陽炎と俤
令和3年3月5日
貞享二年(1688)、芭蕉45歳の句。
死の6年前の句。
丈六に
かげろふ高し
石の上
伊賀市のあった五宝山新大仏寺は、
東大寺の三分の一の大きさであった。
寛永十二年5月、山崩れのため
埋没する。
芭蕉が訪れて時には、掘り起こされた
石が堂の後ろに積み重ねられ、
大仏の首だけが安置されて
いたという。
壊れた石と首から
ゆらゆらと陽炎が上がって
いる姿を詠む。
初句は、
かげろふに
俤つくれ
石のうへ
陽炎の中に大仏の姿を、芭蕉は想像する。
「石のうへ」を「いしの上」と
仮名を取り替えてみたのが次の句。
かげろふや
俤つくれ
いしの上
「石」を「いし」に替えてみただけで、
陽炎のゆらゆら動く様が
形として絵になる。
面白い思いつきである。
しかし、何の俤か?
初句ともわからない。
やはり大仏の姿を思い描く必要がある。
丈六に
かげろふ高し
石の跡
「丈六」というのは、あらゆる仏像の
基本の大きさ。
それを入れれば、陽炎が大仏を示す
と理解されるであろう。
これで読み手にもわかる。
さあ、最終句となり得るか。
つづく。