国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

次もやるか?

2020-08-26 | 日記
既に前期授業は終了し、一部科目のレポート採点(約70名分)と成績提出が残っているだけです。ちなみに最も大変だったのが「国際文化学概論」(旧名:国際協力論)で、今年に入って急遽転出されることになった他学部の先生から「来年度だけでも」とピンチヒッターを打診されたのですが、「毎回ゲストスピーカーを呼ぶので司会進行だけやってもらえたら」という説明を聞いて、「それなら何とかなるか」と軽い気持ちで引き受けました。ところが、4月下旬に通常の対面授業ではなく遠隔授業で行うことが決まり、外部講師の方々にその準備をしていただくため最初の2回は私が話すことになりました。要は「代打の代打」となった訳です。(ちょっと違うか?)

いざ始まってみれば、毎回の講義資料のみならず学生からの質問へのレスポンス(応答)も慣れない方法で作成しなければならない。他の科目の準備にも追われるわオンラインの会議にも出なくてはならないわで、仕上がるのはいつもギリギリ。まさに「自転車操業」、いや「火の車」状態でした。(前にここここで愚痴ってましたし、もう一人の担当の先生に泣きを入れたことは一度や二度ではありません。)

ようやくにして「借金地獄」から逃れられたのは5月も下旬に入ってからでしたが、その頃はレスポンスに対する質問のそのまたレスポンスも作ったろか、という気になっていました。そこまでする必要は全くなかったのですが・・・・・しかしながら、PowerPointのプレゼンテーションを見ながらの録音作業は楽しいことこの上なし。質問の回答を捻り出していると「そういえばあんなこともあったなぁ」と記憶が次々と甦り、収録時間はドンドン延びていきました。昔話が楽しくなっているのは老いの入口に差しかかっているからに他なりませんし、義務でない仕事の方に熱が入るというのはプロ意識に欠けていると言われても仕方ないでしょうね。

それはともかく、好き勝手に作ったビデオは学生からも思いのほか好評でした。1本埋め込んでおきますね。(滑舌は悪いし、噛みまくってるし、いくつか間違いもあると後で気が付きましたが、1発録りを無修正で。→修正追記:「おまけ」を継ぎ足したので正確には「2発録り」ですね。)講義資料も著作物ですが、私が作ったんだからいいでしょう。

ちなみに授業評価アンケート(中間および最終)でも学生からの評価は上々。もちろん私の手柄ではなくゲスト講師の方々のお陰ではありますが、とても自分の担当科目とは思えないほど(思わず目を疑ったほど)でした。昨年までは平均値を下回るのが当たり前でしたから。何にせよ、話し手が楽しんで聴き手のウケも良いというのは講義としては非常に理想的ですが、そういう希有な例だと思います。なお、この科目は隔年開講なので廃止されないとしたら次は再来年です。
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