ブログの執筆ではなるべく繰り返しを避けようと腐心するあまり、余計な時間を費やしているような気がしてなりません。どうしても必要な場合を除き、同一文に同じ名詞を使わないようにするし、動詞も連続しないよう同義語を使い分けたりします。(なので学生のレポートの考察部分に「〜と考えられる。」が三つも四つも続くと赤で指摘せずにはいられない。「〜と思われる。」「〜かもしれない。」あたりを挟めばいいだけなんですけどね。「示唆される。」「推察される。」は凝り過ぎか?)接続詞も2文連続は論外として、前と同じものを使ってないか検索することもたびたび。ここまでくると強迫観念というか病的かも?
英語のbe動詞に相当する「〜です/でした。」が続くだけでもイヤなので、二つ目は違う終止形にしますし、時には体言止めを使ったり(ただし続けるとリズムが悪くなるので多くて二つまで)、敢えて時制を変えたり(だいたい文脈から判るので大丈夫)と頭を使います。(ついでながら単調に陥らないよう「である体」も時々混ぜます。書き言葉で「ですます体」との混用は本来御法度ですが、ブログ記事は公式文書じゃないのでセーフでしょう。)
人づてに聞いた内容を複数の文にわたって紹介する時は「〜だそうです/でした。」「という話です/でした。」「とのことです/でした。」を代わりばんこで登場させます。(四つ目があると困るので、その場合は無理矢理にでも文章を繋げます。)また最後のは「とのこと。」の体言止めにすることも。ここから文句を書いてみます。
最近のテレビのナレーションで時に耳にする「〜だそう。」という終わり方、あれは何なんだ(怒)! 以前はバラエティ番組(注)だけだったと記憶しているのですが、恐るべきことに最近はニュースでも使われるようになっています。(注:最初に意識したのは女子マラソンの元選手がナレーターを務める月曜夜の番組でした。昨日は放送がありませんでしたが・・・・・・今も相変わらず頻用されています。)これが気持ち悪くて仕方がありません。
調べてみたら「そう」は伝聞の助動詞「そうだ」の語幹とのこと。ならば文章が語幹で終わっていいはずがない。(体言止めとは話が全く違います。)文法的にも文句なしに却下。ネット上でも疑問を唱えている人は少なくないようです。(例えば「やはり避けたい」という見解がここに。一方、こちらで解説している日本語教師さんはやや肯定的に捉えているようでした。)これが新聞のコラムなど書き言葉の中で目にするなら辛うじて許せるかもしれませんが、日常会話(話し言葉)ではまず用いられない表現が耳に飛び込んでくるのだから違和感を覚えない方がおかしい。初めてこれを原稿に使ったアホを見つけて説教してやりたい気分ですわ。
けれども昨年文化庁が行った調査では、国語が乱れていると感じる日本人の割合が減少しているそうですから、これも次第に受け入れられていくのでしょうね。ちなみに(普段は全く意識していませんが)「そうだ」が様態の助動詞として使われる場合は「語幹止め」も許されます。例えば「美味しそう。」のように。知れば知るほど日本語は難しい!
おまけ
「〜だそう。」は(語尾に「う」が付くと幼稚っぽくなるものの)字面が似ている念押し表現の「〜だぞう。」と読み間違える恐れがありますね。よって書き言葉での使用にもダメ出ししたいです。
英語のbe動詞に相当する「〜です/でした。」が続くだけでもイヤなので、二つ目は違う終止形にしますし、時には体言止めを使ったり(ただし続けるとリズムが悪くなるので多くて二つまで)、敢えて時制を変えたり(だいたい文脈から判るので大丈夫)と頭を使います。(ついでながら単調に陥らないよう「である体」も時々混ぜます。書き言葉で「ですます体」との混用は本来御法度ですが、ブログ記事は公式文書じゃないのでセーフでしょう。)
人づてに聞いた内容を複数の文にわたって紹介する時は「〜だそうです/でした。」「という話です/でした。」「とのことです/でした。」を代わりばんこで登場させます。(四つ目があると困るので、その場合は無理矢理にでも文章を繋げます。)また最後のは「とのこと。」の体言止めにすることも。ここから文句を書いてみます。
最近のテレビのナレーションで時に耳にする「〜だそう。」という終わり方、あれは何なんだ(怒)! 以前はバラエティ番組(注)だけだったと記憶しているのですが、恐るべきことに最近はニュースでも使われるようになっています。(注:最初に意識したのは女子マラソンの元選手がナレーターを務める月曜夜の番組でした。昨日は放送がありませんでしたが・・・・・・今も相変わらず頻用されています。)これが気持ち悪くて仕方がありません。
調べてみたら「そう」は伝聞の助動詞「そうだ」の語幹とのこと。ならば文章が語幹で終わっていいはずがない。(体言止めとは話が全く違います。)文法的にも文句なしに却下。ネット上でも疑問を唱えている人は少なくないようです。(例えば「やはり避けたい」という見解がここに。一方、こちらで解説している日本語教師さんはやや肯定的に捉えているようでした。)これが新聞のコラムなど書き言葉の中で目にするなら辛うじて許せるかもしれませんが、日常会話(話し言葉)ではまず用いられない表現が耳に飛び込んでくるのだから違和感を覚えない方がおかしい。初めてこれを原稿に使ったアホを見つけて説教してやりたい気分ですわ。
けれども昨年文化庁が行った調査では、国語が乱れていると感じる日本人の割合が減少しているそうですから、これも次第に受け入れられていくのでしょうね。ちなみに(普段は全く意識していませんが)「そうだ」が様態の助動詞として使われる場合は「語幹止め」も許されます。例えば「美味しそう。」のように。知れば知るほど日本語は難しい!
おまけ
「〜だそう。」は(語尾に「う」が付くと幼稚っぽくなるものの)字面が似ている念押し表現の「〜だぞう。」と読み間違える恐れがありますね。よって書き言葉での使用にもダメ出ししたいです。