命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

己にたよれ、己以外誰によるべき

2015年09月12日 11時23分19秒 | ひと口法話

「人のよくない所を見るなかれ。ただ、自分の何をなすか、を想うべし」

と経典にございます。

人間は、他人の欠点や悪行はよく目に付きます。そしてよく批判したり

攻撃したりします。しかし、いざ自分のことになると、とかく見なかったり

見方が甘くなったりします。お釈迦さまは、涅槃にお入りになられる前に

ひたすら修行につとめよ、そして、自己を完成させるには、たえず自分の内面、

心の動きを客観視しなければなりません。そして、内面を見ることを心がけていると

人の欠点は気にならなくなります。人間は心の反省が大切と教えています。

 

「悪しき友と交わるなかれ、心清き友と交わるべし」

朱に交われば赤くなる、ということをお釈迦さまは述べられております。

友達を選び、悪い友とは付き合うな、良い友達だと感化されて、自分もよくなっていきます。

 

「たとえ悪をなしても、再び犯すことなかれ、悪の中に楽しみをもつことなかれ」

一度悪いことをすると、繰り返し行うようになります。たとえば、泥棒はあの手この手を使って

何度でも行います。常習になるのは、その悪によって得たことよりも、その行為そのものに

楽しみが出来るからでしょう。スリや痴漢などがそうで、捕まるのはたいてい常習者ですね。

お釈迦さまは、人間だから一度は悪をするかも知れない。しかし、常習になるな、と教えています。

 

「己こそ、己のよるべ、己を置きて、誰によるべき」

人は何かに向かって励んでいるとき、必ずどこかで壁に突き当たります。そこで友人や先生などに

どうしたらよいのかを尋ねます。そして、それでも解決できなければ、結局は自分に頼るしかありません。

最後の決定は自分でしなければなりません。そのためには、普段から心の修養が大切であります。

お釈迦さまが涅槃にお入りになろうとされたとき、弟子や信者達、鳥や獣もお別れを悲しみました。

満月が輝く元で、沙羅双樹は時ならぬ白い花を咲かせたと伝えられています。

このとき、最後に残されたお言葉が

「ひたすらはげんで、自己を完成させよ。ひたすら学べ」

でありました。

合掌

 

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心を修める

2015年09月12日 05時09分01秒 | ひと口法話

経典にこのような言葉がございます。

「蝶は、花びらと香りをそこなわず、ただ蜜のみに向かう。賢者もまた、しかり」

蝶や蜂は、花びらを傷つけないように蜜だけを吸い取ります。修養を積んだ人は

このように周囲を傷つけないで、相手の心に入っていく、このような意味です。

人はそれぞれ考え方や意見が異なっています。だから、その人の心に入っていこうとすれば

無理に自分の意見を押し付けると、花びらが壊れるように、相手の心を傷つけます。

ですから、相手の心を傷つけないように心を開かせる、このようにしたいものですね。

仏教は日本に伝わった後、聖徳太子(蘇我馬子)の働きなどによって広まっていきました。

聖徳太子の仏教への理解は、「和をもって貴し」というように「和」の精神を大切にすることが

一つの柱でした。仏教は「和」と「敬う」ということを大切に致します。人と和み相手を尊敬せよ、

という先の言葉はこの精神に基づいているのであります。

合掌

 

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