2017年11月25日 見坂池
見坂池は徳島県阿波市土成町宮川内の吉野川水系宮川内谷川にある表面石張粗石コンクリート重力式ダムです。
竣工記念碑には『徳島県営砂防堰堤築造ノ計画ヲ見ルニ至リ之ヲ貯水池ニ利用スルコトハ一石二鳥ノ策ナリトス』と記されており、1939年(昭和14年)に御所池を築造した御所耕地整理組合が、さらなる干ばつ被害に対処するために徳島県が宮川内谷川に建設を計画していた砂防堰堤を灌漑用貯水池として活用する旨が記されています。
見坂池は1943年(昭和18年)に着工されますが戦争激化により工事は遅延し、結局終戦後の1946年(昭和21年)に灌漑・砂防目的のダムとして完成し、御所耕地整理組合が改組された御所土地改良区が管理を行っていました。
その後1964年(昭和39年)に見坂池上流500メートル地点に徳島県営宮川内ダムが完成したことで、見坂池は事実上その役割を終えることとなります。
現在は砂防堰堤として現地に存在しているというのが実情のようです。
宮川内ダムから国道318号線を南下すると国道脇に見坂池の竣工記念碑が建っています。
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竣工記念碑の少し上流に古い側道がありこれを下ると池の右岸に出ます。
上流面はやや広い間隔で石が張られ、目地かしっかりと施されています。
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越流部には木板をはめ込む溝が刻まれています。
堤体中央には石段があり、その下にゲート操作の設備があるようです。
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ダム便覧では総貯水容量5万5000立米となっていますが、貯水はされていません。
ちなみに竣工記念碑では貯水量は12万9525立米となっています。
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下流面。
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排砂ゲートかと思いましたが、防災ダムとすればいわゆる穴あきダムの穴に相当するようです。
上流面のゲート操作設備はこの開閉を行うものでしょう。
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微かな踏跡を辿りなんとかダム下に下りることができました。
堤体の厚みや傾斜は砂防堰堤そのものです。
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切石が奇麗に布積みされた御所池と異なり、石は不整形で目地が欠けているところが多く見られます。
戦時中の人手や物資不足の中で作られた分だけ、御所池ほどの丁寧さで建設できなかったんでしょう。
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副ダムも石積み。
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先述の竣工記念碑には見坂池の諸元について『長サ五十七・五米 高サ十二米』とありこれに従うと堤高15メートルを満たしておらず見坂池は『河川法上上のダムではない』ということになります。
一方で昭和10年代に四国では特異点ともいえるべき2基の石積堰堤がこの地に出現したことは非常に興味深いところです。
吉野川水系宮川内谷川
FA
G
12メートル(ダム基準未達)
57.5メートル
55千㎥/55千㎥
御所土地改良区
1946年