「軽井沢の夜話」に参加したことがきっかけとなり、「クリック博士の仮説」とは何か、また講話をしていただいた松井孝典さんの「宇宙と生命」に関する考えをさらに知りたいと思い、あれこれ調べてきた。
軽井沢の夜話では、限られた時間でもあり、宇宙のはじまりから太陽系の誕生、そして生命の誕生に続く進化の過程を経て、人類文明までを俯瞰的に凝縮した形で話されたので、生命の誕生というテーマそのものについては、それほど詳しく話されたのではなかった。
前回は、主にクリック博士の地球上の生命の誕生に関する仮説について、調べた事を書いたが、この「意図的パンスペルミア説」にいたる主要な発見と、その後もこの説を受け継いで探求を続けているフレッド・ホイルとチャンドラ・ウイックラマシンゲ博士らの展開する地球上の生命の誕生に関係した発表などを整理すると次のようである。
地球上の生命の誕生に関係した主な発見と発表
クリック博士は、生命誕生の場を地球上だけに限らず、広く宇宙にその可能性を広げて考えようとしたが、その後生命誕生の確率を10の4万乗分の1と計算して見せたフレッド・ホイルとチャンドラ・ウイックラマシンゲ博士の論によれば、生命が誕生するためには、宇宙が無限に膨張と収縮とを繰り返すという宇宙論に行き着くことになった。
見方を変えれば、地球上の生命の誕生についてその起源を考えることで、宇宙の成り立ちを考えることができるということにつながる。これでいいのだろうか。松井さんは現代の宇宙論は「精密宇宙論」であるという。その精度は宇宙の年齢とされる138億年についていえば、137.99(± 0.21) 億年 といった誤差で確認されている。
こうした宇宙論の進歩の状況を考えれば、逆に、現在最も確からしいと考えられている、ビッグバン宇宙論やインフレーション理論に合わせて、謎に包まれた生命誕生のプロセスとその発生の確率を考えることが重要なのではないかと思われるのである。
ただ、気になるのはこの精密宇宙論の中身で、138億年という数字の導出とその意味についてはにわかには理解できないのであるが。
そういう訳で、今のところはビッグバン理論から導かれる宇宙の年齢をもとに、その限られた時間の中で生命が誕生し、進化したという前提の下、進化の過程について考えるということになりそうである。
宇宙の歴史と地球上の生物の発生の時間関係
これについて、先に紹介した松井さんの「NHKカルチャーラジオ」での説明を聞いてみようと思う。
まず、最終回の第13回の講話「地球外生命を探る・星と惑星と生命」から引用すると、松井さんはこの中で地球上で生命が誕生した場として、最も可能性の高いところは、深海の熱水噴出孔のそばであるとして、その確率面について触れている。
「・・・ダーウィンの池のようなある種のスープが与えられたとして、自然選択によって進化できる生命体が自然発生する可能性を考えることにします。・・・原始生命体は今の生命体と基本的には同じであり、核酸を複製の基礎として、タンパク質を活動の基礎として、生まれてそれが進化する。・・・
この生命誕生のプロセスをどれくらい偶然なのか必然なのかということを考えてみます。生命の前駆体として可能性の高いRNAワールドのようなものを考えてみることにします。・・・
ダーウィンの池のような場所で起こったとして、確率的にどれくらい頻度高く起こるのか、・・・RNAワールドのような複製系が形成される確率が、10億分の1だとすると実は5億年位の時間があれば生命は発生するということになります。これが、確率が1兆分の1なら可能性は五分五分くらいに下がるし、1000兆分の1なら可能性はほとんどゼロになります。
これは、昔考えられていたダーウィンの池の場合ですが、すでに紹介したように熱水噴出孔の周りでの生命誕生のプロセスを考えると、これは確率が全然変わります。10億分の1よりはるかに高くなります。ということは生命の起源というのは偶然ではないということです。必然だろうと思います。問題は進化が起こるかどうかということです。それが地球になるか地球もどきになるかの違いですから、生命の進化が時間がどれくらいあれば起きるかを考えてみますと、地球生命で過去の例を調べると単純な生物ほど進化に時間がかかることが判ります。単細胞生物が多細胞生物に進化するのに約20億年かかっています。多細胞生物の進化はほぼ5億年で、我々のようなものまで生まれています。・・・」
熱水噴出孔の発見と、その周辺で原始生命が発生する可能性が見いだされたことで、地球上の生命誕生のプロセスに対する考え方に大きな変化が起きていることが判る。熱水噴出孔の発見そのものは、1976年のことである。
従来のダーウィンの池、すなわち暖かく有機化合物を多く含んだ水のある場所に比べて、熱水噴出孔の近傍ではRNAが形成される確率が非常に高くなると指摘されている。10億分の1は10の9乗分の1である。以前、1つの酵素誕生の確率を10の20乗分の1とした説明を松井さんは紹介していたが、それよりもはるかに高い確率ということになる。生命誕生のきっかけとなる化学反応を酵素からRNAに変えた仮説ということになるが。
ここで登場したRNAワールドとは何か。これは1986年、ウォルター・ギルバート(1932.3.21ー、1980年ノーベル化学賞受賞)によって提唱されたもので、原始地球上に存在したと仮定されるRNA からなる自己複製系のことであり、これがかつて存在し、現生生物へと進化したという仮説が RNA ワールド仮説と呼ばれている。
現在の生物は、酵素を触媒としてDNAやRNAといった核酸を合成し、核酸の配列を基に酵素を合成している。このどちらが起源なのかは長らくの疑問であった。しかし、触媒としてはたらくRNA(リボザイム)やRNAを基にDNAを合成する逆転写酵素が発見されたことで、RNAが酵素(ポリペプチド)と遺伝情報(DNA)両方の起源となりうることが証明され、RNAワールド仮説が提唱されるようになったものである。
しかしながら、RNA ワールド仮説を生命の起源説として主張するにあたってはいくつかの問題点もまた指摘されているので注意を要する。
もうひとつ、生命誕生の場として重要な役割が期待されるようになっている、熱水噴出孔とは何か、これについてウィキペディアから引用すると次のようである。
「熱水噴出孔(ねっすいふんしゅつこう、英語: hydrothermal vent)は、地熱で熱せられた水が噴出する大地の亀裂である。・・・熱水噴出孔の英語表記やその構造物から、ベント(vent)やチムニー(chimney)と呼ばれることもある。・・・
深海の大部分と比べて、熱水噴出孔周辺では生物活動が活発であり、噴出する熱水中に溶解した各種化学物質に依存した複雑な生態系が成立している。有機物合成を行う細菌や古細菌が食物連鎖の最底辺を支える他、化学合成細菌と共生したり環境中の化学合成細菌のバイオフィルムなどを摂食するジャイアントチューブワーム・二枚貝・エビなどの大型生物もみられる。
地球外では、木星の衛星エウロパや土星の衛星エンケラドスにおいても熱水活動が活発であり、熱水噴出孔が存在するとみられている。また、古代には火星面にも存在したと考えられている。・・・
熱水噴出孔で無機物や有機物から生命が誕生したという仮説も複数存在する。日本の海洋研究開発機構と理化学研究所は、熱水噴出孔の周囲で微弱な電流を確認し、これが生命を発生させる役割を果たした可能性があるとの研究結果を2017年5月に発表した。しかし、この仮説に対しては『熱水の組成には必須元素のマグネシウムが欠落している』という反論もある。」
熱水噴出孔の分布地図(ウィキペディア『熱水噴出孔』最終更新 2021年8月12日 (木) 22:17 から引用)
この熱水噴出孔については、松井さんの第7回の講話「生命の起源・深海における【熱水噴出孔仮説】」で詳しく述べているのであるが、1970年代に発見され、その後の調査で生命誕生の場の有力な候補と考えられるようになっているという。概要は次のようである。
「・・・いずれにしても生命の起源を辿ろうと思ったら、やはり地球の上の生命(炭素系)の起源を辿る以外にない。海水とか大気とか岩の下で生まれたんだろうと想定して、そうして生まれた生命分子が構造化し、複雑化していくという流れを辿るということになります。・・・生命が誕生するというプロセス、それは化学反応が数多く起こるということですが、・・・基本的に鉱物表面が触媒的に働いて促すような化学反応ということになります。・・・地球上の表面にある鉱物(堆積岩や粘土鉱物などの多孔性物質)の表面積を考えて計算をすると、非常に稀にしか起きない化学反応が起こり得るということになり、そう考えると鉱物表面で生命分子あるいはそれが集積した大型分子さらには構造化されていくような物に至る反応群というものは必然的なものと考えることができます。・・・
この考えは、従来の(ミラー・ユーリーの実験のような)生命起源論ではあまり声高に言われてきたものではありません。・・・どちらがリーズナブルであるかと考えるには、どのようにして生命が誕生したのかを考えることが必要ですが、その点をご紹介しますと、生命の発生には次の4段階が起きる必要があると考えられます。
1.アミノ酸、ヌクレオチド、リン酸塩などの簡単な小型有機分子がつくられる
2.タンパク質や核酸などの大型分子ができる
3.液滴のような構造化・区画化がすすむ
4.区画化された構造の内部で、大型で複雑な分子の複製能力を獲得する
(ここで、参考までに第一段階で示されているアミノ酸とヌクレオチドについて、人体のタンパク質を構成している20種のアミノ酸と、核酸を構成している8種のヌクレオチドの構造を見ておくと、松井さんが示しているのではないが、次のようである。)
参考:ヒトのタンパク質を構成する20種類のアミノ酸
参考:RNAを構成する各種のリボヌクレオチド(RNA中では mono状態)
参考:DNAを構成する各種のデオキシヌクレオチド(DNA中では mono状態)
これは化学進化と呼ばれるものですが、そういう4段階の反応が起きる場として新たに登場したのが、熱水噴出孔という考え方です。これは1970年代に深海底で発見され、周辺で原始的な生命に近いものが発見されたことで、一躍ミラー・ユーリーよりも優れた場として登場しました。
ドイツのレヒターズ・ホイヤーは鉄・硫黄ワールドという考え方を提唱しています。硫化鉄が有機分子合成の触媒になるという考え方です。
ただ、熱水噴出孔の最大の難点は温度が高いということです、300℃もの高温下ではDNAもRNAも壊れてしまい、反応が進むかどうかが疑問視されます。そこで、別のタイプの熱水噴出孔が考えられました。
それは、アルカリ熱水噴出孔というもので、21世紀になり発見された全く新しいタイプのもので、温度が低く生命の誕生には都合がいいものになります。私自身はこれが有力なものと考えています。・・・」
このように、生命誕生の確率についての考え方は、熱水噴出孔の発見と、その付近で硫化鉄表面の触媒作用を利用して有機化合物が合成されていたことで大きく変わってきたようである。特にアルカリ熱水噴出孔の発見により、松井さんの生命発生についての見方が大きく変化していると推察される。
松井さんは、(地球上の)生命誕生は必然か偶然かというと、必然だろうと考えているという。従って、地球に似た惑星が数多く存在していることがわかってきた宇宙でも同様であろうと推察する。
ここでは、例示されている確率についての数値の根拠は示されていないが、アルカリ熱水噴出孔という場が新たに見つかったことで、地球上の生命の誕生の場を宇宙に求めるのではなく、ビッグバン宇宙論の示す範囲内で、地球上に求めることができるという可能性が示されたことになる。
NHKカルチャーラジオでの松井さんの講話のタイトルは「地球外生命を探る」である。クリック博士らの説は、地球の生命の起源を宇宙に求めたが、ここではそれとは逆に地球上の生命誕生のプロセスを理解することで、広い宇宙に、地球以外にも生命は存在するのだろうかという問いかけになっている。
そして、生命は地球上で誕生したこと、そしてその類推から広く宇宙にも生命誕生の場は存在するであろうという結論に導いている。ただ、地球以外の惑星上で、それら原始生命が進化して高等な生命にまで到達できるかどうかはまだよくわからない。
微生物が進化して知的生命体に至るには、特別な条件が必要であり、それは環境の変化であり、稀にしか起きない、場合によってはたった1回しかおきなかった出来事を存続させる力、淘汰圧が必要だという。こうした環境変化はどの惑星でもおきるとは限らない。
すなわち、宇宙に存在する数多くの惑星上で無機物から有機物が合成され、やがては生命と呼べるようなものにいたるところまでは必然であるが、それが知的生命体にまで進化するかどうかは偶然が支配し、極めてまれにしか起きないことと考えれれるのだという。
もしそのように考えるのであれば、広い宇宙に人類のような高度に発達した生命体が存在する可能性が非常に小さなものであり、地球人類が滅亡する前に、その種を、将来広大な宇宙のどこかで再び進化を遂げて人類として繁栄する時の来ることを願って、松井さんの提案する、宇宙の彼方に向け、ロケットに地球上の生命を乗せて送り出すという計画もまた意味のあるものと思えるのである。
そうすると、地球から宇宙に向けて送り出す生命体として、どの程度進化した状態のものを送り出すべきかが重要になるということになる。
SFめいた話題になったが、話を元に戻す。生命の誕生から人類に至るまでの壮大な物語は、まだ探求の途上であり、これまで見てきたように有力な仮説がいくつか提示されているようになってきているので、松井さん達の探求が実を結び、その実態が明らかにされることを期待したいと思うのである。
こうしたことを調べている最中、2021年11月7日から3週間にわたり、読売新聞のサイエンスFocus欄に「生命を探す・母なる地球編」が掲載された。
ここで示されている多くの科学者の研究成果を紹介して一旦本稿を終ろうと思う。この記事の中には、松井さんのひきいる千葉工業大学のチームが、気球を上げて上空のどの範囲で微生物を採取できるかを調べる実験も登場している。
11月7日 生命を探す・母なる地球編 【上】
誕生の場 深海の熱水噴出孔有力
「地球の生命はいつ、どこで、どのような仕組みででき、豊かな生態系を育んでいったのだろうか。その答えを求め、深海から30億年以上前の記録が刻まれた地層にいたるまで、世界各地で研究者らの探査が精力的に続けられている。」
*海洋研究開発機構・高井研部門長ら・・・2002年、インド洋の「かいれいフィールド」で、熱
水噴出孔(チムニー)の採取資料から、地球の生命の共通祖先に近い微生物の1種「メタン生成
菌」を発見。
*海洋研究開発機構などのチーム・・・2015年、東シナ海の熱水噴出孔周辺の海底の表面に
*海洋研究開発機構などのチーム・・・2015年、東シナ海の熱水噴出孔周辺の海底の表面に
電流が流れていることを発見。
*海洋研究開発機構の北台紀夫・副主任研究員・・・2021年、ニッケルと硫黄の化合物に電気を
流すと、水のなかのCO2から反応性の高い一酸化炭素ができ、さらに「チオエステル」という
有機物の一種をつくることに成功。別の実験では、アミノ酸の水溶液に硫黄と一酸化炭素を加
えるなどして混ぜると、たんぱく質のもと(ペプチド)ができる仕組みを解明。
*東京工業大学・上野雄一郎教授ら・・・オーストラリア西部のピルバラ地域にある約35億年前
の地層で、鉱物の石英に閉じ込められていた気泡の中に、メタン生成菌が作ったメタンを発
見。
*東京大学・小宮剛教授らのチーム・・・2017年、カナダ東部・ラブラドル半島にある約39億年
前の堆積岩の地層から、微生物の痕跡とみられる「グラファイト」を発見。
*英国のチーム・・・2015年、隕石が衝突した生命誕生前の地球を模した実験で、RNAのもとに
なる「ヌクレオチド」の生成に成功。
*東京薬科大学・山科明彦名誉教授ら・・・RNAはヌクレオチドがひものようにつながってでき
ており、これらがくっつくには乾いた環境が必要だ。このため、生命は地上の温泉や水のた
まったクレーターなど、乾燥環境を併せ持つ場所で生まれたと見る。
*海洋研究開発機構・高井研部門長ら・・・東京工業大学や宇宙航空研究開発機構(JAXA)
の研究者と共に、土星の氷衛星「エンセラダス」の氷の下に見つかった熱水の存在する海の
環境が、地球の太古の海に近いとして、探査する計画を構想中。
11月14日 生命を探す・母なる地球編 【中】
3度の「全球凍結」 進化の引き金に
「誕生から46億年の時を刻んできた地球。その長い歴史の中で、惑星のほぼ全てが凍り付く『全球凍結』など、想像を絶する環境変化に見舞われてきた。こうした過酷な環境下で、生命はどう生き延び、繁栄の時代をむかえたのだろうか。」
*米国の研究者・・・1990年代に氷河が赤道付近まで広がっていたことを明らかにした。
*東京大学・田近英一教授・・・全球凍結は、およそ23億年前、7億年前、6億3900万年前
の少なくとも3回。当時の生命は、絶滅の危機に直面したはずと語る。
*東北大学・海保邦夫名誉教授・・・2021年、当時の堆積物に含まれる生物由来の有機物の含有
量から、最後の凍結後に真核生物が繫栄したと発表。
*東京工業大学地球生命研究所・関根康人教授・・・地球環境と生命が相互に影響し合う
『共進化』の仕組みを解き明かせば、地球外生命の発見に向けたヒントにもなる。
*海洋研究開発機構などのチーム・・・南太平洋の水深3740~5695メートルの深海底の地層
からバクテリアなどの微生物を発見。培養にも成功。
*千葉工業大学などのチーム・・・2019年から実験を開始し、狙った高度で微生物を採取する
装置を開発。高度13~26kmでは確認できず、生命圏の上端は成層圏と対流圏の境界付近で、
成層圏には微生物は日常的にはいないと推定した。
11月21日 生命を探す・母なる地球編 【下】
誕生の過程 実験室で明らかに
「地球の生命は、どんな道のりを経て誕生したのだろうか。実験室で、その過程を見出そうと、古今東西の研究者たちが挑んできた」
*米化学者・スタンリー・ミラー・・・メタンや水素などが混ざったガスをフラスコに入れて
放電すると、アミノ酸ができた。
*東京工業大学地球生命研究所・松浦友亮教授・・・2019年、化学物質ヒスタミンを加えて、
膜の中でたんぱく質を合成する人工細胞を作成した。
*広島大学・松尾宗征助教・・・2021年、アミノ酸を含む化合物を水中に入れると、たんぱく
質のもとであるペプチドの塊に成長した。
*東京大学・市橋伯一教授・・・2021年、2種類の遺伝子を組み込んだ輪のような形のDNAを
人工的に作り、複製させることに成功。進化する能力こそが、生命を特徴づける重要な
ポイントと指摘。
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