軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

あさま山荘(3/3)

2022-03-18 00:00:00 | 軽井沢
 あさま山荘事件は連合赤軍メンバーが人質を取り、軽井沢レークニュータウン内の河合楽器「あさま山荘」に立てこもった1972年2月19日に発生、10日間の攻防の末、2月28日に警察が強行突入し、人質を救出するとともに、犯人5人を逮捕した。

 その28日、事件解決に当たった内田尚孝警視長と高見繁光警視正が撃たれ殉職したことから、1年後軽井沢町発地に顕彰碑「治安の礎」が建てられ、事件後毎年2月28日には慰霊式が行われてきた。

 事件から50年たった今年も慰霊式が行われた。式は新型コロナウイルス対策で、出席者を10人程度に絞って開催され、事件現場の方向を向いて全員で黙とうし、関係者が献花する様子が、TVのニュース番組で放映され、翌3月1日の新聞各紙でもその模様が報じられた。

 新聞3紙の3月1日の記事内容を見ると次のようである。

・【読売新聞・地域面(長野)】
  「『警察の使命感 引き継ぐ』 あさま山荘事件50年 殉職2人を慰霊」との見出しのもと、
 慰霊式の様子を次のように紹介した。
  「・・・式は、亡くなった警視庁第2機動隊長の内田尚孝さん(当時47歳)と、特科車両隊
 指揮官の高見繁光さん(同42歳)を追悼するため、毎年開かれている。今年は警視庁や長野県
 警、地元の防犯団体の関係者など約15人が参列。全員で黙とうをささげた後、花を供えた。
  軽井沢署の柏木隆所長は『非常に厳しい状況の中で任務に当たった警察の使命感は忘れては
 ならない。その気持ちを引き継いでいきたい』と話した。式には、当時クレーン車を運転し、
 山荘を壊す『鉄球作戦』に協力した白田弘行さん(84)(長野市)も参列した。白田さんが
 乗り込んだ防弾ガラス付きの運転席も狙撃され、近くで指揮をとっていた内田さんが銃弾を
 受けたのを目の当たりにしたという。
  白田さんは『銃口が私から(内田)隊長に向かうのが見えて《隊長、顔出さないで。狙われて
 いるよ》と注意したら《ありがとう》と言って、その2,3秒後に撃たれた。50年たって体は
 ガタガタだが、よく覚えているもんですね。本当に痛ましい』と振り返った。
  また、式の前には、突入部隊の破壊工作班長を務めた箱山好猷(よしのり)さん(86)ら、
 長野県警機動隊OB7人も献花に訪れた。事件を知らない世代が増える中、箱山さんは『月日の流
 れを感じるが、二度とこのような事件が起きなければそれでいい。平和になったということだ』
 と話した。」

 信濃毎日新聞は2つの紙面でこれを報じている。
・【第三社会面】では、
  「あさま山荘 警察の強行突入から50年 『事件風化させない』誓い 新たに」との見出しと、
 式の様子を伝える記事とともに、
  「・・・式の前後に訪れ、コーヒーやたばこを供える人もいた。当時、県警機動隊分隊長だっ
 た箱山好猷さん(86)=上田市真田町=は、共に山荘に突入した当時の隊員6人と訪れて手を
 合わせた。内田さんと突入前日に話をしたといい、『亡くなった2人の方の功績は大きい』とし
 のんだ。二十数人の部隊員は事件後、突入した部屋の名前(かえでの間)をとって会をつくり
 交流してきたが、メンバーの高齢化もあり、この日で解散するという。・・・」と報じ、50年
 の歳月が、事件関係者にも一つの区切りが来たことを感じさせた。
・【地域面(東信)】では、地元の建設会社で働いていた佐藤さんの談話を紹介した。
  「3人の死 今もふに落ちず あさま山荘事件50年 作戦協力の住民」
  「土のう作り・除雪・・・『二度と』手合わせ」
  「・・・佐藤さんは会社や町外の同業者の人らと、昼も夜もひたすら土のうを作り続けた。
  ・・・(突入を)決行する28日の前夜から山荘へ向かう道には雪が積もった。クレーン車が通
 りやすいようにと、佐藤さんが除雪を買って出た。・・・当時使ったブルドーザーはキャタピラ
 が鉄製で、固い路面では横へ滑る恐れがあり、細心の注意を払ったという。・・・慰霊式に合わ
 せ、毎年顕彰碑を訪れてきた佐藤さんは『三つの命が亡くなったのは、今でもふに落ちない
 ね』とつぶやいた。」

 朝日新聞の記事は次のようである。
・【長野面(信州)】
  「『50年たっても忘れられない』 あさま山荘事件 慰霊式典 「鉄球作戦」元運転手も
 参列」
  「・・・(事件発生から)10日目の2月28日、巨大な鉄球をつるしたクレーン車が投入された
 ことが局面打開のひとつのきっかけとなった。
  当時、県警に依頼され現場で米国製のクレーン車を運転していたのが白田弘行さん(84)
 =長野市。重機オペレータだった白田さんは、事件発生後に警察から依頼の電話を受け、鉄球の
 操作を担当する義弟と2人で現場に向かったという。・・・
  白田さんは事件解決から50年目の28日、妻澄江さん(85)と慰霊式典に参列した。
  『理不尽事件で殉職された警官の方は本当に気の毒だ。体はがたがただが、来られるうちは
 また訪れたい』と話した。」

  慰霊式の翌日、3月1日朝の現地の様子は次のようであり、献花された花束がまだ残されていた。

軽井沢発地にある「治安の礎」(2022.3.1 撮影)

 前回、信濃毎日新聞が2月6日に掲載した記事について当ブログで紹介したが(2022.2.18 公開)、その後事件が発生した2月19日前後からから突入まで、新聞各紙は「あさま山荘事件」についてどのように報じたか。ふだん購読している新聞のほかに数紙を入手し、調べてみた。
 記事内容は次のようである。尚、産経新聞はこの事件について連日記事を掲載していたことを後で知ったが、残念ながら入手できず、ここでは紹介できなかったことをお断りしておく。

2月17日
・【読売新聞・文化面】
  「連合赤軍事件」50年 閉じた関係の中 命と言葉が逆転した。その瞬間はどこにでもある
 山本直樹さん(漫画『レッド』著者)、
 殺人への連続線上にいないと断言できるか北田暁大さん(社会学者)、
 砂粒化する青年らの焦りと孤独 浜崎洋介さん・批評家

2月19日
・【読売新聞・社会面】
  あさま山荘 背景に「葛藤」 きょう発生50年 映画「突入せよ!」原田真人監督語る
・【毎日新聞・総合・社会面】
  あさま山荘事件50年 捜査に関わった元検事 「赤軍 誰もがなり得た」 退官後、受刑者と手
 紙で交流 「事件終わっていない」
・【朝日新聞・長野面(信州)】
  同時代の記憶 あさま山荘事件50年① 緊迫の中継 9割が見つめた 「社会の矛盾は続く 投降
 すべきだった」-連合赤軍の「原点」知る男性 
・【信濃毎日新聞・第三社会面】
  発生50年 あさま山荘事事件 衝撃の記憶① 「運転できるなら出られる」 犯人に告げられた
 人質の牟田泰子さん 救出後に受けた批判 心に負った傷
 
2月20日
・【信濃毎日新聞・論面】
  「あさま山荘」 戦前と戦後交錯 ■(20年以上も前に生まれていたら)皇軍の立派な兵士、
 ■思想では逮捕せず ノンフィクション作家 保坂正康
・【信濃毎日新聞・第三社会面】
  発生50年 あさま山荘事事件 衝撃の記憶② 使命感で突入 救出に安堵 県警機動隊分隊長だ
 った箱山好猷さん 工作班として人質がいるとみられた2階へ
・【信濃毎日新聞・第三社会面】
  連合赤軍とオウム事件は類似 あさま山荘事件時に現地入り 元警察庁長官・国松孝次さん
 (当時警視庁広報課長)
・【朝日新聞・長野面(信州)】
  同時代の記憶 あさま山荘事件50年② 攻防の最前線 構えたレンズ 耳のそばで音
 「それ弾ですよ」-現場を取材した写真記者 
 
2月21日
・【信濃毎日新聞・第三社会面】
  発生50年 あさま山荘事事件 衝撃の記憶③ 厳寒 警官・記者らの支えに 馬取地区の
 佐藤松江さん・五月女くに子さん 炊き出しでおにぎり作り 自宅は取材拠点

2月22日
・【信濃毎日新聞・第三社会面】
  発生50年 あさま山荘事事件 衝撃の記憶④ 「勝手な考え 押し付けようと」 警察と銃撃戦
  元連合赤軍の加藤倫教さん 「総括」で殴った兄が死亡 従うしかなかった
・【朝日新聞・長野面(信州)】
  同時代の記憶 あさま山荘事件50年④ 世界追った札幌五輪の熱気 「代表=『模範』
 明確な答え見えていた」ー出場した元選手 

2月23日
・【朝日新聞・長野面(信州)】
 同時代の記憶 あさま山荘事件50年⑤ 「鉄球」の映像 人生の転機 「迫力があった。
 あの時がスタートなん」-リンゴ農家からスキー場経営 

2月24日
・【朝日新聞・長野面(信州)】
  同時代の記憶 あさま山荘事件50年⑥ 野球の快進撃 諏訪は沸いた
 「怖かった」心揺らしながらも日本一へ-元三協精機の選手

2月25日
・【朝日新聞・長野面(信州)】
  同時代の記憶 あさま山荘事件50年⑦ 激動期 日本の動脈とともに 
 「蒸気機関車は人間的だよね。一生懸命走る」-元国鉄職員
・【信濃毎日新聞・第三社会面】
  発生50年 あさま山荘事事件 衝撃の記憶⑤ 次代へつなぐ「語り部」に 
 彰碑の清掃続ける新見文彦さん 引き継いだ 訪れる人の気持ち受け取る役割
 
2月26日
・【読売新聞・社会面】
  あさま山荘 殉職警官悼む 事件50年 突入時の盾も公開 
 「『あさま山荘事件』から今月で50年となる。隊長が殉職した警視庁第2機動隊で25日、
 隊員らが『顕彰之碑』(東京都江戸川区)に献花を行い、慰霊を行った。」 
・【信濃毎日新聞・第三社会面】
  発生50年 あさま山荘事事件 衝撃の記憶⑥ 引き金は「他者顧みぬ独善」 
 同時代のノンフィクション作家・吉岡忍さん 孤立した運動は暴走する-現代への教訓に 

2月27日
・【読売新聞・地域面(長野)】
  山荘突入「死を覚悟」 あさま山荘50年 転がってきた爆弾 部下と別れの杯 あす警官
 慰霊祭
・【朝日新聞・長野面(信州)】
  同時代の記憶 あさま山荘事件50年⑨ 女性 もの言わぬ風潮だった 
 最高幹部逮捕に衝撃「こういう世界にも女性が」-元下諏訪町議

2月28日
・朝日新聞(社会面)
  あさま山荘事件 50年 突入時 連合赤軍メンバーと警官は いまも罪に向き合って、
 同じ構造の事件 いつの時代も
・朝日新聞(長野面)
  同時代の記憶 あさま山荘事件50年⑩ 友の死 革命からの離脱決意 「集団で掲げた幻想
 個々人が押し殺された」-元連合赤軍メンバー
  連合赤軍リンチ殺人 犠牲者追悼 群馬・高崎 現場近くの寺院で法要
・【信濃毎日新聞・第三社会面】
  あさま山荘事件50年 目前で警官狙撃 憤り鮮明 鉄球つったクレーン車運転
 長野の白田さん 今日慰霊式

 記事の見出しは以上のようであったが、これらを纏めると、新聞各社のこの事件に関係した記事の掲載状況は次のようであった。地元の信濃毎日新聞の記事数の多さはなるほどという感がするが、朝日新聞が他紙に比べ多くの関連記事を掲載していたことがわかる。
 事件当時の取材合戦の状況を思い出すと、新聞各社の関心の度合いからも、50年の歳月が感じ
られる。


 〇印はその日関連記事が掲載されたことを示す。 
 
   

 

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