われているようです。


上流面も定期的に草刈りが行われているようです。


左岸の斜樋
10年以上使用されておらず、錆付きご覧のありさま。




堤高20メートルの堤体。


左岸の底樋門
低水管理のため流入量はそのまま放流されています。


洪水吐導流部。


受益地域の大半がいまだに帰還困難地域のため、灌漑用貯水池としては機能していません。
しかし、大熊町の避難指示も漸次ではありますが解除が進んでいます。
来るべき運用再開に備え、きちんと管理されているのが伺えます。

0471 万右ェ門溜池(1964)
ため池コード 075450001
福島県双葉郡大熊町野上
熊川水系万右ェ門川
20メートル
69メートル
257千㎥/257千㎥
大熊町
1935年

舘山溜池

2023-03-29 17:56:41 | 福島県
2023年3月19日 舘山溜池
 
舘山溜池は左岸が福島県双葉郡富岡町大菅、右岸が同町上手岡の熊川水系熊川右支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1940年(昭和15年)に耕地整理組合の事業で竣工と記されており、管理は耕地整理組合を引き継いだ富岡町土地改良区が行っています。
2011年(平成23年)3月の原発事故により、富岡町全域が避難地域となり受益農家が一時的に消滅、訪問した2023年(令和5年)3月19日時点でも受益地の大半が帰還困難区域となっており貯水池の水は抜かれ低水管理が続いていました。
しかし、訪問直後の同年3月22日に同年4月1日をもって受益地となる富岡町大菅、夜の森、桜地区等の避難指示解除が発表されたことで、今後受益農家の帰還に合わせて舘山溜池の運用再開が期待されます。

天端には道路が通っていましたが、今は陥没して通行は不能。
左右両側にバリケードが置かれています。
写真は左岸のバリケード。


左岸の越流式洪水吐。


洪水吐導流部
溜池直下の杉林を抜けてゆきます。


総貯水容量123万3000立米(ため池データベース)の貯水池。
本州の灌漑用溜池としてはかなり大規模。
原発事故以来受益農地が避難地域となっていたため、水が抜かれ低水管理が続いています。


右岸の斜樋。


手前に土砂吐があり、流入量はそのまま放流されています。
奥の設備や左手の小さな池はよくわかりません。


下流面
秋冬に草が刈られたようで、溜池としてはきちんと管理されています。


右岸からの天端。
道路は陥没していますが、道路わきの草もきれいに刈られています。


上流面はコンクリートで護岸。


丸太小屋風の斜樋操作室。


草が刈られた下流面
ダム下に下りましたが底樋管は見つかりませんでした。
たぶん杉林のさらに下流にあると思われます。


復旧事業により既に灌漑用貯水池としての機能は確保されています。
訪問直後に受益地となる大菅、夜の森、桜地区等の規制が解除されました。
今後受益農家の帰還に伴って灌漑用貯水池としての運用再開が期待されます。

0467 舘山溜池(1963) 
ため池コード 075430017 
左岸 福島県双葉郡富岡町大菅
右岸        同町上手岡
熊川水系熊川右支流
20メートル(ため池データベース15メートル)
155メートル(ため池データベース160メートル)
1286千㎥(ため池データベース1233千㎥)/1286千㎥
富岡町土地改良区
1940年 

千軒平溜池

2023-03-28 17:53:53 | 福島県
2023年3月19日 千軒平溜池
 
千軒平溜池は福島県いわき市四倉町八茎の仁井田川水系仁井田川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
いわき市四倉町の仁井田川流域は水源となる仁井田川の水量が不安定で、渇水による干ばつ被害が多発しており戦前より灌漑設備の整備が強く求められていました。
戦後の食糧難を受け、1948年(昭和23年)に県営かんがい排水事業が採択され1959年(昭和34年)に竣工したのが千軒平溜池ダムです。
運用開始後は千軒平溜池土地改良区が管理を受託し約500ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
名称は千軒平溜池ですが、福島県のため池データベースへの記載はなく『農業ダム』に分類されるようです。
ダムへの入り口には立ち入り禁止を示す標識がありチェーンが張られていますが、今回は事前に千軒平土地改良区の許可を得て立ち入りました。

仁井田川沿いの県道343号八茎四倉線を北上、八茎鉱山跡を過ぎると三叉路になっている林道入口に到着します。
ゲートはありませんがここから先は一般車両進入禁止のため徒歩となります。


三叉路に建つ千軒平ダムの説明板。


三叉路から150メートルほど進むと溜池への入口が現れます。
写真のように関係者以外立ち入り禁止が表記されチェーンが張られています。
今回は事前に土地改良区の許可を得ております。


右岸ダムサイトに建つ記念碑
竣工10周年を記念して建立され、溜池建設に至る経緯が刻されています。


堤頂長127メートルの天端。


右岸の横越流式洪水吐。


総貯水容量86万5000立米の貯水池
冬場に水が抜かれるますが、灌漑期を控えてほぼ満水まで貯水されています。


左岸から天端と下流面
きれいに刈り込まれており、貴重な水源であると伺えます。
下流側にはイノシシ除けの電柵が張られています。


斜樋。


斜樋のシャフト。


上流面はコンクリートで護岸。


堤体中央の階段でダム下へ。


ダム下の底樋樋門。
非灌漑期のため河川維持放流だけ流されています。

0496 千軒平溜池(1962)
福島県いわき市四倉町八茎
仁井田川水系仁井田川
25.5メートル
127メートル
865千㎥/865千㎥
千軒平溜池土地改良区
1959年

藤沼副ダム(再)

2023-03-25 18:00:41 | 福島県
2023年3月17日 藤沼副ダム(再)

藤沼副ダム(再)は福島県須賀川市江花にある藤沼ダム(再)の副ダムです。
2011年3月11日の東日本大震災により藤沼ダム主堤体が決壊、150万トンの水が一気に流下し8人の死者を出す大惨事となりました。
2013年(平成25年)より県営災害復旧事業等によるダム再開発事業が着手され、2019年(令和元年)に主ダムの藤沼ダム(再)と副ダムの藤沼副ダム(再)が竣工しました。
復旧以前の副ダムは堤高が10.5メートルと河川法上のダムの要件を満たしておらずダム便覧には未掲載でした。
しかし、復旧事業においてはより安全度の高い基礎岩盤までの掘削が行われた結果、天端標高は旧ダムと変わらないものの、堤高が18メートルに嵩上げされ、新たにダム便覧に掲載されました。

主ダムの藤沼ダム(再と副ダムの藤沼副ダム(再)の位置関係
赤が主ダム、緑が副ダムになります。

ダム下から。


主ダムの藤沼ダム(再)と同様にダム下地中に『浸透水観測室』が設置され、これはその入り口です。


堤体は中段の広い踊り場を挟んで2段構成。
決壊の反省から厚めに盛土されています。


左岸ダムサイトの竣工40周年記念碑。


天端から
中央のコンクリートが『浸透水観測室』入り口。


天端はダム周回道路が通り車両通行もできます。


主ダム藤沼ダム(再)同様、上流面には砂利石が敷かれています。


副ダム右岸上流から
右手が藤沼副ダム(再)、左奥が主ダムの藤沼ダム(再)

藤沼ダムには3か所の取水工があります。
これは藤沼副ダム(再)左岸上流側にある2号取水工。


藤沼副ダム(再)右岸上流側にある3号取水工。

3684 藤沼副ダム(再)(1961)
福島県須賀川市江花
阿武隈川水系簀ノ子川右支流
18メートル
86.8メートル
1500千㎥/1480千㎥
江花川沿岸土地改良区
2019年

藤沼ダム(再)

2023-03-24 18:00:00 | 福島県
2016年4月24日 藤沼ダム(再)
2023年3月17日

藤沼ダム(再)は福島県須賀川市江花の阿武隈川水系簀ノ子川右支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
須賀川市の江花川および簀ノ子川流域は地味は豊かながら河川の流域面積が小さいため渇水が多く灌漑施設の整備が強く求められてきました。
これを受け1937年(昭和12年)に県営事業として藤沼貯水池建設事業が着手されますが、戦況悪化に伴う人員物資不足等によりに事業は一時中断、着工から12年目の1949年(昭和24年)に藤沼ダム(元)が竣工しました。
管理は江花川沿岸土地改良区が受託し、江花川および簀ノ子川流域約830ヘクタールの水田に灌漑用水供給しています。
その後、ダム湖周辺は日帰り温泉やキャンプ場、欧州風コテージなどを備えた藤沼湖自然公園として整備され、年間10万人が利用する人気スポットとなり、藤沼湖はため池百選にも選ばれました。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災により堤体が決壊、150万トンの水が一気に流下し8人の死者を出す大惨事となりました。
地震による貯水池・農業用ダムが決壊して死傷者が出たのは、世界的に見ても1930年以来例がなく非常にまれな災害となりました。
2013年(平成25年)に県営災害復旧事業等によるダム再開発事業が着手され、2019年(令和元年)に主ダムの藤沼ダム(再)と副ダムの藤沼副ダム(再)が竣工しました。
藤沼ダム(再)には建設工事中の2016年(平成28年)4月に初訪、震災から12年、13回忌に当たる2023年3月に再訪しました。

主ダムの藤沼ダム(再)と副ダムの藤沼副ダム(再)の位置関係
赤が主ダム、緑が副ダムになります。


先ずは主ダムのダム下へ
ダム直下は立ち入り禁止のため下流から遠望するのみ。

 
ダム決壊の際はこの杉林を薙ぎ倒し150万トンの水が流出、下流で死者8名を出す大惨事となりました。
沿岸に津波到達以前に発災しており、震災での最初の犠牲者とも言われています。


右岸から
堤高31.4メートル、堤頂長149.2メートルの堤体
天端標高は旧ダムと変わりませんが、より安全度の高い基礎岩盤まで掘削したため堤高は18.5メートルから大きく増加しました。
ダム下のコンクリートは『浸透水観測室』入り口。


天端はダム周回道路が通り車両通行もできます。
上流面は砂利石が敷かれています。

 
総貯水容量150万立米の藤沼湖。
集水の大半は簀ノ子川からの導水によります。
正面はダム管理事務所で平日は土地改良区職員が常駐しています。


左岸の洪水吐導流部。


左岸の横越流式洪水吐
4月半ばからの通水に備えほぼ満水。


藤沼ダムの受益農地は広範にわたるため3か所の取水設備が設置されています。
これは1号取水工。


主堤の藤沼ダム(再)と藤沼副ダム(再)の位置関係
副ダムは主ダムの南側にあり、左奥が藤沼ダム(再)、右手が藤沼副ダム(再)となります。


湖畔には各種記念碑が並びます。
こちらは1949年(昭和24年)の竣工記念碑。


2011年(平成23年)3月の改修事業竣工記念碑。
皮肉なことにこの直後に震災に余より被災、決壊事故が発生しました。


2017年(平成29年)の復興事業竣工記念碑。


湖畔は藤沼湖自然公園として整備され、ため池百選に選ばれています。
左岸にはコテージやキャンプ場が並びます。

 
こちらは2016年4月訪問時の写真。
写真は副ダム(再)で提体の盛り立てはすでに完了していました。

1枚目写真の下流から撮影
決壊の際の流路となった杉林です。

地震によってアースフィル堤体が決壊し死者が出るという世界的にも稀有な事故があったダムです。
藤沼ダム決壊を契機に全国的に溜池ハザードマップの製作が進められ、また農水省によるため池データベース編纂の端緒にもなりました。
不幸な事故ではありましたが、その反省を生かし今後の防災に生かしてゆかねばならないと痛感します。

参考資料

3679 藤沼ダム(再)(0324)
福島県須賀川市江花
阿武隈川水系簀ノ子川
31.4メートル
149.2メートル
1500千㎥/1480千㎥
江花川沿岸土地改良区
1949年 藤沼ダム(元)竣工
2011年 東日本大震災で被災
2019年 藤沼ダム(再)竣工

赤坂ダム

2023-03-23 18:00:00 | 福島県
2015年12月19日 赤坂ダム
2023年 3月17日
 
赤坂ダムは福島県西白河郡西郷村真船の阿武隈川水系堀川左支流谷津田川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧、現地記念碑ともに1965年(昭和40年)に福島県営事業で竣工と記されており、県営のかんがい排水事業等で建設されたものと思われます。
管理は西郷村土地改良区が受託しています。
ダムへの入り口には立ち入り禁止を示す標識があり、天端へ通じる道路にはゲートが設置されていたため、2015年(平成27年)の訪問時はダム下からの見学に留まりました。
今回西郷村産業振興課の立ち入り許可を得て再訪しました。

ダム入り口の立ち入り禁止標識およびハザードマップ。

ダム下から
堤高18.3メートル、堤頂長147メートルの均一フィルアース
基部は石積みの擁壁で提体は犬走を挟んで2段構成
堤体は芝生のように奇麗に刈りこまれています。
手前はドレーンからの水路。


こちらは底樋管からの水路
ダム下で2系統に分水されます。
灌漑期は4月半ばからのため今は通水されていません。


左岸の洪水吐導流部
大きな越流はないのか?導流部は細い水路になっています。


ダムサイトに上がります。
高い位置に作業用倉庫と記念碑が建っておりダムを俯瞰できます。
天端はダートですが車の行き来が多いのかしっかり踏み固められています。
また貯水池は熊田水産(株)の養鯉池になっており、湖面に養鯉設備が設置されています。


記念碑。
ダムの諸元が詳しく刻されています。


天端から
中央はドレーンからの水路
右手は管理事務所ですが、職員の常駐はないようです。


総貯水容量90万6000立米の貯水池
左手(右岸)に斜樋があります。
手前は養鯉用の設備。

上流面はコンクリートで護岸。
正面の建屋は養鯉用の資材置き場、右手に斜樋があります。


斜樋をズームアップ
外装工事中。
取水された水は3枚目写真の分水工に送られます。


左岸から下流面。


左岸の洪水吐
養殖の鯉が流されないようにネットが張られています。


横越流式ではなく、導流部の最上部に越流堤があります。
越流した水は4枚目写真の導水路を流下します。

灌漑用貯水池であるとともに、養鯉池にもなっています。
実は福島県は養鯉出荷額全国第2位を誇り郡山を中心に多くの溜池で鯉の養殖が行われています。

0506 赤坂ダム(0125)
ため池コード 1074610001
福島県西白河郡西郷村真船赤坂
阿武隈水系谷津田川
18.3メートル
147メートル
906㎥/855㎥
西郷村土地改良区
1965年