小松市:日吉神社
平成27年9月20日 12:50~
芭蕉が奥の細道の旅の途中、元禄2年(1689)
7月24日(陽暦9月7日)小松に入り近江屋
という旅宿に泊まった。
翌25日出立せんとしたが小松の人々に引留
められ、小松山王宮神主藤村伊豆守章重(俳号)
鼓蟾(こせん)の館に一泊した。
同夜 芭蕉はじめ曾良、北枝、歓生(かんせい)、
塵生(じんせい)ら十人が催した山王句会は
有名である。
曾良の日記に前書と吟句が書き留められて
いる。
また、境内には、撫でると子宝に恵まれると
いう「子授け石」がある。
日吉神社街角から見える鳥居
日吉神社入口
芭蕉翁留め杖の地碑
子授け石あり
<建聖寺> 9月20日 13:15~
元禄2年(1689)7月24日(陽暦9月7日)
小松に到着した芭蕉一行は句会を催し、
芭蕉の句は、発句などを含めて4句が残され
ている。
小松での滞在地の一つであった建聖寺に
蕉門十哲の一人であった立花北枝による座像の
芭蕉木造が残されている。
座高18㎝、横幅17㎝、厚さ9.6㎝。
木像裏面には「元禄みのとし北枝謹で作之」と
あり、師の像を永遠に残すために丹精をこめて
製作したことが伺える。
境内には、翁塚と句碑がある。
建聖寺山門
小松市文化財説明板
道の駅「 倶利伽羅源平の郷」にて夕食。
翌21日帰路につく。
帰り上信越を通り、449㎞を走破。
7時過ぎ帰宅。
終点への灯も見えてきた感あり。
平成27年9月20日 12:50~
芭蕉が奥の細道の旅の途中、元禄2年(1689)
7月24日(陽暦9月7日)小松に入り近江屋
という旅宿に泊まった。
翌25日出立せんとしたが小松の人々に引留
められ、小松山王宮神主藤村伊豆守章重(俳号)
鼓蟾(こせん)の館に一泊した。
同夜 芭蕉はじめ曾良、北枝、歓生(かんせい)、
塵生(じんせい)ら十人が催した山王句会は
有名である。
曾良の日記に前書と吟句が書き留められて
いる。
また、境内には、撫でると子宝に恵まれると
いう「子授け石」がある。
日吉神社街角から見える鳥居
日吉神社入口
芭蕉翁留め杖の地碑
子授け石あり
<建聖寺> 9月20日 13:15~
元禄2年(1689)7月24日(陽暦9月7日)
小松に到着した芭蕉一行は句会を催し、
芭蕉の句は、発句などを含めて4句が残され
ている。
小松での滞在地の一つであった建聖寺に
蕉門十哲の一人であった立花北枝による座像の
芭蕉木造が残されている。
座高18㎝、横幅17㎝、厚さ9.6㎝。
木像裏面には「元禄みのとし北枝謹で作之」と
あり、師の像を永遠に残すために丹精をこめて
製作したことが伺える。
境内には、翁塚と句碑がある。
建聖寺山門
小松市文化財説明板
道の駅「 倶利伽羅源平の郷」にて夕食。
翌21日帰路につく。
帰り上信越を通り、449㎞を走破。
7時過ぎ帰宅。
終点への灯も見えてきた感あり。