ずいぶんと昔の話で恐縮するけれど、MITではUNIX用ウィンドウシステムとしてXウィンドウを作成していた。正確にいうと、Xウィンドウというシステムの仕様をまとめていた。正式名称は「Xウィンドウ・コンソーシアム」という団体がXウィンドウシステムの仕様書をまとめていた。コンピュータメーカーは無償でそのXウィンドウシステムを自社のUNIXマシンに実装することが出来た。日本にいては実態が分からぬので、一度その仕様のまとめ作業をどのようにやっているのか、見学したいと申し出ると、あっさりOKがいただけた。
MITXコンソーシアムの陣容は如何に?と思いきや、常任メンバーはチェアマンのP氏をいれて6名だった。この6名で、世界のコンピュータメーカー各社から送られてくる、各種提案を取りまとめるのが、彼らの仕事大半であった。
当然、日本からの提案も多く、NEC、富士通、日立、沖などから熱心な提案がFAX,メール等で常に送られてくる。送信元では、さぞかし多人数で仕様をまとめていると思ってるだろーなー。Xウィンドウは、何ヶ月単位でX-11ヴァージョンXXと次第にバージョン番号を上げていた。
ここでも、一つ実感したのは、「大切なことを決めるのに、多人数は不要で、本当に分かっている人、数人で仕事は出来る。」ということである。このとき以降、この思いは常に変わっていない。
MITにリチャード。ストールマンという、FSF(フリーソフトウェアファンデーション)運動の中心人物がいる。彼によれば、ソフトウェを営利目低で販売するのはもってのほか、ソフトウェアは、水とか空気と同じで、人間にとってはなくてはならぬものだとする。これは今に続いており、「オープン・ソース」がその運動から出来たものである。ずいぶん前のことですが(1986年頃)リチャードが横浜でのUNIXフォーラムかなにかで来日した折、熱くFSFについて語ってくれたのが、ついこの間のことのようです。