命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

9/6(日)は月次祭 命光秘流鳴釜神事です

2015年09月04日 15時54分24秒 | 命光秘流鳴釜神示祭

今週末、9/6(日)は当山の月次祭 命光秘流鳴釜神事のご報恩日です。

心の邪気をお祓いいたします。心身共に邪気が満ちてくると

「体調がすぐれない」「気分が落ち込んでつらい」といった状態に陥ります。

鳴釜祭にお参りして心の邪気を祓い、充実したひと月をおくりましょう。

鳴釜祭では、皆様お一人お一人に秘法の人形(ひとがた)をお授けし、信者様各自が

紙の人形に息を吹き入れ入魂していただきます。

その人形は鳴釜神事中に釜に入れ、ご神示のお伺いを致します。

ご神示が出た瞬間、御伺い事が山主より告げられます。

凶が出ましてもその場で吉に成る方法をお授けしております。

(ご神示の例)

36歳男性 「会社の事で悩み事あり」

(ご神示)

おさまるところにおさまるので心配するな

27歳男性 

(ご神示)

家の〇〇(方位)をお浄めせよ。財が出る恐れあり。気をつけよ

28歳女性

(ご神示)

家の〇〇(方位)をお浄めせよ。血液の問題あり。□□を飲んで毒消しせよ。

上記のようなご神示が頂けます。

 

更に、参拝者一人一人、身体の不調を取り除くお加持が頂けます。

鳴釜神事は午前11時からです。人形ご神示ご希望の方は10時半までにお越しください。

鳴釜祭のあと、山主の法話を聞きながら、なごやかな直会(昼食)も御座います。

皆様、お揃いでお参り下さい。初めての方もお気軽にご来寺ください。


一粒満腹長者供養について

2015年09月04日 15時45分30秒 | ご供養

最近よく、当山の秘傳の供養「一粒満腹長者供養」についてお問い合わせが多くあります。

このご供養法はロイ(秘傳)のため、口外できない部分が多々御座いますが極々簡単に

ご説明させて頂きます。

ご供養名にある、一粒とはお供え物一粒一粒のことです。

霊界では一粒で満腹になると言われています。

次に長者についてですが、お釈迦さまの時代に遡ります。

富裕層である広大な土地所有者や資産家を居士(こじ)といい、その中でも、特

に社会的にも力があり、この富裕層を代表する立場にある方々を

長者と言います。現代でもわらしべ長者、百万長者、長者番付などの言葉は知られていますね。

さて、ご供養の内容ですが、一粒満腹長者供養は霊界において行う特別なご供養になります。

霊界へお供え物をお届けし(ロイ 秘傳作法有り)、施主様により戒名で選ばれたご先祖様に

霊界において特別な布施行をして頂きます。お供え物は数にして4万粒ほどです。

霊界では一粒で満腹になると言われますので、およそ4万人ものご縁のあるご先祖様に

お供え物をお裾分けできるのです。つまり、4万人ものご先祖様を満腹にし

お喜び頂けるのです。霊界においての喜びは我々のそれとは違いいつまでも喜びが続く

魂からの喜びです。仏典ではそれを皆大歓喜(かいだいかんぎ)と呼んでおります。

布施行をされたご先祖様は大きな陰徳を積み、施主様には、大きな功徳となって

かえってきます。このご供養により多大な功徳を頂かれた方がたくさんおられます。

当山では、ご先祖様の月命日や祥月命日、年忌法要にこの一粒満腹長者供養

お勧め致しております。お気軽にお問い合わせください。


慈悲

2015年09月04日 09時12分04秒 | ひと口法話

仏の心とは「慈悲の心」です。

慈悲は愛と言うことなのですが、男女の愛とは少し違います。

男女の愛はお互いが愛し合っている間はいいのですが

どちらかが醒めたり裏切ったりしますし、相手もそれに対して

憎んだり怨念をもったりします。

つまり、男女の愛は不変ではなく変わるものなんです。

しかし、仏の慈悲は決して変わらない愛情のことです。

親が子に対する徹底した愛情のようなものです。

 

仏教であらゆる人々に対し、差別なく慈悲を施せと教えています。

ですから、たとえば高野山を始め各地の供養等では、戦没者の場合、

敵味方の区別なくあらゆる霊を合わせて祀っています。

 

他人の立場を気にせず、自分のことばかり考える人は結局自分も人に

大切にされません。他人を尊重することによって自分も大切にされるのです。

自分が大切にされようと思えば、他人を大切にしなければならない。

これが人間社会の真理であり、そこから慈悲の心を大切にという思想が

起こったと思います。

あらゆる人に優しくすると自分も幸せな気分になり、それが積み重なって

人も自分も幸せになっていくのです。

仏様が功徳を授けてくれるのです。

 

世の中には良く効く薬が一杯あります。しかし、薬があるからといって

暴飲暴食など不健康なことをしていいわけではありません。

これと同じように、仏様の慈悲があるからといって悪事を働いていいという

ものではありません。仏様はそういう人を見て、泣いているのです。

合掌

 

命光不動尊  http://www.meikoufudouson.jp/