ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

門前堤

2020-12-09 15:10:04 | 山口県
2020年11月22日 門前堤
 
門前堤は山口県長門市日置中の二級河川掛淵川水系左支流(河川名不明)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
長門市の旧日置町から油谷町を貫流する掛淵川流域は干ばつ頻発地帯で、本支流沿いには6基のダムが密集、うち5基が農業用貯水池です。
門前堤は6基中唯一の溜池でダム便覧には台ヶ原耕地整理組合の事業で1927年(昭和2年)に竣工と記されています。
現在も受益農家組織が管理しているようですが具体的な管理者名を確認することはできませんでした。
 
長門市日置中国広で県道281号線から掛淵川を渡り左岸の狭い道に入り2カ所の害獣フェンスを抜けると門前堤に到着します。
右岸に建屋がありますが電線は切れ今はもう使われていない様子。
 
右岸の横越流式余水吐。
 
余水吐の上流に取水設備がありますが、実はこれも今は使われていません。
 
轍が残る天端
夏に草が刈られたようですがやや草が伸び加減。
 
上流面
コンクリートブロックで護岸されています。
 
貯水池は総貯水容量15万2000立米
何やら白い物体が浮いており、手前には鉄管が設置されています。
 
実は白い浮き?の水中に取水設備があり、この鉄管はその取水管です。
 
鉄管に設置された制水機器
これで取水量をコントロールするようです。
 
鉄管は堤体に沿って下ります。
 
下から見上げると。
 
ダム下に鉄管の吐口があります。
普通の取水設備でいうなら底樋枡と言ったところ
河川維持放流が行われています。
 
下流面。
 
本来は右岸にある斜樋が取水設備でトップ写真の建屋がポンプ施設だったと思われます。
その後改修の際に既存の斜樋や底樋を置き換えるのではなく、新たに水中に取水設備を設置し鉄管経由で取水を行っているようです。
同様のケースは高知県の牛の池田ダム でも見られました。 
 
2031 門前堤(1592)
ため池コード 354820481
山口県長門市日置中
掛淵川水系掛淵川左支流
19.8メートル
100メートル
152千㎥/152千㎥
管理者未確認
1927年

枇杷ノ木池

2020-12-09 14:52:28 | 山口県
2020年11月22日 枇杷ノ木池
 
枇杷ノ木池は山口県長門市西深川の十楽川水系右支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
西深川地区では小河川ごとにため池が作られていますが、そのうち3基が堤高15メートル以上の河川法上のダムとしてダム便覧に掲載されています。
枇杷ノ木池はそのひとつで、ダム便覧では1962年(昭和37年)に竣工と記されています。
現地に完成記念碑があり平成22年4月(2010年)完成と刻れていますが、これは溜池改修事業の竣工を示すものでしょう。
完成記念碑によれば管理者は境川耕地整理組合となっています。耕地整理法は戦後土地改良法により廃止となっていますが、受益者組織の名称としてそのまま使い続けているようです。
 
長門市西深川の十楽川を跨ぐ長門大津広域農道(みのりロード)の高架橋から十楽川沿いを北に進み、最初の分岐を左に採れば枇杷ノ木池が見えてきます。
 
ダム下で長い余水吐導流部と底樋吐口が合流します。
個人的に好きな絵柄です。
 
左岸から
堤体は犬走りを挟んだ三段構成
草刈り直後のようで見た目も美しい堤体。
 
長ーーい余水吐導流部。
 
天端。
 
コンクリブロックで護岸された上流面と余水吐
ちょうど橋の下に越流壁があります。
 
左岸の斜樋。
 
完成記念碑
改修事業の完成記念碑になります。
 
総貯水容量5万立米の小さな溜池。
 
右岸から上流面
対岸左端に斜樋があります。
 
改修から10年経過しますが、綺麗に刈り払われた堤体や、まだまだ真新しい諸設備と白いコンクリート。
受益農家にとって非常に重要な水源になっていることが一見してわかる枇杷ノ木池です。
 
3571 枇杷ノ木池(1591)
ため池コード 352110044
山口県長西深川深川
17.1メートル
73.5メートル
48千㎥/48千㎥
境川耕地整理組合
1962年

浴山第1溜池

2020-12-09 12:05:09 | 山口県
2020年11月22日 浴山第1溜池
 
浴山(えきやま)第1溜池は山口県長門市西深川の走下川水系走下川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
西深川地区では小河川ごとにため池が作られていますが、そのうち3基が堤高15メートル以上の河川法上のダムとしてダム便覧に掲載されています。
浴山第1溜池はそのうちのひとつでダム便覧には1919年(大正8年)に西深川土地改良区の事業により竣工と記されています。
大正期に土地改良区はありませんので、前身となる耕地整理組合もしくは水利組合によって建設されたものと思われます。
上下2段の重ね池となっており直上に浴山第2溜池がありますが、こちらは規模も小さくダムの要件を満たしていません。
管理は受益者組織が行っているようですが、具体的な管理者名を確認することはできませんでした。
 
長門市西深川のJA長門大津営農センターから長門大津広域農道(みのりロード)を西に進み最初の十字路を左折します。
すぐに害獣フェンスが現れこれを開けて進むと浴山第1溜池に到着します。
 
堤体直下に放流設備が見え水路が伸びています。
放流設備は金属製の屋根が割れかなり荒れ気味。
 
天端からの眺めは素晴らしく青海島や仙崎湾が遠望できます。
 
総貯水容量12万立米の小さな溜池。
需要期が終わり水が抜かれています。
 
左岸の斜樋
シャフトは2本。
 
上記放流設備。
 
下流面
夏場に草が刈られたようです。
 
上流面はコンクリートブロックで護岸されています。
 
右岸の越流式余水吐。
 
越流壁の下流側に小さなバッフルピアが並びます。
 
池下へは下りず底樋は確認しませんでした。
 
2027 浴山第1溜池(1590)
ため池コード 352110041
山口県長門市西深川
走下川水系走下川
22.7メートル
72メートル
120千㎥/120千㎥
管理者未確認
1919年

崩ノ河内第1溜池

2020-12-09 03:05:14 | 山口県
2020年11月22日 崩ノ河内第1溜池
 
崩ノ河内(つえのこうち)第1溜池は山口県長門市西深川の深川川水系五十鈴川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
西深川地区では小河川ごとにため池が作られていますが、そのうち3基が堤高15メートル以上の河川法上のダムとしてダム便覧に掲載されています。
崩ノ河内第1溜池はそのうちのひとつ、ダム便覧では1907年(明治40年)に西深川土地改良区の事業により竣工とあります。
明治期には土地改良区はありませんので、前身となる水利組合によって建設されたものと推察されます。
第1溜池の名前が示す通り上下2段の重ね池となっており、直上に崩ノ河内第2溜池がありますが堤高14メートルの為ダムの要件を満たしていません。
現在は第1、第2溜池ともども受益者で組織される上川西水利組合が管理を行っています。
 
長門市西深川のJA長門大津営農センターから枝道を南に折れるとすぐに崩ノ河内第1溜池に到着します。
令和3年3月末までの予定で改修工事中。
 
工事担当者にお願いして天端までの立ち入りの許可を頂きました。
堤体基部の擁壁はコンクリートブロックで作りなおされています。
もともと堤体を斜行して道路があったようですが、最終的にはどういう姿になるんでしょう?
 
天端。
 
天端からは青海島の絶景が遠望できます。
 
貯水池は水が抜かれ絶賛改修工事中。
写真左手に斜樋、中央に土砂吐が見えます。
土砂吐も白いコンクリートなので底樋ともどもすでに作りなおされたようです。
 
 
 
上流に第2溜池が見えます。
こちらは堤高14メートル。
 
左岸では新しい余水吐導流部の打設がほぼ終わっています。 
 
 
ローラーで池底を固めています。
今後上流面の護岸も改修されるようです。
 
機会があれば改修工事竣工後に再訪して新しい姿を見てみたいものです。と言いたいところですが、いかんせん山口は遠い。
 
2019 崩ノ河内第1溜池(1589)
ため池コード 352110032
山口県長門市西深川
深川川水系五十鈴川
16.4メートル
106メートル
126千㎥/126千㎥
上川西水利組合
1907年

大河内川ダム

2020-12-08 02:43:32 | 山口県
2020年11月22日 大河内川ダム
 
大河内川ダムは山口県長門市深川湯本の深川川水系大河内川に山口県建築土木部の事業で建設予定の多目的重力式コンクリートダムです。
山口県は1975年(昭和50年)より深川川右支流大河内川への多目的ダム建設事業の調査を実施、1990年(平成2年)に深川川総合開発事業が着手され2011年(平成23年)竣工を目途にダム建設事業がスタートしました。
しかしバブル崩壊以降の経済状況の変化による水需要の下方修正や公共工事見直し機運が強まる中、大河内川ダム建設事業は国交省による検討対象ダムとなります。
2015年(平成27年)に改めて事業継続が決定し、現在は本体工事に先んじて県道付け替え工事が進められています。
 
大河内川ダム完成予想図(山口県土木建築部HPより)
 
長門市板持から県道280号に入り大河内集落を過ぎると県道付け替え工事の案内標識が現れます。
県道付け替え工事現場への立ち入りはできません。
 
県道をそのまま進むとダム建設地点に『ダム軸』の標識が現れます。
 
 
ダムへ建設予定地手前の大河内集落
雲州瓦の赤い屋根とブランド牛である長門牛の放牧という牧歌的な風景に遭遇しました。
この集落はダムに沈むことはありません。
 
ダム建設は今始まったばかり。竣工までは10年単位の年月がかかりそう。
 

2102 大河内川ダム
山口県長門市深川湯本
深川川水系大河内川
FNW
62メートル
155メートル
4190千㎥/3990千㎥
山口県土木建築部
1975年深川川総合開発事業着手

湯免ダム

2020-12-08 02:15:51 | 山口県
2020年11月22日 湯免ダム
 
湯免ダムは山口県長門市三隅中の三隅川水系川水系辻並川源流部にある山口県土木建築部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。 
建設省(現国交省)の小規模ダム事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、辻並川および三隅川の洪水調節、両河川での安定した流量の維持と既得取水権への用水補給、長門市旧三隅町地域への上水道用水の供給を目的として2006年(平成18年)に竣工しました。
 
湯免ダムは右岸が県道36号線が走りアプローチは簡単です。
ダム下は公園として整備されているもののやや荒れ気味。
下から見上げると左岸が屈曲しています。
クレスト2門、オリフィス1門のゲートレスダムで、クレストとオリフィスの位置がずれた面白い配置となっています。
さらに導流壁がないのも湯免ダムの特徴です。
 
減勢工と右岸の利水放流設備。
 
天端から。
クレストゲートがオリフィスの左岸側に偏っているため減勢工は左右非対称。
 
みすみ湖と命名されたダム湖は総貯水容量74万立米
県道36号がダム湖上流を跨ぎます。
 
左岸から
堤体は左右両岸が湾曲しています。
堤高46メートル、堤頂長200メートルと生活貯水池事業で建設されたダムとしてはかなり大規模。
 
左岸下流側から
対岸に管理事務所がありますが、職員の常駐はありません。
 
天端は歩行者のみ通行可。
ロングで撮ると堤体が屈曲しているのがよくわかります。
 
県道36号から遠望
クレストゲート2門、その右手にオリフィスと取水設備が並びます。
 
インクライン・艇庫はなく右岸に浮き桟橋があり巡視船が係留されています。
 
さらに上流から遠望
ダム湖左岸湖畔には散策路が設けられ写真手前の半島部高台には展望台もあります。
 
生活貯水池事業で建設されたダムとしては大きなダムです。
比較的新しいダムということで周辺整備も素晴らしく、これが都市近郊なら間違いなく市民の憩いの場になるのですが・・・・。
3連休の中日にもかかわらずわが家が見学している間、他の来訪者はありませんでした。
 
(追記)
湯免ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
3214 湯免ダム(1588)
山口県長門市三隅中
三隅川水系辻並川
FNW
46メートル
200メートル
740千㎥/690千㎥
山口県土木建築部
2006年
◎治水協定が締結されたダム

大井上ダム?(平原ため池)

2020-12-05 02:11:45 | 山口県
2020年11月21日 大井上ダム?(平原ため池)
 
ダム便覧では大井上ダムは山口県下関市豊田町西市にある灌漑用目的のアースフィルダムとなっていますが、具体的な経緯度は示されず、事実上の位置未確認ダムとなっています。
しかしダム便覧の拾泉舎さまの『大井上ダム(山口県下関市)の位置未確認について』から山口県下関市豊田町矢田の木屋川水系山田川にある『平原ため池』が大井上ダムである公算大として、今回は平原ため池を訪問しました。
ただしダム便覧に掲載された河川やダムの諸元については矛盾があるため、ここではため池データベースの平原溜池の諸元を採用します。 
 
下関市豊田町中心部にある市立豊田中央病院から市道を西に進み、ヘアピンの急坂を登りきると右手(北側)に未舗装の車道が分岐します。
これが池への入口で約1キロ先に平原ため池があります。
平原ため池は2009年(平成21年)~2010年(平成22年)にかけて大規模な改修工事が行われました。
 
上流面はコンクリートブロックで護岸されています。
奥(左岸に)横越流式洪水吐があります。
改修から10年が経過しますが、いまだコンクリートは白さを保っています。
 
右岸の斜樋のハンドル。
 
貯水池
ダム便覧大井上ダムの貯水容量は8万8000立米となっていますが、平原ため池の貯水容量は6万立米となります。
 
天端から見た斜樋
シャフトは一本。
 
左岸の横越流式余水吐。
 
余水吐導流部と減勢工
バッフルピアが4基並びます。
 
ダム下に下りてみます。
基部はコンクリートブロックの擁壁でその下に底樋があります。
 
さらに下から
堤体と余水吐をともに写し込みました。
ため池データベースでは堤高は13.4メートルとなっておりダムの要件を満たしていません。
 
ダム便覧では平原溜池を大井上ダムと特定してはおらず、住所や諸元は従来のまま記載されています。
仮に大井上ダムが平原溜池であったとしてもダムの要件を満たしておらずダム便覧からの削除が妥当かと思います。
 
2044 大井上ダム?(平原ため池)(1587)
ため池コード 354420098
山口県下関市豊田町矢田
木屋川水系山田川
13.3メートル(ダム基準未達)
46.3メートル
60千㎥/60千㎥
矢田地区
1934年竣工
2010年改修工事竣工

木屋川ダム(元)

2020-12-05 02:06:19 | 山口県
2020年11月21日 木屋川ダム(元)
 
木屋川(こやがわ)ダム(元)は山口県下関市豊田町大河内の木屋川水系木屋川中流部にある山口県土木建築部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
日本の土木技術理論において大正期から昭和初期にかけて第一人者であった物部長穂は治水と利水を統合し河川を一貫して開発する『河水統制計画案』を提唱、これをもとに内務省は1935年(昭和10年)に『河水統制事業』を採択、全国七河川一湖沼で治水・利水を一貫した河川開発が実施されることとなり、戦後の河川総合開発事業のモデルとなりました。
山口県は『河水統制事業』を積極的に導入し、1940年(昭和15年)に木屋川河水統制事業に着手しますが、終戦後の人員・物資・予算不足により1947年(昭和22年)に建設工事は中断を余儀なくされました。
そこで県はダムの目的に発電と洪水調節を付加し建設省(現国交省)の補助を受けた補助多目的ダムに変更、新たに木屋川総合開発事業として1950年(昭和25年)に事業を再開、1955年(昭和30年)に木屋川ダム(元)が竣工しました。
その後木屋川下流での農地干拓事業が中止になったことで、灌漑用利水容量は工業用水に振り替えられます。さらに高度成長を受けた水需要増加に対処するため木屋川下流に湯の原ダム が建設され新たに205万立米の利水容量が上乗せされました。 
現在、木屋川ダム(元)は木屋川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権としての灌漑用水の補給、下関市への上水道用水・工業用水の供給、山口県企業局木屋川発電所での最大出力1850キロワットのダム式発電を目的としています。
 
しかし、もともと利水ダムとして建設された木屋川ダムの洪水調節容量は小さく、豪雨のたびに『異常洪水時防災操作』いわゆる緊急放流を余儀なくされています。
県は木屋川ダムの堤高を10メートル嵩上げし、有効貯水容量を現在の2108万立米から3730万立米に増大させる再開発事業を採択しましたが、現在は事業調査中の段階で具体的な再開発事業の着工は未定のようです。
木屋川ダム再開発事業完成予想図(山口県土木建築部HPより)
 
木屋川ダム(元)右岸を県道319号線が通りアプローチは簡単です。
ダム下から。
ダム下右岸(向かって左)に山口県企業局木屋川発電所があります。
 
クレストにラジアルゲートが3門
戦前の設計らしくゲート部分だけ天端が高くなっています。
左岸側(向かって右手)の導流部下部に排砂ゲートの穴が開いていますが、発電所停止中にここから河川維持放流が行われるようです。
 
ゲートをズームアップ
厚東川ダムと同じくゲート操作室は被覆されていますが、ピアの建屋は昭和末期に増設されたもののようです。
 
ダム直下の山口県企業局木屋川発電所
最大出力1805キロワット
訪問時は運転中で放流口から水が流れていました。
 
ダムサイトに上がります。陰影が付き露出が難しい絵になりました。
 
ゲート上の操作室はのちに増設されたもの
天端高欄からすぐにバケットカーブが始まっています。
 
天端は立ち入り禁止。
豊田湖と名付けられたダム湖は総貯水容量2108万立米。
 
 
上流からの眺め。
 
ゲートをズームアップ。
 
再開発事業の具体的な着工時期はいまだ不明です。
10年20年と言った時間軸で見るべきなのでしょう。
 
(追記)
木屋川ダム(元)には洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2099 木屋川ダム(元)(1586)
山口県下関市豊田町大河内
木屋川水系木屋川
FNWIP
41メートル
175.3メートル
21750千㎥/21080千㎥
山口県土木建築部
1955年
◎治水協定が締結されたダム
--------------
3605 木屋川ダム(再)
山口県下関市豊田町大河内
木屋川水系木屋川
FNWIP
51メートル
237メートル
38350千㎥/37300千㎥
山口県土木建築部
2007年~

歌野川ダム

2020-12-04 02:47:13 | 山口県
2020年11月21日 歌野川ダム
 
歌野川ダムは山口県下関市菊川町上岡枝の木屋川水系歌野川にある洪水調節・灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
歌野川は二級河川木屋川の主要右支流で、中下流域の上岡枝および下岡江田地区は周辺有数の農業地帯となっています。
しかし氾濫や渇水による干ばつ被害が絶えず抜本的な治水対策や安定した水源確保は流域農家の長年の悲願となっていました。
そこで山口県は1972年(昭和47年)に農水省の補助を受けた県営防災ダム事業・かんがい排水事業に着手、その中核施設として1980年(昭和55年)に竣工したのが歌野川ダムです。
歌野川ダムは歌野川流域の農地防災および受益農地283ヘクタールへの灌漑用水の補給を目的としており、当初は菊川町が、現在は市町村合併により下関市が受託管理を行っています。
 
下関市菊川町上保木で県道34号線から桜井八幡宮の標識に従って西に折れ菊川町上岡枝に入ると歌野川に架かる橋に歌野川ダムを示す小さな道標があります。
ここを右手に折れると正面に歌野川ダムが現れます。
堤高44メートル、クレストに自由越流式洪水吐2門、オリフィスに自然調節式洪水吐1門、左岸に利水放流設備を備えています。
 
農地防災目的もありゲートレスの農業用ダムとしては珍しくクレスト、オリフィス両ゲートを装備。
導流壁は特徴的なデザイン。
 
そのまま道を進むと公園があり、さらに左岸ダムサイトに到着
ダム下からでは分かりませんでしたが堤頂長が162メートルもあり意外に横長。
写真では影になってわかり辛いですが、ダム下に利水放流設備があります。
 
天端は立ち入り禁止。
対岸に管理事務所があります。
 
堤体上流側に選択取水設備があります。
また管理事務所裏手に僅かにインクラインが見えます。
ダム湖は総貯水容量161万4000立米。
 
ダム湖を周回する道路はありますが、左岸側は荒れており通行不能
右岸へ行くにはいったん市道まで戻り、「かみのすわスポーツ公園」を右折します。
ダム下には簡易水道の浄水場がありますが、歌野川ダムとは直接の関係はありません。
 
右岸へ向かう道からダムを遠望。
 
右岸も天端は立ち禁。
 
右岸に建つ歌野川ダムの説明板
農水省の補助で建設されたいわゆる農地防災ダムです。
 
農業用ダムではおなじみ、エライさんの筆が入った竣工記念碑。
 
ダム周辺には約1000本の桜が植えられ、花見の名所として下関市観光協会のサイトでも紹介されています。
 
(追記)
歌野川ダムには農地防災容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2088 歌野川ダム(1585)
山口県下関市菊川町上岡枝
木屋川水系歌野川
FA
44メートル
162メートル
1614千㎥/1516千㎥
下関市
1980年
◎治水協定が締結されたダム

湯の原ダム

2020-12-04 02:37:15 | 山口県
2020年11月21日 湯の原ダム 
 
湯の原ダムは左岸が山口県下関市菊川町上保木、右岸が同町西中山の木屋川水系木屋川中流部にある山口県企業局が管理する上水道用水・工業用水目的の重力式コンクリートダムです。
山口県内最大都市下関への都市用水源として県は1955年(昭和30年)に木屋川ダムを建設し現在の湯の原ダム直上に取水設備を設け、ここから工業用水を取水していました。
しかしその後も用水需要の増加が続いたことから山口県企業局は1972年(昭和47年)に木屋川中流部への利水ダム建設を軸とした木屋川第2期工業用水事業に着手し1990年(平成2年)に竣工したのが湯の原ダムです。
湯の原ダムは下関への上水道用水・工業用水の供給を目的とした利水多目的ダムで、当ダム完成により新たに205万立米の利水容量が確保されました。
 
菊川町中心街から県道34号を北に進みと山口県企業局西部利水事務所の標識があります。これを右に折れると湯の原ダムに到着します。
堤体にはシェル型ローラーゲート5門が並び、ダムというよりは可動堰と言った風です。
写真では見えませんが左岸最奥にガーター型ローラーゲートが1門あります。
湯の原ダム自体は洪水調節機能はありませんが、上流の木屋川ダムの放流量に合わせてゲートの開閉を行うようです。
 
木屋川はホタルの自生地として有名で、親柱にはホタルの装飾が施されています。
 
天端は車両通行可能。
 
ずらっと並ぶシェル型ローラーゲート
対岸に木屋川工業用水道取水口があります。
 
総貯水容量293万立米のダム湖
訪問時は満水状態でした。
左手(右岸)に艇庫とインクラインがあります。
 
艇庫とインクラインをズームアップ。
 
こちらは左岸の取水口をズームアップ。
手前にスクリーン、奥に取水ゲートが見えます。
 
左岸には導流壁が2本並んでいます。
左は維持放流ゲート、その右はガーター型ローラーゲート用導流路。このゲートは排砂用ゲートに当たるかと思います。
 
ここが木屋川工業用水道の起点。
 
左岸から見た上流面
シェル型ローラーゲートが5門、左手にガーター型ローラーゲートが1門。
 
(追記)
湯の原ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2093 湯の原ダム(1584) 
左岸 山口県下関市菊川町上保木
右岸 山口県下関市菊川町西中山
木屋川水系木屋川
WI
18.5メートル
212.9メートル
山口県企業局
1990年
◎治水協定が締結されたダム 

秋山溜池

2020-12-02 15:48:10 | 山口県
2020年11月21日 秋山溜池
 
秋山溜池は山口県山陽小野田市厚狭の厚狭川水系石束川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
現地由来碑によれば1939年(昭和14年)の西日本大干ばつをきっかけに灌漑用溜池建設の機運が高まり地元出身の実業家や篤志家の尽力もあり、秋山耕地整理組合の事業として1940年(昭和15年)に秋山溜池建設が着工され1944年(昭和19年)に竣工しました。
由来碑には戦争激化の中人員や物資不足を補うため小学生を動員してまでの事業であったと記されています。
管理は耕地整理組合を引き継いだ秋山土地改良区が行ってきましたが、その後の土地改良区の合併により現在は山陽土地改良区が行っています。
 
県道355号線が秋山溜池の右岸を通っています。
今回は今富ダム からのアプローチとなったため上流側から秋山溜池に至りました。
県道224号と355号の三差路を過ぎると左手に秋山溜池が見えてきます。
 
天端入口に駐車スペースがあり車を止めます。
すぐ先に由来碑があります。
 
右岸の横越流式余水吐。
余水吐が湾曲しており、写真では見えませんが右手にトンネル式導流部があります。
 
下流側から見た余水吐。
 
導流部トンネルの入口。
 
上流面と斜樋。
 
天端
微かに轍が残ります。
 
貯水池は総貯水容量80万立米。
訪問時はずいぶん水位が下がっていました。
 
池の中島に社と燈籠が見えます。
 
天端と下流面
綺麗に草が刈られています。
 
堤体の手入れを見ても重用されている貯水池だと言うのがよくわかります。
ダム下には行かなかったので余水吐隧道吐口や底樋は確認できませんでした。
 

2013 秋山溜池(1583) 
ため池コード 345220038
山口県山陽小野田市厚狭
厚狭川水系石束川
16メートル
101メートル
800千㎥/800千㎥
山陽土地改良区
1944年

今富ダム

2020-12-02 15:43:08 | 山口県
2020年11月21日 今富ダム
 
今富ダムは山口県宇部市今富の有帆川水系今富川にある山口県土木建築部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、今富川および有帆川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給を目的として1978年(昭和53年)に竣工しました。
 
県道30号線で宇部市今富に入り今富ダムの標識に従って左折すると今富ダムが見えてきます。 
堤頂長219メートル、堤高39メートルの横長ダムで、ゲートは左岸に偏っています。
 
まず目を引くのがゲートの形状
クレストゲート扶壁両側から操作室に屋根が渡され、まるで頭の上で手を合わせ『M』の字を作っているようです。
これはもう変形ロボでしょ?
非常用洪水吐としてクレストにラジアルゲート2門、その間に常用洪水吐として自然調節式のオリフィスの穴が見えます。
訪問時はオリフィスからかすかに越流していました。
 
低水利用放流管と非常用のホロージェットバルブが並びます。
放流管から河川維持放流が行われています。
 
左岸から
こうやってみても横長だとわかります。
それにしてもやっぱり変わった形のゲート建屋。
 
上流面
赤いコースターゲートはオリフィス用予備ゲート、その右手には多段式取水ゲートがのレールが見えます。
 
ラジアルゲート直上から。
 
天端からダム下の眺め。
 
今富湖と命名されたダム湖は総貯水容量170万立米。
治水目的のダムですが、たっぷり水を湛えています。
 
天端は車両通行可能。
ダム湖を周回するように車道が走っています。
 
左岸の艇庫とインクライン。
 
ダムの説明板には自然調節(穴あき)方式の治水ダムと記されていますが、設計は昭和40年代、
クレストにはラジアルゲートを装備する一方オリフィスは自然調節式と、ゲートレスダムへの過渡期のダムの特徴を如実に表しています。
とにもかくにも個性的なゲート形状に目が向かってしまう今富ダムですが、春には桜、秋には紅葉が楽しめ季節折々にダムウィーキングイベントが実施される地域に密着したダムでもあります。
 
2084 今富ダム(1583) 
山口県宇部市今富
有帆川水系今富川
FN
35.5メートル
219メートル
1700千㎥/1400千㎥
山口県土木建築部
1978年 

厚東川ダム

2020-12-02 15:37:15 | 山口県
2020年11月21日 厚東川ダム
 
厚東川ダムは左岸が山口県宇部市小野、右岸が同市木田の二級河川厚東川中流部にある山口県土木建築部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
日本の土木技術理論において大正期から昭和初期にかけて第一人者であった物部長穂は治水と利水を統合し河川を一貫して開発する『河水統制計画案』を提唱、これをもとに内務省は1935年(昭和10年)に『河水統制事業』を採択、全国七河川一湖沼で治水・利水を一貫した河川開発が実施されることとなり、戦後の河川総合開発事業のモデルとなりました。
山口県は1940年(昭和15年)に厚東川の洪水調節と都市用水確保を目的にした厚東川河水統制事業に着手しますが、戦況悪化による物資不足で事業は中断を湯着なくされます。
終戦後同事業最大の受益者である宇部興産への発電用水利権付与と引き換えに同社からの資金援助を仰ぎ、さらに国庫からの補助を得て1948年(昭和23年)に厚東川総合開発事業として事業は再開、ダム本体は翌1949年(昭和24年)に竣工、開発事業全体も翌1950年(昭和25年)に完成しました。
 
しかし高度成長期に入り、宇部小野田エリアの発展は留まるところを知らず、これに伴う人口増加も相まって新たな水源確保が喫緊の課題となってきました。
当初は厚東川ダムの嵩上げ再開発による貯水容量増が計画されましたが、地理的・経済的課題が多く断念、替わって1969年(昭和44年)に厚東川ダムに近接する宇部市瓜生野の灌漑用溜池である丸山池を再開発しダム化する厚東川第2期工業用水道事業が着手され、1978年(昭和53年)に宇部丸山ダムが竣工しました。
厚東川ダムと宇部丸山ダムは連絡水路で結ばれ、従来2300万立米だった厚東川ダムの有効貯水容量に新たに450万立米の容量が追加されるとともに、洪水時は厚東川ダムから宇部丸山ダムへ導水することで厚東川ダムの洪水調節容量が増大するなど、より弾力的な運用が可能となりました。
現在、厚東川ダムは厚東川の洪水調節、既得取水権として流域への灌漑用水の補給と安定した河川流量の保持、宇部市及び山陽小野田市への上水道用水・工業用水の供給、宇部興産厚東川発電所での最大出力4000キロワットのダム式発電を目的とするほか、厚東川工業用水道の水量を活用して山口県企業局二俣瀬発電所が増設され、ダム管理用電力として最大610キロワットの小水力発電を行っています。
ダム湖の小野湖は山口県有数の釣りスポットとして知られるほか漕艇競技の会場となるなどレクリエーションエリアとして広く活用されており、ダム湖百選に選定されています。
 
厚東川ダム右岸を県道217号が走っておりアプローチは簡単です。
ダム手前の枝道を進むとダム下の宇部興産厚東川発電所手前に出、フェンス越しにダムが望めます。
多目的ダム黎明期に設計されたダムということで、クレストにずらっとラジアルゲートが並ぶ様は阿賀野川や木曽川の発電用ダムのようです。また県営多目的ダムとしては同時期に建設された岡山県の旭川ダムとの外観上の共通点が多く見られます。
 
右岸から下流面
ピアには被覆された管理橋が渡されまるでこれまた阿賀野川の発電用ダムのようです。
当初は屋根はなく、昭和終盤に被覆されたそうです。
導流部の下のシュート部分も戦前戦中のダムの特徴を色濃く見せています。
 
ラジアルゲート8門は山口県内のダムとしては最多。
 
ダム直下の宇部興産厚東川発電所
県営の多目的ダムと電力会社以外の民間企業の発電所の組み合わせはレアケース。
上記ダム建設に際し宇部興産の資金支援があった代償です。
 
親柱の銘板。
 
残念ながら天端は立ち入り禁止。
 
上流面。
 
水と土の地名から小野湖と命名されたダム湖
総貯水容量2378万8000立米
漕艇競技場として活用されています。
 
上流からの眺めは只見川や阿賀野川の発電用ダムそっくり。
 
戦前の河水統制事業で着工され、戦争による中断を受けて戦後完成したダムという点では同じ山口県の木屋川ダムや神奈川の相模ダムと共通しています。
 
(追記)
厚東川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2065 厚東川ダム(1581)
左岸 山口県宇部市小野
右岸 山口県宇部市木田
厚東川水系厚東川
FNWIP
38.8メートル
162メートル
23788千㎥/23042千㎥
山口県土木建築部
1948年
◎治水協定が締結されたダム 

宇部丸山ダム(再)

2020-12-02 15:22:08 | 山口県
2020年11月21日 宇部丸山ダム(再) 
 
宇部丸山ダム(再)は山口県宇部市瓜生野の厚東川水系薬師川にある山口県企業局が管理する上水道用水・工業用水目的の重力式コンクリートダムです。
戦前からセメント・化学工業が集積した宇部・小野田地域の用水需要に対処するために、1949年(昭和24年)に厚東川ダムが完成します。
しかし高度成長期による需要の増大から、県は厚東川ダムの嵩上げ再開発を企図しますが地理的・経済的課題が多く断念、替わって宇部市瓜生野の灌漑用溜池である丸山池の再開発ダム化事業に着手します。
1973年(昭和48年)にダム本体工事が開始され、1978年(昭和53年)に竣工したのが宇部丸山ダム(再)です。
宇部丸山ダム(再)は自己流域での集水能力はほとんどなく、貯留は連絡水路で結ばれた厚東川ダムからの導水により、事実上の河道外貯留方式のダムです。
宇部丸山ダム(再)の完成により従来2300万立米だった厚東川ダムの貯水容量に新たに450万立米の容量が追加されるとともに、洪水時は厚東川ダムから宇部丸山ダムへ導水することで厚東川ダムの洪水調節容量が増大するなど、より弾力的な運用が可能となりました。
宇部丸山ダム(再)自体としては宇部・小野田エリアへの上水道用水・工業用水の供給を行うほか、既得取水権として旧丸山池の受益農地への灌漑用水の補給も行っています。
また2016年(平成28年)からは取水設備からの19メートルの落差を利用した山口県企業局宇部丸山発電所が稼働し、最大130キロワットの小水力発電を行っています。
 
国道2号線から見た宇部丸山ダム(再)。
堤高32メートルに対して堤頂長211.4メートルの横長ダムです。
手前は瓜生野地区農地への慣行水利権向け灌漑用水補給施設。
需要期には水温調節のため噴水が上がるようですが、11月はすでに需要期外。
 
ダムと正対します。
放流設備はクレストの自由越流式洪水吐のみ。
事実上河道外貯留方式である宇部丸山ダムでクレスト放流を実施するような事態はまず起こりません。
事実クレスト放流は試験湛水以来一度もないそうです。
 
導流部は踊り場を持つ2段構成。
実はこの下を既存の工業水水路が通っているためこのような形状になりました。
 
堤体に直接タッチできます。
 
ダムサイトに上がってきました。
左岸に『カド』発見。
 
天端は車道になっており常時通行可能。
 
上流面。
 
天端から見た減勢工と灌漑用水補給施設。
上記のように灌漑用水需要期には水温調節のため噴水が上がるそうです。
 
総貯水容量450万立米の貯水池。
水質維持のため各所で曝気装置による渦が見えます。
 
左手はダム右岸にある取水設備
山陽小野田市にある有帆ポンプ場に送水されます。
右手はダム左岸にある注入設備
厚東川ダムの小野湖と圧力隧道で結ばれており、原則双方向の送水が可能ですが、実質的には小野湖から宇部丸山ダムへの一方通行となっています。
 
全国で数カ所ある2基のダムが連絡水路で連結されたダムの一つで、厚東川ダムからの補給を受けた実質河道外貯留方式のダムと言えます。
当ダム単体で見るのではなく厚東川ダム、しいては宇部・小野田エリアの町の歴史も踏まえて見学するとより理解が深まると思います。
 
(追記)
宇部丸山ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2082 宇部丸山ダム(1580)
山口県宇部市瓜生野
厚東川水系薬師川
WI
32メートル
211.4メートル
4500千㎥/4000千㎥
山口県企業局
1978年
◎治水協定が締結されたダム

江畑溜池堰堤

2020-12-02 15:05:01 | 山口県
2020年11月21日 江畑溜池堰堤

江畑溜池堰堤は山口市阿知須の土路石川水系土路石川上流部にある灌漑目的の表面石張り玉石コンクリート重力式堰堤です。
1889年(明治22年)に初代江畑溜池が土堰堤として完成しますが翌年の豪雨で決壊、下流域に大きな被害をもたらしました。その後何度も再建計画が持ち上がりますが決壊を恐れる下流住民の反対で実現できませんでした。
昭和に入り決壊の恐れのないコンクリート堰堤を採用した再建事業が進められ、1927年(昭和2年)に着工、1930年(昭和5年)12月に現在の江畑溜池堰堤が竣工しました。
堤高13.6メートルと河川法上のダムの要件を満たしてはいませんが、香川県の豊稔池ダム、兵庫県の上田池ダム山田池などと並び日本でもっとも初期の農業用コンクリート堰堤の一つとなっています。
2001年(平成13年)にはその歴史的・技術的価値から国の有形文化財に登録されるとともにBランクの近代土木遺産に選定されています。
なおダムの要件を満たしていませんが、ダム便覧には参考掲載として掲載されています。
 
県道218号から宇部72カントリークラブの標識に従って右折、次の分岐を左に採るとゴルフ場のゲート手前から江畑溜池堰堤を遠望できます。
残念ながら樹林に邪魔され全容を見ることはできません。
 
一つ手前の分岐に戻り江畑堰堤の標識に従って進むと堰堤右岸に到着します。
天端への入口には文化庁の文化財説明板と1930年(昭和5年)の竣工記念碑が建っています。
 
まずはダム下へ下りてみます。
直下から見上げると13.6メートルという堤高以上の高さを感じます。
撮影ポイントが少なく持参した24ミリの広角レンズでは全容を治めることができないのが残念。
 
堤頂には自由越流式洪水吐が3門。
天端高欄の装飾は簡素ですが、逆に質実剛健の風が漂います。
 
右岸低部にある取水設備からの吐口。
溜池堰堤ということで底樋と呼ぶのが妥当なんでしょう。
 
側面から
目地も美しく花崗岩の関知石が整然と積み上がっています。
寸分の狂いもなくとはこのことを指すんだと思います。
 
天端の脇から貯水池右岸に出ることができます。
上流面
取水設備はこの時代おなじみの半円形、
取水設備建屋だけはコンクリート製の新しいものに置き換わっています。
 
溢流部をズームアップ
扶壁側面も石張りされています。
 
天端入口
 
惜しむらくは取水設備建屋も石張りならば・・・。
 
総貯水容量は45万立米ですが満々と水を貯えそれ以上の大きさに見えます。
貯水池周辺はすべてゴルフ場になっていますが、集水には問題なさそう。
寧ろゴルフ場造成による防災調整池の機能もあるかもしれません。
 
竣工から約90年経過するにもかかわらず、いまだに大きな不具合はなく大きな改修もないまま現在も現役で稼働しているのがすごいところ。
昔の人たちの英知と技術力の高さにはただただ脱帽するばかり。
石積みマニア、ビンテージダムマニアにとっては必見のダムの一つです。

S513 江畑溜池堰堤(参考掲載)(1579) 
ため池コード 354030031
山口県山口市阿知須
土路石川水系土路石川
13.6メートル
68.8メートル
450千㎥/450千㎥
阿知須地区
1930年