またゼロからスタートした日本代表の憂鬱と可能性
日本が格下の北朝鮮に、1ー2でショッキングな逆転負けを食らった東アジアカップ初戦だった。いろんな意味で衝撃的なあの試合内容を見て、「ああ、また日本はゼロから作っていくのか…」と愕然とした人は多いだろう。
急造チームで連携がない、控え選手ばかりの格落ちだ、Jリーグの疲労でコンディション不良だった、現地は猛暑で体力を奪われたーー。もちろんいろんなエクスキューズはできるだろう。だがハッキリ、いまの日本代表は「地力不足」と断定していい。
まず基本的にボールが繋げない。2本以上の意図のあるパスが連続して通らない。そしてカンタンにボールを失ってしまう。基本的なことであり、これはかなり致命的だ。ではなぜそうなるのか? ちょっと選手の心理を分析してみよう。
「教科書」は局面打開の手段であり目的ではない
監督からは「ツータッチ以内で」、「縦に速く」と指示される。すると判断を速くする必要があるが、ただし「まだしっかり判断できていないのに、エイヤッで目を瞑って適当にボールを離していい」というわけではない。ここのコミュニケーション・ギャップが監督と選手の間にありそうだ。つまり監督の指示を守ろうとするあまり選手がパニックに陥り、あわてて中途半端なパスを出してしまう。
そうではなく、(監督の指示がどうあれ)もし自分が無理な体勢にあれば、別にひとつだけタメて確実に遠回りしてもいい。「過度なポゼッション重視」という意味ではない。急ぐあまり当てずっぽうに全く意味なくボールを失うより、確実にひとつボールキープできたほうがいいということだ。
また「可能ならひとつ飛ばして遠くへボールを出せ」と監督に指示されれば、通る可能性がきわめて低い山なりのロングボールを放り込んでしまう。そうではなく、インサイドキックを使った「強くて速くて長いグラウンダーのパス」を狙って出せ、と監督は言っているのだろう。
もしコースを切られてそれがどうしても無理な局面なら、味方の選手1人を経由し、2本のパスを繋いで同じ地点へ確実にボールを送り込むのでもいい。むろん一発で行けたほうが相手の守備体勢がまだ整わず、有効な攻めになるに決まっている。だが意味もなくボールを失うよりはいい。セカンドベストだ。このへんもボールホルダーが自分で能動的に判断する必要がある。
自分の責任で「赤信号」を渡れ
だが日本人はマジメな上にマニュアル思考だ。ゆえに局面はどうあれ、愚直にいつも指示通りやろうとしてしまう。しかしかつてのトルシエ監督ではないが、赤信号だからといって車がこなきゃ渡っていいのだ。与えられた教科書をその通りなぞるだけでなく、「自分の頭で考えて」局面に応じ臨機応変にプレイするのがレベルの高いプロである。
あのハリルホジッチ監督という「教え魔」を得て、逆に「だからこそ」いま日本人は自分の頭で考えることを要求されている。「俺が俺が」ないい意味でのエゴイズムがなく、責任回避型のプレイに陥りがちな日本人がこのハードルを越えられるのか? 「俺が決める」的な自己決定型の思考ができるかどうか? これはサッカーに限らず日本人全体が抱える一大テーマである。
いやハリルホジッチ自身は別にそんなことは意図してないが、奇しくも彼を迎えたことにより発生した偶然の僥倖により、いま日本人は生き方そのものを問われている。ここで殻を破れるか? それとも日本人は相変わらず没個性的な文化の中に埋没するのか?
ますます面白くなってきた。
日本が格下の北朝鮮に、1ー2でショッキングな逆転負けを食らった東アジアカップ初戦だった。いろんな意味で衝撃的なあの試合内容を見て、「ああ、また日本はゼロから作っていくのか…」と愕然とした人は多いだろう。
急造チームで連携がない、控え選手ばかりの格落ちだ、Jリーグの疲労でコンディション不良だった、現地は猛暑で体力を奪われたーー。もちろんいろんなエクスキューズはできるだろう。だがハッキリ、いまの日本代表は「地力不足」と断定していい。
まず基本的にボールが繋げない。2本以上の意図のあるパスが連続して通らない。そしてカンタンにボールを失ってしまう。基本的なことであり、これはかなり致命的だ。ではなぜそうなるのか? ちょっと選手の心理を分析してみよう。
「教科書」は局面打開の手段であり目的ではない
監督からは「ツータッチ以内で」、「縦に速く」と指示される。すると判断を速くする必要があるが、ただし「まだしっかり判断できていないのに、エイヤッで目を瞑って適当にボールを離していい」というわけではない。ここのコミュニケーション・ギャップが監督と選手の間にありそうだ。つまり監督の指示を守ろうとするあまり選手がパニックに陥り、あわてて中途半端なパスを出してしまう。
そうではなく、(監督の指示がどうあれ)もし自分が無理な体勢にあれば、別にひとつだけタメて確実に遠回りしてもいい。「過度なポゼッション重視」という意味ではない。急ぐあまり当てずっぽうに全く意味なくボールを失うより、確実にひとつボールキープできたほうがいいということだ。
また「可能ならひとつ飛ばして遠くへボールを出せ」と監督に指示されれば、通る可能性がきわめて低い山なりのロングボールを放り込んでしまう。そうではなく、インサイドキックを使った「強くて速くて長いグラウンダーのパス」を狙って出せ、と監督は言っているのだろう。
もしコースを切られてそれがどうしても無理な局面なら、味方の選手1人を経由し、2本のパスを繋いで同じ地点へ確実にボールを送り込むのでもいい。むろん一発で行けたほうが相手の守備体勢がまだ整わず、有効な攻めになるに決まっている。だが意味もなくボールを失うよりはいい。セカンドベストだ。このへんもボールホルダーが自分で能動的に判断する必要がある。
自分の責任で「赤信号」を渡れ
だが日本人はマジメな上にマニュアル思考だ。ゆえに局面はどうあれ、愚直にいつも指示通りやろうとしてしまう。しかしかつてのトルシエ監督ではないが、赤信号だからといって車がこなきゃ渡っていいのだ。与えられた教科書をその通りなぞるだけでなく、「自分の頭で考えて」局面に応じ臨機応変にプレイするのがレベルの高いプロである。
あのハリルホジッチ監督という「教え魔」を得て、逆に「だからこそ」いま日本人は自分の頭で考えることを要求されている。「俺が俺が」ないい意味でのエゴイズムがなく、責任回避型のプレイに陥りがちな日本人がこのハードルを越えられるのか? 「俺が決める」的な自己決定型の思考ができるかどうか? これはサッカーに限らず日本人全体が抱える一大テーマである。
いやハリルホジッチ自身は別にそんなことは意図してないが、奇しくも彼を迎えたことにより発生した偶然の僥倖により、いま日本人は生き方そのものを問われている。ここで殻を破れるか? それとも日本人は相変わらず没個性的な文化の中に埋没するのか?
ますます面白くなってきた。