ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

日野川ダム

2016-03-24 12:00:00 | 滋賀県
2016年3月20日 日野川ダム
 
日野川ダムは滋賀県蒲生郡日野町の日野川にある滋賀県土木交通部が管理する治水目的のロックフィルダムで、日野川中流域の洪水調節と既得取水権への補給を目的として1965年(昭和40年)に建設されました。
滋賀県営のダムとしては最小級のダムで洪水調節機能も大きくありません。
日野川ダムはダムを建設する河川の砂礫をロック材に利用したグラベルフィルという珍しい工法のダムです。
また本堤の3倍の長さのアース式の脇ダムがあるのも特徴です。
 
近江商人発祥の地とされる日野町中心部から国道477号を東に向かうと日野ダムへの標識が現れます。
左岸の洪水吐
洪水吐と堤体が離れており、ここだけ見ると重力式コンクリートダムのようです。
 
ゲートをズームアップ。
 
アングルを変えて。
 
洪水吐と堤体
管理事務所のある地山を挟んで離れた場所にあります。
 
天端は車道になっています。
日野川の砂礫を使った丸い石が積まれています。
 
下流面
草が生えているのでアースのようです。
 
脇ダムからゲートを遠望
 
グラベルフィルという珍しいダム、堤体と離れた洪水吐、本堤よりも大きな副堤といろいろ複雑な日野川ダムだが、それゆえ見学して歩いていても楽しいダムです。
ダムカードが貰えなかったのでまたカードをもらいに来るとしよう。
 
追記
青土ダムには92万立米の洪水調節容量が設定されていますが、豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに30万2000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1358 日野川ダム(0255)
滋賀県蒲生郡日野町大字村井
淀川水系日野川
FN
25メートル
105メートル
1388千㎥/1038千㎥
滋賀県土木交通部
1965年

野洲川ダム(再)

2016-03-24 10:00:00 | 滋賀県
2016年3月19日 野洲川ダム(再)
 
野洲川ダムは滋賀県甲賀郡土山町の野洲川上流にある灌漑用重力式コンクリートダムで野洲川土地改良区が受託管理を行っています。
近江盆地は全国有数の穀倉地帯ですが、中小河川の多くは天井川で安定した水源の確保が悲願となっていました。
そこで滋賀県は1939年(昭和14年)から野洲川上流部での農業用貯水ダムの建設に着手しますが戦争激化によって事業は中断します。
戦後農林省による『野洲川農業水利事業』がスタートし1951年(昭和26年)に野洲川ダムはようやく完成しました。
2001年(平成13年)から大幅な再開発が行われ2009年(平成21年)にリニューアルしています。
 
青土ダムから県道9号を北上、国道477号線に合流すると野洲川ダムに到着します。
クレストから流下する水紋が美しい。
 
左岸から
6筋の水紋はまるで6尾の魚が遡上しているようです。
 
導流壁に沿ったカスケードを下る水もまた美しい。
 
導流壁上部に庇のような波返しがついています。
 
残念ながら天端は立入禁止。
 
農水省直轄ダムです。
 
上流から
奥に半円形の取水設備があります。
 
堤体直下にはベンチがありますが、手前に防獣ネットが張られてっきり立ち入り禁止かと思っていました。
帰宅後調べたらネットのドアを開けて中に入れたようです。
きれいな水紋が見れただけに残念。
 
追記
野洲川ダム(再)は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1353 野洲川ダム(元)
滋賀県甲賀市土山町大河原
DamMaps
淀川水系野洲川
52.7メートル
142メートル
8500千㎥/7280千㎥
1951年
-------------
3195 野洲川ダム(再)(0254)
滋賀県甲賀市土山町大河原
淀川水系野洲川
54.4メートル
142メートル
8500千㎥/7280千㎥
野洲川土地改良区
2009年再開発事業竣工
◎治水協定が締結されたダム

青土ダム

2016-03-24 08:00:00 | 滋賀県
2016年3月19日 青土ダム
 
青土で『おおづち』と読みます。
青土ダムは滋賀県甲賀市土山町の淀川水系野洲川にある滋賀県営の多目的ロックフィルダムです。
野洲川は琵琶湖に流入する川としては最長で、水源の鈴鹿山脈は花崗岩質で豪雨のたびに洪水被害をもたらし『近江太郎』の別名を持っていました。
野洲川上流には戦後間もなく野洲川ダムが建設されますが灌漑目的で洪水調節機能はなく、洪水調節機能を持つダムが求められました。
一方新幹線や名神高速道路の開通により、湖南地方では工場進出や人口増による水需要の高まりが予想され新たな水源の確保が課題となりました。
そこで1987年(昭和62年)に滋賀県最初の多目的ダムとして建設されたのが青土ダムです。
青土ダムは野洲川中・上流部の洪水被害の軽減、既得取水権の補給と河川流量の維持、甲賀市への上水道の供給、湖南工業地帯への工業用水の供給を目的とするほか河川維持放流を利用して最大250キロワットの管理用電力の発電を行っています。
 
このダムの特徴はなんといってもその特異な形状の洪水吐です。
常用洪水吐は自然越流式が2門とラジアルゲート1門で構成されており、2つの自然越流式洪水吐に水が吸い込まれてゆく様はまるで巨大なアリ地獄の様相です。
 
土山から県道9号を北上すると青土ダムに到着します。
左岸の洪水吐は下から見てもちょっと複雑な形状です。
 
ズームアップ
自然越流式2門の間に縦長のラジアルゲートがあります。
 
右岸から
堤高はさほどありませんが美しいリップラップです。
堤体直下は公園になっています。
 
天端は県道9号線。
 
右岸の取水設備
奥は青土エコーバレーの管理棟です。
 
洪水吐と減勢工
 
これが噂の洪水吐
まるで二つ並んだ巨大なアリ地獄!
 
 
右岸の山は採石場になっておりダンプがひっきりなしに行き交っています。
 
今回の滋賀県のダム巡りの最大の目的と言っても過言ではない青土ダムの洪水吐。
写真では何度も見ていましたが実物を見るとびっくり仰天。
期待通り越流していてよかったよかった!!
 
追記
青土ダムには410万立米の洪水調節容量が設定されていますが、豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに250万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1364 青土ダム(0253)
滋賀県甲賀市土山町青土
淀川水系野洲川
FNWI
43.5メートル
360メートル
7300千㎥/6600千㎥
滋賀県土木交通部
1987年
◎治水協定が締結されたダム

大原ダム(再)

2016-03-24 06:00:00 | 滋賀県
2016年3月19日 大原ダム(再)
 
大原ダムは滋賀県甲賀市甲賀町にある灌漑用アースダムで、滋賀県の事業で1962年(昭和37年)に建設され大原貯水池土地改良区が管理を行っています。
2007年(平成19年)から2011年(平成23年)にかけてに耐震補強のための再開発が行われました。
 
国道1号から県道129号に入り新名神をくぐると左手に大原ダムが見えてきます。
右岸には竣工記念碑や座標軸などが設置されていますが天端は立ち入りできません。
 
左岸の取水設備。
 
ダム湖畔には神社が祀られています。
名前は『大原ダム神社』。
 
左岸に回り込みます。
驚くべきは堤体上流面に並ぶ太陽光パネル。
上流面に太陽光パネルはたぶんここだけじゃないでしょうか?
 
左岸の洪水吐
越流しています。
 
洪水吐導流部
杉林の中の長い導流部です。
 
堤体下流面と分水工
ガンダムのホワイトベース!!
 
 
1356 大原ダム(元)
滋賀県甲賀市甲賀町神
淀川水系大原川     
27.4メートル
191.7メートル
2120千㎥/2120千㎥
大原貯水池土地改良区
1962年
---------
3625 大原ダム(再)(0252)
滋賀県甲賀市甲賀町神
淀川水系大原川     
27.4メートル
209.2メートル
2120千㎥/1830千㎥
大原貯水池土地改良区 
2011年再開発竣工

頓宮池

2016-03-23 18:00:00 | 滋賀県
2016年3月19日 頓宮池
 
頓宮池は滋賀県甲賀市土山町にある灌漑用アースダムで1965年(昭和40年)に築造され、周辺の溜池ともども甲蒲地方土地改良区が管理を行っています。
頓宮とは天皇の行幸の際の一時的な仮宮のことで、付近に垂仁天皇の頓宮がおかれたことに由来する地名で国土地理院地形図や道路マップには『頓宮新池』と記載されています。
 
土山から国道41号を北上すると右手に頓宮池が現れます。
右岸から
 
右岸の洪水吐。
 
洪水吐導流部と下流面。
 
天端には轍があります。
 
上流面
コンクリートで補強されています。
 
左岸の取水設備。
 
3335 頓宮池(0251)
ため池データベース 253640006
滋賀県甲賀市土山町頓宮
淀川水系野洲川右支流  
22メートル
115メートル
320千㎥/320千㎥
甲蒲地方土地改良区
1965年

鎌掛池

2016-03-23 16:00:00 | 滋賀県
2016年3月19日 鎌掛池
 
鎌掛(かいがけ)池は滋賀県蒲生郡日野町鐘掛にある灌漑目的のアースフィルダムで、1954年(昭和29年)に築造され、周辺にある溜池ともども日野川流域土地改良区が管理を行っています。
 
日野から県道41号を南下、県道182号を交差したあと南砂川に沿って林道を東に折れると鎌掛池へ到着します。
天端は車両通行禁止、上流面はコンクリートブロックで護岸されています。
近年整備されたようで柵やブロックは新しいものです。
 
右岸の斜樋。
 
右岸上流側から。
 
あいにくの曇天ですが、深い緑色の湖面が印象的です。
 
左岸の洪水吐。
 
洪水吐導流部
越流しています。
 
堤体下流面。
 
昨年10月からスタートしたダム巡り、ダム便覧掲載ダム(参考掲載含む)訪問250基目のマイルストーンはこの鎌掛池となりました。
えてして区切りのダムは地味なものが多いのですが今回も・・・
300基目はどこになるんでしょうか??
 
1354 鎌掛池(0250)
ため池データベース 253830096
滋賀県蒲生郡日野町鐘掛
淀川水系日野川
19.4メートル(ため池データベース 18メートル)
96.9メートル(ため池データベース 121メートル)
260千㎥/260千㎥
日野川流域土地改良区
1954年

今郷池

2016-03-23 14:00:00 | 滋賀県
2016年3月19日 今郷池
 
今郷池は滋賀県甲賀市水口町今郷にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1964年(昭和39年)に今郷地区の事業により竣工と記されており、農林省の補助を受けた団体営事業で建設されたものと推察されます。
現在は甲蒲地方土地改良区が管理を行っています。
なおダム便覧では堤高18.4メートルなっていいる一方、滋賀県ため池データベースでは堤高が11.3メートルとなっており両者の数値は大きく乖離ています。
 
野洲川北岸に広がる丘陵地帯の灌漑用水源になっています。
水口から国道1号を東進、県道182号を左折し今郷地区を右折し水田の先の丘陵地を上がると今郷池に到着します。
 
今郷貯水池の竣工記念碑。
 
上流面はコンクリートで補強。
 
天端には車の轍。
 
今郷池
池の背後の丘陵地帯にはお茶畑が広がっています。
 
池の下流は谷間から水田が扇状に広がっています。
右下に円筒型分水工があります。
 
円筒型分水工
改修されたばかり。
 
まだ溜池の見学に慣れていないこともあり、取水設備や洪水吐も確認しないままで終わってしまいました。
 
1357 今郷池(0249)
ため池データベース 253630031
滋賀県甲賀市水口町今郷
淀川水系野洲川
18.4メートル(ため池データベース 11.3メートル
110メートル(ため池データベース 115メートル)
110千㎥/110千㎥
甲蒲地方土地改良区
1964年
 

石部頭首工

2016-03-23 12:00:00 | 滋賀県
2016年3月19日 石部頭首工
 
石部頭首工は滋賀県湖南市の野洲川にある灌漑用取水堰で野洲川土地改良区が受託管理を行っています。
1954年(昭和29年)に旧頭取工が建設されましたが野洲川流域の開発などによる洪水流出量の増大に対応するため、農水省の農地防災事業により2007年(平成19年)に旧頭取工の下流100メートル地点に建設されました。
 
石部頭首工は国道1号沿いの野洲川にありますが、国道側には駐車スペースが見つからず右岸から見学しました。
右岸上流から
洪水吐はゴム引布製起伏堰、いわゆるラバーが4門
左右両岸に土砂吐としてフラップ付きローラーゲートが2門あります。
 
右岸下流から。
 
右岸の土砂吐
フラップ付きのローラーゲート。
 
堤高3.55メートルのゴム堰。
 
 
天端は立ち入り禁止です。
 
魚道もありましたが立ち入り可能区域からうまく撮影することができませんでした。
 
S008 石部頭首工(0248)
左岸 滋賀県湖南市石部北3丁目
右岸       菩提寺
淀川水系野洲川
MB
堰長 220メートル
野洲川土地改良区
2007年再開発

南郷洗堰

2016-03-23 10:00:00 | 滋賀県
2016年3月19日 南郷洗堰
 
南郷洗堰は滋賀県大津市の瀬田川に架かる旧堰で1905年(明治38年)に竣工、現在の瀬田川洗堰が完成する1961年(昭和36年)まで現役で稼働しました。
煉瓦および石造で堰の開閉は人力で行われ全閉から全開までの作業は24時間以上もかかったとのことです。
南郷洗堰の完成により瀬田川の疎通能力は毎秒400㎥にアップ、下流の宇治川や淀川の治水に効果をあげました。
現在は左岸に南郷洗堰の遺構が残っています。
 
 
 
 
(元)南郷洗堰((旧)瀬田川洗堰)
滋賀県大津市黒津
淀川水系瀬田川(淀川)
1904年竣工
1961年廃止

瀬田川洗堰

2016-03-23 08:00:00 | 滋賀県
2016年3月19日 瀬田川洗堰
 
瀬田川洗堰は滋賀県大津市南郷の瀬田川(下流では宇治川、淀川)に架かる可動堰で、国交省近畿地方整備局琵琶湖河川管理事務所が管理を行っています。
瀬田川の洪水対策は明治期からはじまり1905年(明治38年)に旧堰である南郷洗堰が完成しました。
1961年(昭和36年)に疎通能力アップのために旧堰の直下に瀬田川洗堰が完成、さらに1992年(平成4年)にバイパス水路が完成し疎通能力が大幅にアップしました。
瀬田川洗堰は瀬田川の洪水調節を行うほか琵琶湖の水位を調節しています。
 
今回は京滋バイパス南郷インターから瀬田川沿いを遡上し瀬田川洗堰に至りました。
左岸上流から
左がバイパス水路、右が本堰。
 
10門のゲートで構成されています。
 
バイパス水路
旧堰の煉瓦をイメージしたデザインです。
 
左岸下流側から。
 
バイパス水路下流から。
 
バイパス水路機械室
煉瓦造りをイメージしたシックなデザインです。
 
堰の上は県道108号線が通っておりびわ湖毎日マラソンのコースにもなっています。
 
S010 瀬田川洗堰(0248)
左岸 滋賀県大津市黒津4丁目
右岸       南郷1丁目
淀川水系瀬田川(淀川)
FWI
MB
6.114メートル(本堰)、8.824メートル(バイパス水路)
173メートル
国交省近畿地方整備局
1961年(本堰)
1992年(バイパス水路)

荒川調節池

2016-03-15 06:00:00 | 埼玉県
2016年3月12日 荒川調節池
 
荒川調整池は、埼玉県さいたま市南区から和光市、戸田市にまたがる調節池で国交省関東地方整備局荒川上流河川事務所が管理を行っています。
第一調節池から第五調節池まで計画されており現在第一調節池が完成しています。
第一調節池は荒川中流域の治水を目的とした河川改修事業と、利水を目的とした荒川調節池総合開発事業の共同作業で建設され、このうち利水目的の貯水池『彩湖』は1997年(平成9年)に竣工、治水目的の荒川第一調節池も2004年(平成16年)に完成しました。
彩湖は都市用水の水源として利用される一方、荒川第一調節池は荒川の洪水の際に一時的に水を貯留し下流の洪水を調節する目的を持っています。
調節池は荒川の広大な河川敷となっており公園や各種レクリエーション施設が整備されています市民の憩いの場となっています。
 
ダムカードが配布される彩湖自然学習センター。
 
彩湖の上を外環道『幸魂大橋』が横切っている。
 
調整池排水門
洪水時にはこの門を閉めて貯水を行い下流の洪水被害を防ぎます。
 
 
 
 
水位調節堰
彩湖の水位を調節しています。
 
洪水時にはここで貯水を行います。
 
0644 荒川調節池(0246)
埼玉県戸田市・さいたま市・和光市
荒川水系荒川
FW
FG
国交省関東地方整備局
1996年

利根大堰

2016-03-14 15:00:00 | 群馬県
2016年3月12日 利根大堰
 
利根大堰は左岸は群馬県邑楽郡千代田町、右岸は埼玉県行田市の利根川河口から154キロ地点にある水資源機構が管理する取水用可動堰で、1968年(昭和43年)に建設されました。
利根川上流ダム群で放流された水の大半はここで取水され武蔵水路、埼玉用水路、見沼代用水路、邑楽用水路、行田用水路の5つの水路により東京都、埼玉県の上水道、工業用水、および流域の灌漑用水に利用されています。
埼玉県の上水道の大半、東京都の半数近くが利根大堰で取水されており、首都圏上水道の心臓部ともいえる施設です。
 
利根大堰は武蔵大橋として県道20号が通っており埼玉と群馬にまたがる幹線道路にもなっています。
右岸埼玉側から
 
堰手前の右岸に取水口があります。
今回は工事中のため接近することができませんでした。
 
魚道
 
右岸下流側。
 
須加樋管 取水口からの水はここに出ます。
 
須加樋管から出た水は沈砂池を流れます。
 
沈砂地を経て各用水路へ分水されます。
 
魚道観察室入り口 
休日でも観察できます。
 
魚道観察室 
あいにくこの時期は遡上する魚もいないが、春になればサクラマスなどの遡上が見れるようです。
 
利根大堰
左岸 群馬県邑楽郡千代田町上中森
右岸 埼玉県行田市須加
利根川水系利根川
MB
AWI
692メートル
水資源機構
1968年

小河内ダム

2016-03-03 16:00:00 | 東京都
2015年11月14日 小河内ダム
2016年  2月28日
 
小河内ダムは東京都西多摩郡奥多摩町原の一級河川多摩川本流上流部にある東京都水道局が管理する上水道用水および発電目的の重力式コンクリートダムです。
人口増加や京葉工業地帯の発展を受け東京では水道需要が急増、1926年(大正15年)に当時の東京市は多摩川上流部へのダム建設を企図します。
1936年(昭和11年)の内務省裁定により東京府が多摩川の水利権を獲得、これを受け東京市はダム建設に着手しますが、2年後の東京都誕生に伴い都が事業を引き継ぎます。
しかし戦争激化による中断もあり、建設着手から14年後の1957年(昭和32年)にようやく小河内ダムが竣工しました。
小河内ダムで貯留された水は同時に完成した東京都交通局多摩川第一発電所で最大1万9000キロワットのダム式発電に使われたのち多摩川に放流され、下流二か所の取水堰で水道原水として取水されます。
現在東京都の水道水の多くは利根川水系に依存しており、小河内ダムからは多摩地域への給水に限られていますが、万一の渇水の際のサブ貯水池として重要な存在であることに変わりはありません。
 
ダム湖の正式名称は小河内貯水池ですが「奥多摩湖」の名のほうが一般的で、登山、釣りやキャンプなど関東有数のレクリエーションの拠点としてダム湖百選に選ばれています。
また2015年(平成27年)には日本ダム協会により日本100ダムに、2018年(平成30年)には土木学会選奨土木遺産に認定されました。
 
残念ながら小河内ダム堤体下流側は立ち入り禁止となっており、ダムを下流側から見ることはできません。
小河内ダムは非越流型重力式コンクリートダムで、余水吐は堤体から地山を挟んだ左岸側に位置しておりこちらは国道411号から見ることができます。
最奥にローラーゲートが5門見えます。また向かって右手から河川維持放流が行われています。
 
上流から見た余水吐ゲート
耐震強化工事中です。
 
余水吐導流部。
 
左岸から堤体下流面
放流設備のないすっきりした堤体。
 
上流面
堤体には対になったエレベータ棟と展望棟があるだけ
 
天端から
白い建屋が東京都交通局多摩川第一発電所。
ダム下のプールは水褥池(すいじゅくち)
水褥池??
上からは見えませんがダムの下部には放流管が2条あります。一方左手の発電所からの放流水も水褥池に放流され、それぞれ減勢させる目的の副ダムと言えます。
水褥池からは河川維持放流が川に戻され、残りは導水路で東京発電氷川発電所に送水されます。
 
2車線はある広い天端ですが、歩行者のみ開放されています。
 
右岸から上流面
遠く対岸に余水吐が見えます。
 
余水吐ゲートを遠望
網場かと思ったら巡視艇繋留用の浮きでした。
 
右岸展望台から。
 
左岸上流から
左手は発電用取水ゲートで、上は緊急用ヘリポートになっています。
 
左岸の大麦代園地から遠望
余水吐ゲートと堤体が地山を挟んで分かれているのがよくわかります。
 
追記
小河内ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに3558万3000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0692 小河内ダム(0052)
東京都西多摩郡奥多摩町原
多摩川水系多摩川
WP
149メートル
353メートル
189100千㎥/185400千㎥
東京都水道局
1957年
◎治水協定が締結されたダム

深城ダム

2016-03-02 12:00:00 | 山梨県
2015年10月24日 深城ダム
2016年  2月28日
 
深城ダムは山梨県大月市七保町瀬戸の相模川水系葛野川上流部にある山梨県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1974年(昭和49年)に山梨県は『葛野川総合開発事業』を採択し葛野川上流部への多目的ダム建設を決定しますが、補償交渉が長期化し着工には至りませんでした。
しかしバブル期に入り都市部の地価高騰の影響で上野原や大月の中央線沿線での宅地開発が一気に進展したことで、利水用水源確保に迫られたことで事態は急変、1996年(平成8年)に本体着工にこぎつけ2004年(平成16年)に深城ダムが竣工しました。
深城ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、葛野川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への補給、大月市・上野原市への上水道用水の供給を目的としています。
さらに2011年(平成23年)には放流水を利用した山梨県企業局深城発電所が新設され最大340キロワットの小水力発電が開始されました。
深城ダム直上、支流土室川には東京電力葛野川ダムがあり約2キロの距離を置いて事業主体の異なる2基の重力式コンクリートダムが近接する珍しい状況となっています。
 
大月市街から国道139号線を北上すると深城ダムに到着しますが、途中国道とは名ばかりの隘路もあり運転には注意が必要です。
国道からダムと正対できます。(2016年2月28日)
 
直前にまとまった雨があり水位が上昇したおかげで2種類の常用洪水吐からの美しい放流を見ることができました。
(2016年2月28日)
 
非常用洪水吐としてクレスト自由越流頂6門
洪水期・非洪水期常用洪水吐として自然調節式オリフィス上下1門ずつ計2門を装備。
今回は2種類の常用洪水吐それぞれから越流しています。(2016年2月28日)
 
ダム下右手の建屋は利水放流設備でジェットフローゲート2条を装備。
左手は2011年(平成13年)に新設された山梨県企業局深城発電所。
カスケード式の減勢工も深城ダムの特徴です。(2016年2月28日)
 
左岸から。
 
上流から
左手に管理事務所、右岸には艇庫とインクライン。
初回訪問時はずいぶん水位が低くなっていました。
 
ズームアップ
左手は常用洪水吐ゲートとゲート操作室、右手は選択取水設備と操作室
2つの常用洪水吐をゲートの昇降により開閉することで洪水期および非洪水期の水位調節が可能となっています。
 
天端は徒歩のみ開放。
 
天端から導流部及び減勢工。(2016年2月28日)
 
上下2段の常用洪水吐からの越流をズームアップ。(2016年2月28日)
 
上流面
2度目の訪問時は直前の雨の影響で水位が上がっています。
6枚目、7枚目の写真と比較すれば水位の違いがわかります。(2016年2月28日)
 
初回訪問は日も暮れかけた薄暮の中での見学でしたが、2度目はじっくり時間を掛けて見ることができた上に美しい放流のおまけまでついてきました。
 
追記
深城ダムには439万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに最大75万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0975 深城ダム(0023)
山梨県大月市七保町瀬戸
相模川水系葛野川
FNAP
87ートル
164メートル
6440㎥/5140㎥
山梨県県土整備部
2004年
◎治水協定が締結されたダム

上来沢川ダム

2016-03-01 09:00:00 | 山梨県
2016年2月27日 上来沢川ダム
 
上来沢川ダムは山梨県韮崎市旭町上條北割の富士川水系小武川左支流上来沢川にある東京電力リニューアブルパワー(株)が管理する発電目的の表面石張重力式粗石コンクリートダムです。
富士川上流部の釜無川流域では大正末期から昭和初期にかけて電源開発が進められ(事業者不明)、これらの発電施設は日本発送電を経て戦後の電力分割民営化により東京電力が事業を継承しました。
上来沢川ダムもそんな発電施設の一つで小武川第三発電所の調整池として1927年(昭和2年)に建設されました。小武川で取水された水が一旦ここに貯留されたのち小武川第三発電所に送られ最大2200キロワットのダム水路式発電を行っています。
上来沢川ダムは戦前の貴重な土木建築物ということで近代土木遺産に選定されています。
 
なお2020年(令和2年)の東京電力ホールディングスの組織改編により小武川第三発電所及び関連発電施設はすべて同社の100%子会社である東京電力リニューアブルパワー(株)に移管されました。
また上来沢川ダムは洪水調節目的のない利水ダムですが、近年頻発する豪雨災害に備えて2020年(令和2年)より豪雨の際に事前放流のを行う治水協定が締結され、基準降雨量350ミリの雨が予想される場合には事前放流により新たに最大5000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
北杜市武川町宮脇の国道20号線宮脇交差点から小武川林道に入り小武川沿いを遡上します。
上来沢にダムに向かう林道が分岐しておりここから徒歩で約15分ほど歩くとダムに到着します。
林道の大半は舗装済みですが、舗装状態は悪い上に落石が多いため運転には気を使いました。
 
下流から
全面石積みです。
 
堤体直下から
手前の穴は排砂路
中に入ってみたい!!
 
右岸側
赤さびた上に石灰成分が染み出しておりダムの歴史を醸し出します。
 
 
減勢工??そのまま上来沢川となります。
 
ゲートは全面越流式です。
直近の改修で越流部が削り取られコンクリート張りになりました。
改修前はすべて石貼りだったようで、ちと惜しい気がします。
削り取られた部分がよくわかります。
 
 
奥が小武川上流の取水口からの吐口。
手前側に小武川第三発電所への取水口があります。
 
追記
上来沢川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに5000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0960 上来沢川ダム(0244)
山梨県韮崎市旭町上條北割
富士川水系小武川
19メートル
49.6メートル
9㎥/3㎥
東京電力リニューアブルパワー(株)
1927年
◎治水協定の締結されたダム