昭和58年1月15日 東久留米市成人式記念講演 手塚治虫 3/4
虫プロ倒産を経て
私のやってきた仕事の中で、みなさんと同じように成人の日を迎えたものがあります。
皆さんが生まれた年、(昭和38年)
「鉄腕アトム」が初めて日本のテレビで、放送されました。
アトム自体は、(漫画は)昭和二十六年に生まれた、三十過ぎの“オジン”ですが、残念なことにロボットは歳を取りませんから、いつまでも子供の心と顔でみなさんの前に出ています。
テレビ・アニメーションを作って初めて「おれは子供だったなあ、若かったなあと反省したことがあります。
漫画やテレビ・アニメがむずかしいというのではありません。
集団で仕事をすることは本当にむずかしいと思ったのです。
私はそれまで、一人でこつこつ漫画を描いてきた。
手伝いはだれもいなかった。しかし、「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」などのテレビ・アニを作るには、絵かきやプロデューサー、撮影技師、外渉係といった様々な分野の人間が必要です。
それらのスタッフすべてが仲間意識をもって仕事に当たっていたかというと、そうではない。
もちろん、結束の固いスタッフも中にはいますが、他人の足を引っ張ってでも自分が上に行こうという人もいる。
子供たちに夢を与える仕事の裏には、めちゃくちゃな、弱肉強食の世界があったのです。
人間を含めた動物社会の弱肉強食の法則は、社会の中にもあり、家庭の中にさえあります。
みなさん方は、社会の同期生としての友人であると同時に、敵同士でもあることをやがて知ると思います。
あらゆる人を敵だと思わなくてはならないのが、この社会の一面であります。
しかし、それでは世の中は成り立たない。
いがみあい、突っ張りあい、勝手気ままに生きるだけの社会になってしまいます。
実際にそうなりかかっている風潮もあるわけです。
私は、昭和四十五年に虫プロダクションの倒産を経験する中で、精神的に極めて大きなものを得ました。
信頼しきっていた人たちには裏切られましたが、反対に、ほとんど無縁と思われた人が私の窮状をさっして、私を激励しおしみない強力を申し出てくれたのです。
おかげで、私は立ち直ることが出来ました。
私は、この経験を通して、自分なりに座右の銘をつくりました。
「人を信じよ。しかし、人は信じるな」。
四方八方敵だらけの厳しい社会の荒波を乗り越えてゆくには、
「人を信じるな」
という戒めを忘れてはならないでしょう。
そして、私が、戦争中にいつか平和な世界が来ることを信じていたように、よりよい世界の夢を描くことはとりもなおさず「人を信じ」なければ出来ないことです。
相反する二つの言葉ですが、個人の生活においては用心をしながら自ら望む道を突っ走る用心がけねばならないと同時に、
人間すべてを信じ、互いに励ましあって、よりよい社会の実現のため核をつくっていただきたいと思います。
-----------------------------------------------------------
4時58分、テレビの、オンタイムで、目を覚ます。
5時06分、血圧、体温を計り終える。歯磨き、洗顔。
5時10分、ゴミ袋と、杖を持て、六仙公園に行く。
最近、ゴミを持ち帰ってくれる人たちが、増えたので、ゴミの量は、かなり少ないが、まだ空き缶やペットボトルを、忘れていく人が、多い。
自動販売機のそばに、回収ボックスがあるのだが、買いに行くのは、良いのだが、空き缶を、帰しに行くのが辛い様である。
水風船、これも面倒で、拾うのに時間がかかる。
暖かくなったので、水をかけて遊べることが、楽しいのだ、
子供たちもコミが出るのは、わかっているらしく、ごみ袋にある程度は回収してくれた跡が、伺えるが、少し離れた所には、回収できず、割れた風船の残骸がかなり落ちていた。
おかげで、東口に着いたのが、5時54分になっていた。富士山は、曇っていて見えなかった。
かわせみの超えは、は慣れていたとこお路で聞こえたのだが、近くに来ては、姿を見ることが出来なかった。
6時05分、朝爺が来ていたのは知っていたが、増爺も来て、飛行機を飛ばしていた。
6時20分、二周目、コミを拾っていたらこんな時間になってしまった。ゴミを捨ててきて、ゴミ袋を持たずの、ウォーキング。
6時21分、海爺が来たのが見える。
みはらし広場に向かう途中で、岡爺が、犬を連れ、飛行機を持って、やって来る。
家からうれしそうに、犬が飛び出してくる、散歩に連れて行ってもらうのが、うれしくて仕方ない仕様。
しかしご主人様、飛行機を飛ばすのに夢中で、持ってきた、くいを刺し、犬をつないだまま。
切なそうに、ご主人に向かって鳴いていた。
7時10分、家に戻る。2週しか出来なかった。
7時15分、テレビを見る。
7時30分、続いてテレビ。
7時45分、見終わる。体重を計り、下に行き8枚切りで朝食を済ませる。
部屋に戻り、飛行機教室で作った、機体のプロペラ折れたところの、糊付を試みた。
うまくいかないので、ライトプレーンのプロペラをもって行こう。
8時29分、階段を降りようとすると、電話、朝爺からで、町爺と、トイザラスに行かないか。
飛行機を置いて、家を出て朝爺の家に行く。
町爺が車で迎えに来てくれる。海爺の家により、所沢に向かう。
時間が早いので、所沢航空発祥記念公園に行く。
9時、駐車場に着く。地元の飛行機クラブ?の人たちが、風を見ながら、待機している。
4人で挨拶しに行く。飛ばし始めてくれたがどれも良く飛ぶ。
町爺も、もって行った飛行機を飛ばした。
記念館の売店に行きたかったが、9時半からとの事。
休日を記念して、特別に上井飛行機の作り方講座があるので受けていかないかと言われた、10時からだという。
9時45分、売店に行く。一つの目的、朝爺のワインダーが、調子悪いので、交換してもらいに来た。
海爺と、町爺もワインダーを買う。
9時59分、紙飛行機教室、行く事にして、受付。
4人で、丁度予定の40名だった。
11時07分、つくり終え、外で飛ばすことになる。
全員が良く飛んだよ。
所沢の会の人たちに別れの挨拶、
11時10分、無料の2時間を少しオーバー100円の駐車料金を払って出る。
12時15分、家の前まで送っていただく。家に戻る、家族はインスタントラーメンで昼食だという。
おそばを茹でてもらう。
12時30分、テレビを見ながら昼食。
13時10分、妻が出かけて行く、続いて次男も。
14時、雨が降ってきた。
15時、雨がやんだようなので、六仙公園に行く。大勢が遊びに来ていた。
朝爺が、道に出て来ており、姉さんが帰ってくるのを待っていた、話をしていると、車が来た。
後ですぐに、また来るとの事、家に帰って、つくってきた紙飛行機に色をつける
。
15時10分、六仙公園、みはらし広場に行く。朝爺がくライダーを飛ばしている。
サッカー少年たちが、後を追い拾ってきてくれていた。
私も飛ばす。海爺の家から、様子が見えるらしく、海爺も出て来る。
暫くすると、町爺も来た。
16時50分、解散して家に戻る。
17時テレビを見る。
17時50分、妻が、そして次男が帰ってくる。
18時00分、六仙公園に行く。
18時14分、トイレ前までに、拾ったゴミ
水風船が、頭痛の種
水飲み版前にもたくさん落ちている。板面が肝前のまま。
水風船が散乱
とりあえず集めたゴミ
ゴミ部うろの中、こんなにたくさんの風船の、割れたカスが落ちていた。
拾い終わると、あたりは、真っ暗。トイレに行く道も暗い
東口からイオンに行く。
六仙公園に戻り
19時45分、家出夕食。
20時10分、長男が帰宅する
20時30分、六仙公園、南沢5丁目交差点からイオンへ
五目ちらし寿司、カツ盛弁当を買い
21時21分セルフレジで済ませる。本日5%引きだってさ。
21時45分、家に戻る、先に風呂に入ってもらう
21時50分、部屋に戻りパソコン。
22時30分、風呂だと呼ばれる。
22時42分、風呂から出る。
部屋でパソコン。ブログ準備
22時55分、ブログを書き始める
1時15分、投稿する。
8,309位 / 2,013,770, 昨日:26783歩, 起床4時58分, 血圧:131、68, 脈拍:63. 体温:35.7℃, 体重:69.2Kg, 天気:曇/雨
虫プロ倒産を経て
私のやってきた仕事の中で、みなさんと同じように成人の日を迎えたものがあります。
皆さんが生まれた年、(昭和38年)
「鉄腕アトム」が初めて日本のテレビで、放送されました。
アトム自体は、(漫画は)昭和二十六年に生まれた、三十過ぎの“オジン”ですが、残念なことにロボットは歳を取りませんから、いつまでも子供の心と顔でみなさんの前に出ています。
テレビ・アニメーションを作って初めて「おれは子供だったなあ、若かったなあと反省したことがあります。
漫画やテレビ・アニメがむずかしいというのではありません。
集団で仕事をすることは本当にむずかしいと思ったのです。
私はそれまで、一人でこつこつ漫画を描いてきた。
手伝いはだれもいなかった。しかし、「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」などのテレビ・アニを作るには、絵かきやプロデューサー、撮影技師、外渉係といった様々な分野の人間が必要です。
それらのスタッフすべてが仲間意識をもって仕事に当たっていたかというと、そうではない。
もちろん、結束の固いスタッフも中にはいますが、他人の足を引っ張ってでも自分が上に行こうという人もいる。
子供たちに夢を与える仕事の裏には、めちゃくちゃな、弱肉強食の世界があったのです。
人間を含めた動物社会の弱肉強食の法則は、社会の中にもあり、家庭の中にさえあります。
みなさん方は、社会の同期生としての友人であると同時に、敵同士でもあることをやがて知ると思います。
あらゆる人を敵だと思わなくてはならないのが、この社会の一面であります。
しかし、それでは世の中は成り立たない。
いがみあい、突っ張りあい、勝手気ままに生きるだけの社会になってしまいます。
実際にそうなりかかっている風潮もあるわけです。
私は、昭和四十五年に虫プロダクションの倒産を経験する中で、精神的に極めて大きなものを得ました。
信頼しきっていた人たちには裏切られましたが、反対に、ほとんど無縁と思われた人が私の窮状をさっして、私を激励しおしみない強力を申し出てくれたのです。
おかげで、私は立ち直ることが出来ました。
私は、この経験を通して、自分なりに座右の銘をつくりました。
「人を信じよ。しかし、人は信じるな」。
四方八方敵だらけの厳しい社会の荒波を乗り越えてゆくには、
「人を信じるな」
という戒めを忘れてはならないでしょう。
そして、私が、戦争中にいつか平和な世界が来ることを信じていたように、よりよい世界の夢を描くことはとりもなおさず「人を信じ」なければ出来ないことです。
相反する二つの言葉ですが、個人の生活においては用心をしながら自ら望む道を突っ走る用心がけねばならないと同時に、
人間すべてを信じ、互いに励ましあって、よりよい社会の実現のため核をつくっていただきたいと思います。
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4時58分、テレビの、オンタイムで、目を覚ます。
5時06分、血圧、体温を計り終える。歯磨き、洗顔。
5時10分、ゴミ袋と、杖を持て、六仙公園に行く。
最近、ゴミを持ち帰ってくれる人たちが、増えたので、ゴミの量は、かなり少ないが、まだ空き缶やペットボトルを、忘れていく人が、多い。
自動販売機のそばに、回収ボックスがあるのだが、買いに行くのは、良いのだが、空き缶を、帰しに行くのが辛い様である。
水風船、これも面倒で、拾うのに時間がかかる。
暖かくなったので、水をかけて遊べることが、楽しいのだ、
子供たちもコミが出るのは、わかっているらしく、ごみ袋にある程度は回収してくれた跡が、伺えるが、少し離れた所には、回収できず、割れた風船の残骸がかなり落ちていた。
おかげで、東口に着いたのが、5時54分になっていた。富士山は、曇っていて見えなかった。
かわせみの超えは、は慣れていたとこお路で聞こえたのだが、近くに来ては、姿を見ることが出来なかった。
6時05分、朝爺が来ていたのは知っていたが、増爺も来て、飛行機を飛ばしていた。
6時20分、二周目、コミを拾っていたらこんな時間になってしまった。ゴミを捨ててきて、ゴミ袋を持たずの、ウォーキング。
6時21分、海爺が来たのが見える。
みはらし広場に向かう途中で、岡爺が、犬を連れ、飛行機を持って、やって来る。
家からうれしそうに、犬が飛び出してくる、散歩に連れて行ってもらうのが、うれしくて仕方ない仕様。
しかしご主人様、飛行機を飛ばすのに夢中で、持ってきた、くいを刺し、犬をつないだまま。
切なそうに、ご主人に向かって鳴いていた。
7時10分、家に戻る。2週しか出来なかった。
7時15分、テレビを見る。
7時30分、続いてテレビ。
7時45分、見終わる。体重を計り、下に行き8枚切りで朝食を済ませる。
部屋に戻り、飛行機教室で作った、機体のプロペラ折れたところの、糊付を試みた。
うまくいかないので、ライトプレーンのプロペラをもって行こう。
8時29分、階段を降りようとすると、電話、朝爺からで、町爺と、トイザラスに行かないか。
飛行機を置いて、家を出て朝爺の家に行く。
町爺が車で迎えに来てくれる。海爺の家により、所沢に向かう。
時間が早いので、所沢航空発祥記念公園に行く。
9時、駐車場に着く。地元の飛行機クラブ?の人たちが、風を見ながら、待機している。
4人で挨拶しに行く。飛ばし始めてくれたがどれも良く飛ぶ。
町爺も、もって行った飛行機を飛ばした。
記念館の売店に行きたかったが、9時半からとの事。
休日を記念して、特別に上井飛行機の作り方講座があるので受けていかないかと言われた、10時からだという。
9時45分、売店に行く。一つの目的、朝爺のワインダーが、調子悪いので、交換してもらいに来た。
海爺と、町爺もワインダーを買う。
9時59分、紙飛行機教室、行く事にして、受付。
4人で、丁度予定の40名だった。
11時07分、つくり終え、外で飛ばすことになる。
全員が良く飛んだよ。
所沢の会の人たちに別れの挨拶、
11時10分、無料の2時間を少しオーバー100円の駐車料金を払って出る。
12時15分、家の前まで送っていただく。家に戻る、家族はインスタントラーメンで昼食だという。
おそばを茹でてもらう。
12時30分、テレビを見ながら昼食。
13時10分、妻が出かけて行く、続いて次男も。
14時、雨が降ってきた。
15時、雨がやんだようなので、六仙公園に行く。大勢が遊びに来ていた。
朝爺が、道に出て来ており、姉さんが帰ってくるのを待っていた、話をしていると、車が来た。
後ですぐに、また来るとの事、家に帰って、つくってきた紙飛行機に色をつける
。
15時10分、六仙公園、みはらし広場に行く。朝爺がくライダーを飛ばしている。
サッカー少年たちが、後を追い拾ってきてくれていた。
私も飛ばす。海爺の家から、様子が見えるらしく、海爺も出て来る。
暫くすると、町爺も来た。
16時50分、解散して家に戻る。
17時テレビを見る。
17時50分、妻が、そして次男が帰ってくる。
18時00分、六仙公園に行く。
18時14分、トイレ前までに、拾ったゴミ
水風船が、頭痛の種
水飲み版前にもたくさん落ちている。板面が肝前のまま。
水風船が散乱
とりあえず集めたゴミ
ゴミ部うろの中、こんなにたくさんの風船の、割れたカスが落ちていた。
拾い終わると、あたりは、真っ暗。トイレに行く道も暗い
東口からイオンに行く。
六仙公園に戻り
19時45分、家出夕食。
20時10分、長男が帰宅する
20時30分、六仙公園、南沢5丁目交差点からイオンへ
五目ちらし寿司、カツ盛弁当を買い
21時21分セルフレジで済ませる。本日5%引きだってさ。
21時45分、家に戻る、先に風呂に入ってもらう
21時50分、部屋に戻りパソコン。
22時30分、風呂だと呼ばれる。
22時42分、風呂から出る。
部屋でパソコン。ブログ準備
22時55分、ブログを書き始める
1時15分、投稿する。
8,309位 / 2,013,770, 昨日:26783歩, 起床4時58分, 血圧:131、68, 脈拍:63. 体温:35.7℃, 体重:69.2Kg, 天気:曇/雨