軽井沢からの通信ときどき3D

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いつの日か、ふたりは恋人

2025-02-28 00:00:00 | 日記
 昨年12月中旬に、Tさんの秘書Aさんからメールが届いた。新年になったら軽井沢の書店でTさんの初の小説「いつの日か、ふたりは恋人」の出版を記念してトークショウを開く予定だという。その案内である。

 早速、出席の旨返事を書いた。その後、トークショウが終ってから、近くのホテルで食事会を行うとの案内が追加されてきたので、こちらにも出席の返信を送った。

 ところが、私は新年早々風邪をひいてしまい、咳が止まらず、そのうち熱も出てきたので、安静にしている日が続いた。何とか書店でのトークショウと食事会に参加して、この小説の出版のお祝いをしたかったし、Tさんのこの小説についての想いを改めて聞きたかったので、それまでに風邪を治しておきたいと思っていたのであった。

 でも、熱はなかなか下がらず、咳もおさまる様子がなく、結局どちらのイベントも断らざるを得なくなってしまった。

 この小説の内容については、かねてTさんから繰り返し聞いていたし、すでにポケット・ブック版としてTさんの経営(多分)する出版社から出された本をいただいて読んでいた。

 ただ、Tさんはこの本を大手出版社から世に送り出したいと考えていたので、そのために、内容にもボリュームにも手を加えなければならないと考えているようであった。

 トークショウに行けなかったので、後日書店に行き、カフェコーナーの入り口脇の書棚の上に積まれているこの本を買って帰り、読んでみると、やはり内容は大幅に書き換えられていた。著者名も、以前はペンネームであったが、今回の本にはTさんの本名が使われていた。

 また、ハードカバーになって出版されたこの本のカバー表紙の絵も本文中にちりばめられた大小20枚の挿絵も素敵で、帯には山極壽一(第26代京都大学総長)氏の推薦の言葉が記されていた。

 帯には次のように書かれていて、これを読むと本の内容がだいたい分かるのではと思う。

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 唯一無二の恋愛小説
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 恋愛とは個人的な事柄である。でもこの本には耳を傾けたくなる愛の物語がある。一時代昔の愛と社会の掟との葛藤、そして生きる力、命の本当の意味へと突き抜ける宇宙の真実。山極壽一(第26代京都大学総長)
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 パンスペルミア説(宇宙汎種説)を生命存在の前提として語りかける、唯一無二の恋愛小説。
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 本書は、3章が重なり合うように構成された恋愛小説である。各章は春から夏、秋から冬と変遷する。第1章は「この世」の話。高校1年生の初恋から学生結婚そして大学卒業直前の離別までを主人公が語る。第2章は既に他界した恋人が大1章を読み、「あの世」から主人公に自分の心を語る手紙。第3章は「仮の世」のブータンでの再会。恋人は小鳥となり「あの世」から「この世」を仮訪問する。
 ふたりは、ブータンの友人と人間哲学と宇宙を語り、酔生夢死を過ごす。
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今回出版された本(左:2024年11月30日発行)と、以前ポケット版で出版された本(右:2021年7月7日第二版発行) 

 本文中と表紙(カバー表紙も)の挿絵は、三浦 慎氏による。氏は、建築家であり、2021年、軽井沢町庁舎改築周辺整備事業プロポーザルで最優秀提案者(庁舎、複合施設計画・株式会社山下設計と協働)に選ばれている。

 著者の所源亮氏については、この本の「著者紹介」に次のように詳しい自己紹介があるので、これを引用させていただく。

 「所 源亮(ところ げんすけ)
東京都大田区大森で農林省官僚所秀雄と、大正、昭和を風靡した雑誌『令女界』と『若草』を世に出した藤村耕一の長女所やなぎの子として1949年2月22日に生まれる。父が在アメリカ合衆国日本国大使館に赴任したのに伴い、小学校3年からワシントンD.C.(アイゼンハワー政権とケネディー政権)に移り中学校1年まで暮らす。1972年一橋大学経済学部卒業。
1972年イースタンハイブレッド入社。1976年パイオニア・ハイブレッド・インターナショナル社のアジア担当としてフィリピン、タイ、インド子会社の代表取締役を務める。1980年から米パイオニア・ハイブレッド・インターナショナル社(現デュポン・パイオニア社)国際部営業本部長兼パイオニア・オーバーシーズ・コーポレーション取締役として市場開発(50ヶ国以上)及び海外戦略を考案実施。
1982年に帰国し、ソフトウエア会社などを設立したのち、1986年6社を合併しゲン・コーポレーションを設立し代表取締役社長に就任。1994年日本バイオロジカルズ社を設立し、代表取締役社長に就任。2009年に同社を日本全薬工業に売却。2001年創薬バイオベンチャーを設立し代表取締役社長に就任した。そのコンセプトに、「日本発のものを世界に」というメッセージを込めた。
2008年から2013年まで一橋大学イノベーション研究センター特任教授。2014年東京大学名誉教授の松井孝典、英カーディフ大学名誉教授チャンドラ・ウィックラマシンゲ博士とともに一般社団法人ISPA(宇宙生命・宇宙経済研究所)設立。サー・フレッド・ホイル博士が提唱したパンスペルミア説の研究を支援。
医薬開発技術ライセンス企業のGCAT株式会社代表取締役会長、ルフナ大学(スリランカ)客員教授、インドS.M.Sehgal財団理事、一般社団法人ISPA理事、前・西町インターナショナルスクール理事。」

 Tさんの本名が明かされたので、以下では所さんとして紹介させていただくことにして、この自己紹介には出てこないが、所さんは2021年に、軽井沢の旧軽井沢地区に喫茶コーナーを併設した書店「やなぎ書房」を開いた。これまでの経歴からすると、何故と思う行動である。この書店には、岩波文庫すべてと所さんが関心を持つ分野の書籍が集められ、販売されていた。

 この書店のことを知ったのは、ある出来事がきっかけで、それは、軽井沢にあった川端康成氏の別荘の解体であった。

 軽井沢文化遺産保存会のH女史から川端康成別荘が解体されそうなので、保存を求める請願書を町議会に提出したいとの相談が寄せられた。当時私は川端康成別荘のある地区の区会役員であったので、このことを区長に伝え、この請願書に区としても名前を連ねていただけないか相談したのであった。

 請願書は、軽井沢文化遺産保存会、軽井沢ナショナルトラスト、軽井沢別荘団体連合会、軽井沢女性会、軽井沢近代史研究会、そして旧軽井沢区の6団体の連名で軽井沢町議会議長宛、2021年8月6日に提出された。

 事態が差し迫っていることもあり、当時の藤巻町長が自ら不動産業者に電話をかけて、保存の可能性について打診をしているが、結果的には交渉は成立することなく、解体が進んでいった。

 ところが、この時同時に所さんがこの不動産業者と話を進めていた。所さんは不動産業者に解体を断念させるのではなく、解体部材の引き取りを交渉していた。そして相応の費用を支払うことで、将来部分的にでも川端康成別荘を再現できるように慎重に解体を進め、ほとんどの部材を引き取ることに成功していた。

 その噂を間接的に聞き知ったH女史とその知人のS女史の依頼で、やなぎ書房を訪ねたのが、所さんとの最初の出会いであった。S女史はこの時、近くオープンするサロン的なギャラリーを建築中で、その一部の窓枠に川端別荘の解体部材を再利用して用いたいと考えていて、様子を見てきてほしいと私が依頼されたのであった。

 書店に所さんを訪問すると、数名の女性店員と所さんがいて、喫茶コーナーでコーヒーをごちそうになりながら話を聞くことができた。川端別荘の解体部材は確かに確保されていて、軽井沢の氏の所有地に保管されていること、川端別荘からはそのほかに、現在までこの別荘を利用していた川端康成氏のご子息が保有していたロシア関係の蔵書なども引き取ったという話を伺った。これらの書籍はやなぎ書房の別室に置かれていたので、見せていただけた。

 この解体部材については、軽井沢文化遺産保存会との協議で、軽井沢町内に川端別荘の一部を再現する計画が持ち上がり、いくつかのプランが検討されたものの、現在までのところまだ実現には至っていない。その詳細は、軽井沢文化遺産保存会発行の「軽井沢の文化遺産&資料集 2」に報告がある。

 その後、所さんから「軽井沢の夜話」を開催するので、聞きに来ませんかとのお誘いを受け、都合4回ほど参加することになった。第1回目は当時千葉工業大学長で、東京大学名誉教授の松井孝典氏の講演「宇宙から俯瞰する人類1万年の文明、ウイルスはどこから来たのか」という興味深い題であった(2021.10.22 公開当ブログ参照)。

 第2回目以降も宗教の話、経済の話と続き、今回の小説「いつの日か、二人は恋人」の第3章と、注釈の内容につながる話題が計画的に提供されていった。

 ワインや食事を楽しみながらの楽しい「軽井沢の夜話」で、こうした場でも、主題の話の合間に、所さんの経験談が織り込まれ、そのなかには若き日の思い出が語られることも多かった。
 その後何回か所さんと会う機会のある度に小説「いつの日か、二人は恋人」の話題も出て。この小説には若き日の所さんの実際の経験が語られていることを知った。 

 小説「いつの日か、二人は恋人」に話を戻すと、第1章では所さんの若き日の体験が生々しく語られているのだと思う。第2章は、既に他界した恋人が「あの世」から主人公に書いた手紙という構成なので、これはフィクションの世界。第3章は、所さんの哲学が語られている。

 壮大な宇宙哲学の中に織り込まれた若き日の苦い思い出とともに、この世に私たちが生きる意味を考えさせられる稀有な小説ができあがった。 



  
 
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