「人のよくない所を見るなかれ。ただ、自分の何をなすか、を想うべし」
と経典にございます。
人間は、他人の欠点や悪行はよく目に付きます。そしてよく批判したり
攻撃したりします。しかし、いざ自分のことになると、とかく見なかったり
見方が甘くなったりします。お釈迦さまは、涅槃にお入りになられる前に
ひたすら修行につとめよ、そして、自己を完成させるには、たえず自分の内面、
心の動きを客観視しなければなりません。そして、内面を見ることを心がけていると
人の欠点は気にならなくなります。人間は心の反省が大切と教えています。
「悪しき友と交わるなかれ、心清き友と交わるべし」
朱に交われば赤くなる、ということをお釈迦さまは述べられております。
友達を選び、悪い友とは付き合うな、良い友達だと感化されて、自分もよくなっていきます。
「たとえ悪をなしても、再び犯すことなかれ、悪の中に楽しみをもつことなかれ」
一度悪いことをすると、繰り返し行うようになります。たとえば、泥棒はあの手この手を使って
何度でも行います。常習になるのは、その悪によって得たことよりも、その行為そのものに
楽しみが出来るからでしょう。スリや痴漢などがそうで、捕まるのはたいてい常習者ですね。
お釈迦さまは、人間だから一度は悪をするかも知れない。しかし、常習になるな、と教えています。
「己こそ、己のよるべ、己を置きて、誰によるべき」
人は何かに向かって励んでいるとき、必ずどこかで壁に突き当たります。そこで友人や先生などに
どうしたらよいのかを尋ねます。そして、それでも解決できなければ、結局は自分に頼るしかありません。
最後の決定は自分でしなければなりません。そのためには、普段から心の修養が大切であります。
お釈迦さまが涅槃にお入りになろうとされたとき、弟子や信者達、鳥や獣もお別れを悲しみました。
満月が輝く元で、沙羅双樹は時ならぬ白い花を咲かせたと伝えられています。
このとき、最後に残されたお言葉が
「ひたすらはげんで、自己を完成させよ。ひたすら学べ」
でありました。
合掌