<聴 信 寺>
荒海や 佐渡の横たふ 天河 翁
この句は、この日に披露されたか?
この寺は参拝できず。
<春日山城趾> 上越市
春日山城趾物語の館があり。
立て札がたち、説明されていた。
上越市の城跡を散策。特に印象はなし。
時間も時間なので、親不知ピアパーク
という道の駅に向かう。

<親不知・子不知・市振>
2015年(平成27年)9月29日
午後4時25分~ 親不知ピアパークに到着。
親不知子不知県立自然公園にて、
海と10キロにわたる難所を、旧国道を走る。
たら汁(1000円)は、すこぶる旨し。
トラックの宿泊も多く、落ち着かない感じ
なので、糸魚川市の市振まで足をのばす。
<桔梗屋跡地 >
9月19日 17時20分~
芭蕉はこの宿場の桔梗屋という宿に泊まった。
「おくのほそ道」では、ここでの出来事として
二人の遊女との出会いを記している。
『今日は親しらず・子知らず・犬もどり・駒返し
など云北国一の難所を越えて、つかれ侍れば、
引き寄せて寝たるに、一間隔てて面(おもて)
方に、若き女の声二人計(ばかり)ときこゆ。
老たるおのこの声も交じりて物語するを聞けば、
越後の国新潟というところの遊女なりし。
伊勢参宮するとて、此関までおのこの送りて、
あすは故郷にかへす文をしたためて、はかなき
言伝(ことづて)などしやる也。・・・・』
芭蕉は遊女たちの話を聞きながらいつしか
寝入ってしまうが、翌朝この遊女たちにここから
先の旅の同道を求められた。
しかし、芭蕉は『我々は所々にてとどまる方
おほし』という理由で断っている。
この後に芭蕉は、
『一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月』
という句を残している。
文学作品としての「おくのほそ道」のなかで、
最もあでやかな部分ともいえるだろう。
「海道の松」の先に、市振宿跡の町並みが
残っている。
建物はみな新しくなり、古い遺構なども見られ
ないが、何となく宿場の雰囲気が感じられる。
少し先の街道脇に桔梗屋跡の標識が立てられて
いた。
桔梗屋の説明板

桔梗屋

松と日本海に沈む夕日 絶妙!!




道の駅に到着

日本海の街道の夕景色を眺め入り、
越後市振の関・滑川という道の駅に宿す。
ぐっすり眠れ、海産物も購入。
荒海や 佐渡の横たふ 天河 翁
この句は、この日に披露されたか?
この寺は参拝できず。
<春日山城趾> 上越市
春日山城趾物語の館があり。
立て札がたち、説明されていた。
上越市の城跡を散策。特に印象はなし。
時間も時間なので、親不知ピアパーク
という道の駅に向かう。

<親不知・子不知・市振>
2015年(平成27年)9月29日
午後4時25分~ 親不知ピアパークに到着。
親不知子不知県立自然公園にて、
海と10キロにわたる難所を、旧国道を走る。
たら汁(1000円)は、すこぶる旨し。
トラックの宿泊も多く、落ち着かない感じ
なので、糸魚川市の市振まで足をのばす。
<桔梗屋跡地 >
9月19日 17時20分~
芭蕉はこの宿場の桔梗屋という宿に泊まった。
「おくのほそ道」では、ここでの出来事として
二人の遊女との出会いを記している。
『今日は親しらず・子知らず・犬もどり・駒返し
など云北国一の難所を越えて、つかれ侍れば、
引き寄せて寝たるに、一間隔てて面(おもて)
方に、若き女の声二人計(ばかり)ときこゆ。
老たるおのこの声も交じりて物語するを聞けば、
越後の国新潟というところの遊女なりし。
伊勢参宮するとて、此関までおのこの送りて、
あすは故郷にかへす文をしたためて、はかなき
言伝(ことづて)などしやる也。・・・・』
芭蕉は遊女たちの話を聞きながらいつしか
寝入ってしまうが、翌朝この遊女たちにここから
先の旅の同道を求められた。
しかし、芭蕉は『我々は所々にてとどまる方
おほし』という理由で断っている。
この後に芭蕉は、
『一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月』
という句を残している。
文学作品としての「おくのほそ道」のなかで、
最もあでやかな部分ともいえるだろう。
「海道の松」の先に、市振宿跡の町並みが
残っている。
建物はみな新しくなり、古い遺構なども見られ
ないが、何となく宿場の雰囲気が感じられる。
少し先の街道脇に桔梗屋跡の標識が立てられて
いた。
桔梗屋の説明板

桔梗屋


松と日本海に沈む夕日 絶妙!!




道の駅に到着

日本海の街道の夕景色を眺め入り、
越後市振の関・滑川という道の駅に宿す。
ぐっすり眠れ、海産物も購入。