軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

浅間石(3)

2016-11-25 00:00:00 | 軽井沢
浅間石に新たな仲間、それも国指定天然記念物(昭和13年指定)の仲間が加わるかもしれない。
群馬県前橋市の市街地にある「岩神の飛石」がそれである。


岩神稲荷神社にご神体として祀られている「岩神の飛石」(2016.9.17 撮影)


岩神稲荷神社(2016.9.17 撮影)

この「岩神の飛び石」は岩神稲荷神社のご神体で、従来は赤城山からもたらされたものと考えられていた。

少し長いが、この「岩神の飛び石」の前に立てられている金属製の案内板の説明を引用する。

「国指定天然記念物 岩神の飛石
所在地:前橋市昭和町三丁目29-11 岩神稲荷神社

 周囲が約60m、高さは地表に露出した部分だけで9.65m、さらに地表下に数mは埋もれているこの大きな岩は、「岩神の飛石」と呼ばれています。昔、石工がノミをあてたところ、血が流れ出したとの伝説があります。

 岩は赤褐色の火山岩で、表面には縞のような構造も見えます。しかし、大きさのそろった角ばった火山起源の岩や石が多い部分もあります。この岩は火口から溶岩として流れ出したものではなく、火口から噴出した高温の火山岩や火山灰などが、冷えて固まってできたものと考えられます。

 この地点より約8km上流の坂東橋の近くの利根川ぞいの崖では、10万年以上も前に赤城山の山崩れでできた厚い地層の中に同じ岩が認められます。このことから、この岩は赤城火山の上半分が無くなるほどの大規模な山崩れに由来することがわかります。

 さて前橋の街の地下には、「前橋泥流」と呼ばれる地層が厚く堆積しています。これは約2万年前に浅間山で起こった山崩れが、水を含んで火山泥流に変化して流れてきてできた地層です。この地層の中にも、「岩神の飛石」と同じような石が多く含まれています。

 またここは火山泥流の堆積後、平安時代以前までの間に、利根川が流れていたところでもあります。

 これらのことから、この岩は現在の坂東橋のあたりに堆積していた地層の中から、約2万年前の火山泥流によってこの近くまで押し流されてきたものと思われます。さらにその後の利根川の洪水によって、今の場所まで運ばれてきたと考えられます。「岩神の飛石」は、私たちに前橋とその周辺の自然の歴史とその営みを教えてくれます。

 文化庁・群馬県教育委員会・前橋市教育委員会」

とある。

ここに書かれているように、現在のこの場所は利根川の左岸で、川からの距離はおよそ500mくらいであるが、古い写真によると、神社のすぐそばを廣瀬川が流れている様子が示されている。


明治時代の岩神神社の様子
(国指定天然記念物 岩神の飛石環境整備事業報告書2016前橋市教育委員会刊 より)


「岩神の飛石」の前にある天然記念物を示す石碑と由来の説明板(2016.9.17 撮影)

ところが、この飛石の由来については2000年ごろから説明板にある赤城山由来ではなく、浅間山由来ではないかとの説が提出されていた。

しかし、この飛石は神社のご神体ということもあり、その由来を明らかにするための科学的な調査は行われてこなかった。

そうした中、2011年3月11日の東日本大震災で、この飛石が動いたのではという懸念が出て、安全性の確認に関する詳細な調査が企画され、同時にこれまで疑問が提起されていた由来についても調査することになったという。

そして、3年にわたる調査の結果、これまでの10万年以上前の赤城山噴火に由来するという説を覆し、約2万4000年前の浅間山噴火に由来するものであるとされた。

岩石の結晶の状態や組成を分析した結果、浅間山由来であることが確実視されている群馬県中之条町にある巨岩「とうけえ石」に最も近いことが判明し、浅間山由来の決め手になった。

一方、岩石の生成年代については熱ルミネッセンス法による年代測定が行われ、2~3万年以前のものと推定されている。

この結果は、2016年3月15日に前橋市教育委員会から発表され、翌16日には新聞各社が一斉に伝えることとなった。

現地にある説明板の内容は、私が訪問した2016年9月17日の段階ではまだ従来のままになっていたが、その表面は先に写真を示したとおり不明瞭で文字もはっきりと読み取れない状態になっていた。これは、今回の調査内容を受けて、手が加えられていたのかもしれない。


「岩神の飛石」の側面(2016.9.17 撮影)


「岩神の飛石」の背面(2016.9.17 撮影)

この「岩神の飛石」が浅間山由来であるとかねて主張をしていた群馬大学の早川由紀夫教授によると、外観が赤い「岩神の飛石」によく似た巨岩は浅間山の南側にも多数発見されていて、これが浅間山由来の根拠のひとつとされていた。

早川教授が2003年に上毛新聞に書いていたという文章がある。

「岩神の飛石 浅間山が崩壊し流れ着く
 前橋市北部にある「岩神の飛石」は、周囲の平坦な地表から10メートルも高く突出した大きな火山岩です。その鮮やかな赤色のために、稲荷としてまつられています。この岩は、マグマのしぶきが火口の周囲に積み重なってできたものです。そのような岩は火山の火口のすぐ近くにしかできません。では、むかし岩神に火山があったのでしょうか?

 いいえ、そうではありません。飛石と同じ岩は、吾妻川沿いにたくさんみつかります。そのなかでも中之条町の国道145号脇にある「とうけえし」が一番立派です。小野上村村上の畑の中や吾妻町岩井田中の吾妻川河床にも大きなものがあります。

 いまから2万4000年前、浅間山がまるごと崩れました。崩壊した大量の土砂は北に向かって流れて吾妻川に入り、渋川で利根川に合流し、関東平野に出て、そこに厚さ10メートルの堆積層をつくりました。

 「岩神の飛石」は、この崩壊土砂のひとつとして浅間山から前橋まで流れてきたものです。
 飛石になった岩は浅間山の心棒をつくっていた硬い部分だったから、大きいまま前橋にたどり着きました。その後、利根川の水流によって、飛石の周囲にあった小さな石は運び去られましたが、飛石は大きすぎたのでこの場に残りました。高崎市の烏側川床にある聖石も同じものです。つまり前橋市と高崎市は、浅間山の崩壊土砂がつくった台地の上に形成された都市なのです。

 浅間山のような大円錐火山が崩壊することはめずらしいことではありません。むしろ大円錐火山にとって、崩壊することは避けられない宿命のようなものです。ゆっくりと隆起してできる普通の山とちがって、火山は突貫工事で急速に高くなりますから、とても不安定です。大きな地震に揺すられたり、あるいは地下から上昇してきたマグマに押されたりして、一気に崩れます。

 2万4000年前の浅間山崩壊で発生した土砂の流れは、北側の群馬県だけでなく、南側の長野県にも向かいました。佐久市には、まさに赤岩という地名があって、田んぼの中に小さな丘が点在しています。それらは、浅間山の崩壊土砂がつくった流れ山です。そこにも赤い岩がたくさんみつかります。

 浅間山の崩壊土砂がつくった土地の上にはいま、群馬県で50万人、長野県で10万人が住んでいます。私たちはこのことをどう考えればよいのでしょうか。答えは、簡単にはみつかりそうもありません。いろいろな角度から研究を進める必要がありそうです。(早川由紀夫)上毛新聞に2003年9月4日に掲載された郡大だより65教育学部を、わずかに書き換えた」
とある。

ここに書かれている浅間山の南側にある佐久平の赤岩地区と、別な情報源から得た軽井沢下発地にもあるという赤い岩を訪ねてみた。


佐久平の赤岩交差点から浅間山を望む(2016.11.5 撮影)

この赤岩交差点を北側に入った所に赤岩弁天堂がある。ちょうど紅葉が美しい時期であった。


紅葉が美しい佐久市塚原赤岩にある赤岩弁天堂(2016.11.8 撮影)

巨大な赤岩が社殿を支えるように配置されている。また、周囲の石垣や階段などに用いられている石も多くが赤い色をしており、赤岩を加工して作られたものと思われる。


赤岩弁天堂を支える巨大な赤岩(2016.11.8 撮影)

階段を上ると左側にも巨大な赤岩があり、こちらは社殿の壁に一部が食い込んでいる。また、岩の上には像が建てられている。


赤岩弁天堂の壁面に食い込むように取り入れられている赤岩(2016.11.8 撮影)

この赤岩弁天堂から西に100mほどの畑の中には、赤い岩が点在していて、中には巨大なものもみられる。


佐久市塚原赤岩の畑の中にある赤い岩の南側から浅間山を遠望(2016.11.4 撮影)


同上の赤い岩の西側面(2016.11.4 撮影)

これら点在している赤い岩のある場所は、北陸新幹線の佐久平駅からも直線距離では500mほどの場所にあり、イオンモールにも近く、周囲には住宅が迫っている。

もうひとつ、軽井沢の南西部に広がる下発地の畑の中にもよく似た赤い岩がある。主要道路から外れているので、これまで気がつかなかったのだが、南軽井沢の別荘地に行くときにたまに通ることのある道路から50mほど入った畑の中にあった。岩の周囲は木に覆われていて遠くからは判りにくい。


周りを畑に囲まれた下発地の赤い岩から浅間山を望む(2016.11.4 撮影)


下発地の赤い岩(2016.11.4 撮影)


赤い岩の下に祀られているお地蔵さん(2016.11.4 撮影)

軽井沢の街中にある浅間石に始まって、浅間石のことを見てきたが、1783年の天明の大噴火に伴うもの、1108年の平安時代の大噴火に伴うものに続いて、2万4000年前の古代の浅間山(黒斑山)の山体崩壊による巨岩を見ることができた。

今回の「岩神の飛石」や佐久平と軽井沢の赤い岩は、浅間山由来と判明してはいるものの、今のところまだ浅間石とは呼ばれていない。が、これらも浅間石と呼んでもいいであろうと思う。

このうち「岩神の飛石」は国指定天然記念物であるが、佐久平と軽井沢の赤い岩にはまだ何の指定もないままに畑の中に放置されているものもある。

これまでは地域の人々の素朴な信仰心に支えられて保存されてきたが、「金島の浅間石」周辺の状況に見られるように、いつこれらが取り崩されて持ち去られてしまうかもしれない。

浅間山の過去の活動を現在に伝えるこうした自然遺産を大切にして、後代にも引き継いでいきたいものだ。
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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
勉強になりました (どくだみ)
2016-12-02 16:43:11
浅間石、知らないことばかりでした。
大変勉強になりました。
印刷させていただいていいですか?
紙ベースにして、ぜひじっくり読ませていただきたいです。
返信する
閲覧感謝 (ときどき3D)
2016-12-02 22:13:10
ごらんいただき有難うございます。印刷もちろんご自由になさってください。
私も浅間石から入り、浅間山の噴火の歴史を勉強するいい機会になりました。
返信する
印刷 (どくだみ)
2016-12-05 17:24:29
ありがとうございます。
このブログをもって、浅間石巡りをしたくなっています。

3D様のブログが、私のパソコンでは更新されないんです。
以前は新たな書き込みがあると、最新版が表示されていたのに、ずっと同じまま。
なぜかわからずにいます。
返信する
どうしたんでしょうね (ときどき3D)
2016-12-06 11:58:24
ブログのアドレスを再登録して、お気に入りに入れてみてはいかがでしょうか。
返信する
ありがとうございました (どくだみ)
2016-12-07 22:50:21
ご心配いただき、すみませんでした。
忙しくて何もできないでいたら、今日更新されて、「フェアリーリング」になっていました。
パソコンはわからないことがいっぱいです。
読者登録とお気に入りにはしてありますが、再度入れなおしてみますね。
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