今朝の山主の法話で三途の川についてのお話がございました。
皆さんが想像される三途の川はこの世からあの世への境界にある川を思い浮かべると思います。
確かにその川はあるのですが、今日の法話では違った観点から三途の川について述べられておられ
とても興味深かったものですから早速ブログで取り上げさせていただきました。
さて、三途の川ですが、それは実際の川ではなく我々全ての人の内にある仏性を覆い尽くす三つの川(皮)であるということです。
その三つとは何かと申しますと、それは仏教において克服すべき最も根本的な三つの煩悩のことであります。
貪・瞋・癡(とん じん ち)と言われ、人を毒するから三毒とも言われます。
貪とは、自分の好むものをむさぼり求める貪欲 むさぼるな
瞋とは、自分の嫌いなものを憎み嫌悪する瞋恚 怒るな
癡とは、ものごとに的確な判断が下せずに,迷い惑う愚痴 愚痴るな
この三つが悪の根源であります。
この三つの皮(衣)を我々は内なる仏性という魂の上に衣として身に着けているのである。
つまり、この貪・瞋・癡を取り払わないと仏にはなれないということです。
よく、滝行などを禊(みそぎ)といいますが、これはこの身に着けている貪・瞋・癡という三毒を
身からそぐということであります。身をそぐからみそぎというのであります。
この三毒を取るには懺悔(さんげ)しかございません。
華厳教の偈文にも懺悔文がございますの訳とともにご紹介します。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
私が昔から作ってきた色々な悪い業は、
遠い過去から積み上げてきた、貪・瞋・癡すなわち三毒によるものです。
それは、体で行った・話した・思ったという三業から生まれたのです。
私は今、それら全てを懺悔します。
日常の読経に広く用いられておりますがので御存じの方も多いかと思われますが
今一度、再確認し毎日のお勤めにしっかりとお唱え下さい。
合掌
命光不動尊 http://www.meikoufudouson.jp/