「あの、Kさん?今、時間宜しいですか?」知事公室のY情報対策官からの電話だ。
「梶原知事から、宿題をもらいましてね。一度お時間をお取りいただけますか?」
数日後、県庁近くの某レストランにて。
Y「知事が若手の勢いのいい奴を選んでくれ、と指示がありまして、Kさんほか何名かに打診をしています。」
K「どんな依頼、仕事なのでしょうか?」
Y「2つあって、
一つ目は、情報産業協会の設立準備の件
二つ目は、大垣に出来るソフトウェアの集積基地の内部の設計の件
について。」
K「で、私に何を?」
Y「情報産業育成協議会のメンバーになって頂きたいこと。
ソフトピアジャパン(仮称)を造るんだけど、中身の運営方法から、付帯設備の具体的な内容を提案して欲しいこと。」
K「中身と言うと、ハードウェア、ソフトウェア構成についてと考えて宜しいか?」
Y「そう。」
K「予算は?」
Y「当初、250億円」
K「出所は?」
Y「通産」
K「何か縛りは?」
Y「有り。詳しくは次回。」
昭和63年のとある、ある日の出来事だった。
昭和も遠くなりにけり。
梶原元岐阜県知事が亡くなって、寂しい限りだ。もうあの、梶原節が聞けないなんて。
私は、梶原岐阜県知事の右腕だったYさんの右腕だったのです。(?!^_^)