命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

三途の川

2015年09月11日 11時30分45秒 | ひと口法話

今朝の山主の法話で三途の川についてのお話がございました。

皆さんが想像される三途の川はこの世からあの世への境界にある川を思い浮かべると思います。

確かにその川はあるのですが、今日の法話では違った観点から三途の川について述べられておられ

とても興味深かったものですから早速ブログで取り上げさせていただきました。

さて、三途の川ですが、それは実際の川ではなく我々全ての人の内にある仏性を覆い尽くす三つの川(皮)であるということです。

その三つとは何かと申しますと、それは仏教において克服すべき最も根本的な三つの煩悩のことであります。

貪・瞋・癡(とん じん ち)と言われ、人を毒するから三毒とも言われます。

 

貪とは、自分の好むものをむさぼり求める貪欲 むさぼるな

瞋とは、自分の嫌いなものを憎み嫌悪する瞋恚 怒るな

癡とは、ものごとに的確な判断が下せずに,迷い惑う愚痴 愚痴るな

この三つが悪の根源であります。

 

この三つの皮(衣)を我々は内なる仏性という魂の上に衣として身に着けているのである。

つまり、この貪・瞋・癡を取り払わないと仏にはなれないということです。

よく、滝行などを禊(みそぎ)といいますが、これはこの身に着けている貪・瞋・癡という三毒を

身からそぐということであります。身をそぐからみそぎというのであります。

この三毒を取るには懺悔(さんげ)しかございません。

華厳教の偈文にも懺悔文がございますの訳とともにご紹介します。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

私が昔から作ってきた色々な悪い業は、
遠い過去から積み上げてきた、貪・瞋・癡すなわち三毒によるものです。
それは、体で行った・話した・思ったという三業から生まれたのです。
私は今、それら全てを懺悔します。

 日常の読経に広く用いられておりますがので御存じの方も多いかと思われますが

今一度、再確認し毎日のお勤めにしっかりとお唱え下さい。

合掌

 

命光不動尊  http://www.meikoufudouson.jp/

 


足下を見つめる

2015年09月11日 09時36分40秒 | ひと口法話

過去を追うなかれ

未来を想うことなかれ

過去、それはすでに捨てられたり

未来、それはいまだ到らざるなり

されば、ひたすら現在あるところのものを、しかと観察せよ

ゆらぐことなく、動じることなく

それを見極め、実践すべし

 

これはお釈迦さまのお言葉として伝えられています。

今日、今が大事なのであります。

合掌

 

命光不動尊  http://www.meikoufudouson.jp/


感情を従えよ

2015年09月11日 05時30分19秒 | ひと口法話

室町時代に生きて、本願寺を飛躍させた蓮如は

「ひとの悪いところはよく見えるものである。しかし、自分の悪いところは気が付かないものである」

といっています。

このような反省の意味を込めてか、徳川家康は家臣に「怒りは敵と思え」と教えています。

怒りによって前後の見境のない行動をとれば、後で後悔することがよくあります。

上司とけんかし、こんな会社辞めてやると辞表を出した、ところが、次の就職口が

なかなか見つからない。というのが昨今です。しかし、人間はやはり怒るときは怒らねばならないものです。

そのときは前後の見境無く怒るのではなく、時と場所と効果をねらって怒るべきなのです。

いわば計画的に怒ればいいのです。

怒りというのは感情を表に表すのですが、その実、内心はさめていなければならないのです。

感情にまかせて怒れば、筋の通らないことを言ったり、言い過ぎてしまうことになります。

冷静さを持って怒れば、筋の通ったことを強調して言ったまでであり、説得力も生まれてきます。

要は起こるにもタイミングと心構えがいるのですが、それもいつも怒っていると、

怒りっぽい奴、うるさい奴ということになってしまいます。

できるだけ穏やかにし、気にとめずに過ごす。そして、これだけは許せないといった時に

冷静さをもって怒ると、かえって後の人間関係にいい影響を及ぼすと思います。

感情にまかせた行動はとるな、感情をおさえよ

合掌

 

命光不動尊  http://www.meikoufudouson.jp/