ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

寺谷池

2024-01-16 08:00:00 | 三重県
2023年11月26日 寺谷池

寺谷池は三重県伊賀市鳳凰寺の淀川水系服部川右支流高砂川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
伊賀市のある伊賀盆地は豊かな地味と寒暖差の大きな気候を生かし江戸時代より良質米の産地となっていました。
一方で年間降水量は1200ミリ超の少雨地帯であり加えて大河がないため水源をため池に求め、現在も市内に約1400基のため池を有す県内屈指のため池密集地帯となっています。
寺谷池もそんなため池の一つでダム便覧には大山田村耕地整理組合の事業で1935年(昭和10年)に竣工と記されており、ほぼ受益農家の持ち出しで建設されたと思われます。
現在は受益地区である鳳凰寺地区が管理を行っています。
ダム便覧では堤高15メートルになっていますが、ため池データベースでは9.1メートルにとどまりダムの要件を満たしていません。
 
伊賀市大山田の国道163号線から東に2キロ、車で5分ほどで鳳凰寺集落に到着します。
集落を抜け左手に史跡鳴塚古墳を見送ると池に到着します。
添付はグーグルの空撮写真ですが、北側の池が寺谷池で南の山神池とは連絡水路で結ばれた双子池になっています。 

 
まずは寺谷池の堤体直下に向かいます。
基部は石積みの擁壁で下流面はきれいに刈り込まれています。

 
見た目の高さは10メートルほど
とても15メートルあるようには見えません。


右岸から天端
天端も定期的に草が刈られているようです。


左岸の越流式洪水吐
すぐ右手が隣接する山神池の堤体になります。


洪水吐越流部
溝があり水位の微調整ができるようです。

右岸から
総貯水容量は2万1000立米(ため池データベース)。


上流面は昔ながらの石積み護岸。


ピンクのテープの場所に池栓が見えます。 

 
寺谷池と山神池の接続部。
ため池ではなかなか見れない造り。


山神池天端から見た寺谷池下流面と洪水吐。

 
こちらは山神池から寺谷池への連絡水路のゲート。
山神池のほうが水位は高く、山神⇒寺谷の一方通行。


山神池左岸洪水吐越しの眺め。
山神池の諸元は堤高8.3メートル、堤頂長45メートル、総貯水容量1万立米。


山神池洪水吐導流部
寺谷、山神ともに高砂川に流下します。


山神池の池栓。
昔ながらの木栓を差し込む尺八樋。


双子池である寺谷池と山神池の造りは非常に興味深いのですが、残念ながら寺谷池の堤高は見た目でもとても15メートルあると思えず。
ため池データベースの数値通りならいずれダム便覧からは消え去る運命です。
 
1297 寺谷池(2030)
ため池コード 242160460
三重県伊賀市鳳凰寺
淀川水系服部川右支流高砂川
15メートル(ため池データベース 9.1メートル
100メートル(ため池データベース 85メートル)
15千㎥(ため池データベース 21千㎥)/15千㎥
鳳凰寺区
1935年


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
tibinekoさま (まっち)
2024-01-17 17:51:06
以前九州のダムの溜池でも散々使ってきた「農家の持ち出し」
福沢諭吉は国家論として『独立自尊』という言葉を使いましたが、戦前はこの精神が農民や商売人などでも染みついていたんじゃないかと考えています。
もちろん『公』は関与しますが、まず『民』の手でなんとかしようと努力する。
そしてそれをバックアップする篤志家という存在があった。
そして篤志家が求めるのは『名誉』
アメリカという国が継続的に栄える背景には富裕層が『名誉』のために国家や国民に尽くすという精神構造が根付いているからだと思います。
返信する
Unknown (tibineko)
2024-01-16 14:11:08
農家の持ち出しで作られた「溜池」。
昔から「水騒動」などと言う言葉もある程、農家さんにとって水は、まさに「命の水」。

綺麗に刈り込まれた天端を拝見していると、そんな言葉が口をついてでます。
返信する

コメントを投稿