クラス構成は1クラス45名✖️8クラス
平成20年から、1学年400名に変更。
平成27年まで、1学年400名で推移。
クラス構成は1クラス40名✖️10クラス
平成28年から、1学年360名に戻す。
平成20年、21年の入学者に対して授業をしてみて、
クラスの下位の4名の増加により、教員の疲労度は増した。
授業のし辛さが感ぜられた。
年度末に、他校に転出する生徒が出始めた。学年で2.3名。
端的に言って、悪貨は良貨を駆逐する。
この3月末にて、表題の通り顧問西村先生は東海学園をご定年により退職される。それに伴い、交響楽団顧問も同時に退任される。永きに渡り、ご苦労様でした。
先生のお声は落ち着きのある、低音の魅力に溢れたものでした。あの声で、英文を朗読されると、大方の方はきっと痺れます。
それはさておき、西村先生ご退任の後も、他の顧問が引き継ぐこととなる。数学科のS先生を中心とした集団指導体制がここ暫くは続くでしょう。
現在、60歳以上でご存知の方も多いと思います。河合塾の数学主任の浅野英夫先生。次から次へと様々な解法を繰り出し、受講生をあっと言わしめる。数学的合理性に裏打ちされたその講義のエッセンスは、後に秘伝のオープンシリーズに結実することとなる。
筆者にとって、それはスーパーソリューションの宝庫だ。
例えば、図形と方程式分野の不等式の領域。境界線を描き、後は正領域、不領域を判定する方法など現在ではチャートの解法にもさりげなく自然に取り扱われている。関数の大小を利用した不等式の証明など枚挙にいとまが無い。
間違いなく、伝説のカリスマ数学講師の筆頭はこの浅野英夫先生だろう。
蛇足ながら、浅野英夫先生のお孫さんが、東海中学高校に在籍された。カエルの孫はカエルであり、定期試験、実力試験と数学に関してはいつもほぼ満点だった。当然、理系かと思いきや、祖父は祖父ですからの一言で、法学部へとアッサリ進学された由。現在は退職されたかつての担任談。
医学生の卵だけに、⭕⭕汚染を避けたのでしょうか。
やはり、東京は住める所では無いのでしょう。
賢明な選択です。
東海中高の名を知らしめる名物行事は、記念祭とこのサタデープログラムだ。
サタデープログラムでは、有志による実行委員会が組織される。総勢150名の中高生が活動の中心だ。この講師の先生にお話を伺いたいと思えるような講師を選定する。日程、その他の打ち合わせは原則実行委員の生徒が担当するが、最終的な講師招聘は1名の専任教諭と2名の実行委員が講師のもとに直接訪問して行うのが常である。講師料はマチマチで、概ね5万円以下である。講師の方々のキャリアは多彩である。このところ講座数は50前後で落ち着いている。最多は70講座近い時もあった。最も多人数を収容出来るのは講堂だ。次いで、高校職員室脇の多目的ホール当たりが多人数の収容が可能だ。人気講師は講堂かこのスタディーホールが充てがわれる。講座は3部制となっており事前登録の必要な講座もある。尚、サタデープログラムは名古屋市の土曜講座開催の支援を受けており、どの講座も原則無料である。一部で部材費の必要な講座あり。
多くの方々の賛同を得て開催されて来たサタデープログラムも、先日めでたく30回の開催を終えた。静かな語り口で生徒達を上手にコントロールされて来たH田先生はじめ、歴代の実行委員会の生徒諸君やそれを支えて来られた諸先生方の御尽力に頭の下がる思いだ。
在校生の皆さん、どうかこの良き伝統を継承し、次世代につなげて下さい。
東海学園は、今回の墜落事故現場となった長野県岡谷市近郊の鉢伏山に、山の学寮を所有している。山小屋風のロッジとすぐそばに、広いグランドがあり、運動部、文化部が毎年夏にお世話になっている。8月末には一足早く秋を迎え、大量の赤トンボに遭遇することもある。その数、5万匹。正に圧巻の飛行隊だ。ウサギ、イタチなどの小動物も多く、見る人を楽しませてくれる。そんな平和の象徴とも言える、鉢伏山にヘリが墜落した。亡くなられた方々のご冥福を祈る。
東海学園(愛知県)では、食前のことばを唱和して、食事を始めます。それが、食作法(じさほう)です。
本当に生きんが為に、今この食を頂きます。与えられた天地の恵みに感謝いたします。頂きます。
当然、食後には「ごちそうさま。」です。
東海高校では食作法はまれです。しかし運動部、文化部の合宿等では食作法は健在です。一方、中学校では毎日日課で、昼食はこの「食作法」から始まります。(担任の指導で行われます。中学3年間)
京都の知恩院へ祖山参拝など、旅先での食事では食作法を行います。全員の唱和は圧巻です。たまたま居合わせた方は一瞬あっけにとらわれます。