貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

月 山 2

2017-04-01 09:33:13 | 日記
月 山 2

<27.8.7> 7:15~14:50

 月山の八合目の駐車場から登ると、右側に

すぐレストハウスがある。

 そこからのんびり登り始める。

 登山ひとり旅。

 駐車場へ来る前におにぎりを買い損ね、

取りあえず「飲み物2本、パン一つ、飴5個。

 雨具を入れたリュックと背負い、カメラを

ぶらり、ノルディックスタイルで登り始める。

 8合目よりリフトに乗る。有り難い。

リフトに乗りながら月山に咲く花も楽しむ。

 シシウドの仲間も伸びやかである。

途中から男児の「もう疲れてやだ。」という

泣き声だけが聞こえてくる。

 近づくと、お父さんと2年生のぐらいのややぽ

っちゃりの男児。

「こんにちは。」と小さな声で挨拶し、

「頑張り屋だね。ここまで登ったんだ。大人の私

でもちょっとつらいねえ。」と声をかける。

 「お父さん。飴お持ちですか。」と尋ねる。

「はい。持っています」という返事だったので、

「じゃあ、だいじょうぶですね。」と声を掛け、

「お先に!」と一足一足確認しながら歩いて行く。

 しばらくすると、泣きながらも登って私を抜い

ていった。

「お父さんもすごいなあ。叱るわけでもなく、

無理に励ますわけでもない。子どもの合わせて

いる。子どもの頑張りにささやかな期待をして

いるのだろうが・・・。」

そうこうするうち、嗚咽ともいう泣き声、

「もう帰りたい。」

「じゃあここで、待っている?」

「(ああ、)先に誰か登っているのかな?」と

余計なことも想像。

 もう一度「君は本当によく頑張っている。」

と認め、褒め称える。聞けば2年生だという。

 茨城に住んでいて、鶴岡へ里帰り。

 記念に月山登山に挑戦。

 お兄ちゃんが先に行っている、ということが 

お父さんの話で分かる。

「おいてかれた・・・」というのも疲れに拍車を

かけているのかな。

「おじさんもへとへと。でも、頂上で逢おう。」

と励まし、ゆっくり登り始める。

 実際、しばらく山登りをしていないのと、登山

靴ではないのと、道が石ばかりの登り道。

 気疲れもあるし、怖さもある。

 それでも、8時20分姥ヶ岳山頂に到着。

 水分補給と飴一個を舐め、景色を楽しむ。

 下界は一切見えず。数十年の願いは今果たさ

れそう。

 1670メートルの山頂より一息入れて、

また出発。

 お兄ちゃんのような子が大岩に座って待って

いる。「ひとりで、先に登ったのか?」と思い

ながら挨拶を交わし素通りする。

(ここまで登って来られれば頂上も見えるので、

大丈夫かな?)と願いつつも保証はないので、

そのことには、触れずに前へ。

 しばらくして、3人の親子は一緒になり、私を

抜いていった。

(よかった!)と思い、私も奮起する。

もう少しで頂上だというところで、親子3人は、 

再度私を抜いて元気に頂上へ。

 一歩一歩石を避けながら登っていくと、頂上

手前に桃青の句碑がある。11時30分到着。


雲の峰 いくつ崩れて 月の山

ピラミッド型に隆起する月山山頂の絶頂、

整備されている。

そこに、月山神社が鎮座する。

 本宮を芭蕉の時代には、「御室(おむろ)」と

いい、強風を遮るための積石で囲われているため、

そのような呼び名になったという。

 本宮には、「阿弥陀如来」の石像が祀られて

いる。

入口で、500円お祓い料を払うと、身体を模った

一枚の和紙を頂戴、山頂から神の世界の届くような

大きな声でお祓いしてくれる。

 1日何十回から何百回張り上げるのだから、体に

はいいだろうなと正直感心した。

 その後、もらった身体を模った和紙を、頭から胸、

臀部から足までそれぞれの毒素をなすり3回唱える。

 用意された手水の水の上に浮かべる儀式というか、

おまじないをする。

 邪を紙につけ、お祓いという面白くも幼稚な儀式

である。そのためか、余計神妙になる。

 入社儀式を終え、本宮などのお参りをする。

囲いで外界は全く見えず。

 東北大地震のお祈りもし、持っていた唯一のパン

をゆっくり頬張る。

姨ヶ岳山頂で一休み



八月でも根雪



山の天気は変わりやすし。それがまた見所 そして高山植物









月山頂上へ 丑首





頂上手前から雲や風、風景を楽しむ







延命地蔵にあやかって。祈り!



桃青(芭蕉)の句碑

 雲の峰 いくつ崩れて 月の山