ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

味噌川ダム

2017-05-23 19:00:00 | 長野県
2015年11月 3日 味噌川ダム
2017年 5月21日
 
味噌川ダムは長野県木曽郡木祖村小木曽の木曾川本流源流部にある水資源機構が管理する多目的ロックフィルダムです。
木曾川は古くから濃尾平野の水源として重用され、明治以降はその豊富な水量に着目して積極的な電源開発が進められました。
戦後経済復興政策全般を担っていた経済安定本部は1935年(昭和10年)より実施されていた『河水統制事業』を叩き台に多目的ダム建設を軸とした河川総合開発に舵を切り、1949年(昭和24年)に『河川改修改定計画』が採択されました。
木曾川水系においては『木曾川改修改定計画』が立案され手始めに木曾川本流中流部に多目的ダムとして丸山ダムが建設されました。
その後1962年(昭和37年)に成立した水資源開発促進法により、木曾川の河川開発事業は新たに組織された水資源開発公団(現水資源機構)に移管されることになり、さらに1968年(昭和43年)には愛知用水公団が水資源開発公団に併合されました。
愛知用水の水源としては1961年(昭和36年)に木曾川水系王滝川に牧尾ダムが完成していましたが、高度成長を受けた中京工業地帯の発展や急速な人口増加を受けて都市用水の需要増加は留まるといころを知らず、新たな水源確保は喫緊の課題となっていました。
そこで水資源開発公団は1967年(昭和42年)に木曾川支流阿木川への阿木川ダム建設を、1973年(昭和48年)に木曾川本流源流部に味噌川ダム建設をそれぞれ事業化します。
味噌川ダムは1980年(昭和55年)年より本体工事に着手し、1995年(平成7年)に牧尾ダム、阿木川ダムに続く愛知用水3番目の水源として竣工しました。
 
味噌川ダムは、木曾川上流域の洪水調節、既得取水権としての流域灌漑用水への補給と安定した河川流量の維持、愛知県・岐阜県・名古屋市への上水道用水の供給、愛知県への工業用水の供給、長野県企業局奥木曽発電所による最大4800キロワットのダム式水力発電を目的としています。
味噌川ダムから放流された水は木曾川中流部の兼山ダム湖にある兼山取水口および犬山取水口で取水され愛知用水に供給されています。
また味噌川ダムは天端標高1130メートルとなっており、竣工当時は日本一標高の高い『多目的ダム』でしたが、2007年(平成19年)に山梨県琴川ダムに抜かれ現在は第2位となっています。
 
愛知用水概略図(水資源機構ホームページより)
 
味噌川ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2017年(平成29年)5月に再訪しました。
木祖村から県道26号を上高地方面に車を走らせると、かなり手前から右手に巨大なロックフィルが遠望できます。
県道から離れ木曽川沿いの道を進むと、ダム下に到着します。
 
真下から導流部を見上げます。
放流があれば迫力満点でしょう!
 
堤高140メートルで木曾川に建設された多くの中で最も堤高が高くなっています。
またロックフィルダムの中では全国第5位の堤高となります。
 
洪水吐は非常用、常用一体のバスタブ型。
常用洪水吐はローラーゲートとなっています。
 
天端から導流部を見ると
中央が常用洪水吐、左右は非常用洪水吐からのラインです。
 
天端は車両通行可能です。
 
減勢工は導流壁が高くなっています。
左は発電所。
 
天端からの眺め
正面に木曽駒が見えます
(2017年5月21日)
 
木曽駒をズームアップ
(2017年5月21日)
 
『奥木曽湖』と名付けられたダム湖は総貯水容量6100万立米。
木曽川の源流はここからもうわずか。
右手は取水棟です。
 
上流面
堤体は緩やかに湾曲しています。
 
右岸展望台から。
 
同じ場所から
季節が変わると色彩も変わります。
(2017年5月21日)
 
ダム周辺はちょうど紅葉の盛り、黄金色に色づいたカラマツ林の眺めは壮観です。
一方天端からは正面に木曽駒が見えるようですが、ちょっと雲がかかって残念。
2017年5月21日にバージョンアップしたダムカードをもらいに再訪しました。
前回は紅葉の盛りで下が今回は新緑真っただ中、前回は雲がかかってすっきりと見えなかった木曽駒がきれいに拝めて満足!
 
1035 味噌川ダム(0039)
長野県木曽郡木祖村小木曽
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
木曾川水系木曾川
FNWIP
140メートル
446.9メートル
㎥/㎥
水資源機構
1996年
◎治水協定が締結されたダム


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