命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

足るを知る

2015年09月10日 20時33分44秒 | ひと口法話

元気だった人が、突然病気になって闘病生活を余儀なくされることがあります。

会社にはやりかけてる仕事がいっぱいあり、その他、プライベートでしたいこともある。

それがこのようにベットにのせられ、チューブをつけられている。

一体いつ退院でき、社会復帰ができるのだろうか。

このように思うとき、なんで自分だけがこんな目にあうのか、何でこんなに不幸なんだろと思います。

しかし、テレビを見ると外国では飢えや病気で衰弱した体を粗末なベットに横たえ、ただ死を待つだけの人が

いっぱいいるようです。戦争で体の一部が吹き飛んで、途方にくれている人々もいます。

それから見ると日本の病人は、なんと恵まれていることでしょうか。

病気になったことは不幸ですが、このように考えるとむしろ自分は恵まれている。幸福なんだ、という気になります。

これが仏教の教えの一つである「足るを知る」ということだと思います。

仏典にはこうあります。

「もろもろの苦悩から逃れるには、足るを知るということを修めることである。足るを知るとは

心が豊かで安らかな境地のことである。足るを知る人は、路上に寝ても安らかである(遺教経典)」

同じようなことは世の中全般のことでも言えると思います。

会社をリストラされた、自分の経営する会社が倒産した、好きな人にふられた、受験に失敗した等々、

いっぱいありますね。その時、その人にとっては最悪の状態ですが、しかし世の中にはもっと不幸な目に

あっている人がたくさんいます。

「上を見たらきりはない、下を見たら後が無い」などといいますが、そうではなく

「下を見てもいっぱいいる」と思うべきです。そうすると、現状でもまだまだ悪くないと言う気になります。

「足るを知る」ということについて「下を見る」ということも一つの方法です。

合掌

 

命光不動尊   http://www.meikoufudouson.jp/


散り際が大切

2015年09月10日 05時08分07秒 | ひと口法話

旅の恥はかきすて、という言葉があります。

旅先で、エチケットやマナーに反することをして、ひんしゅくをかっても

ここにはもう来ないのだから、という態度をとる人がいます。

旅館の経営者によると、客の帰った後の部屋の様子で、その人の人格が分かるといいます。

どんなにお金もちそうでも、きれいな婦人でも、使ったものはほったらかし、ゴミはちらかしてる、

そういう人が増えてきているといいます。無論客の方はきれいに片付ける義務は無いのですが

やはり後片付けをする人の身になりたいものです。

旅の恥はかきすてというのは、その場における行為がその時だけという「点」で考えるわけです。

「線」ではないのです。このような人は社会生活や人間関係にも同じように考えます。

「どうせこの人とは、もうすぐ別れるのだから」

「どうせこの会社には長くいないのだから」

などと考えがちです。

しかし会社勤めなり、人とのつきあいなり、たとえそう長くなくても、それなりの時間をもっていたのであり

このように考えると、それを無にしてしまうわけです。いかにももったいないですね。

人生を「旅の恥はかきすて」とするように、点で過ごしてしまうと、極端に言えば歴史がない事になります。

「線」であると、ずっと過去までが歴史であり、ひいてはその人の財産になります。

特に会社を辞めるときなど、去り際が大切であり、そう心がけるのがその人の人徳であります。

仏教の教えは人徳を大事にするのであります。

合掌

 

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