貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

陽炎と俤

2021-03-03 16:57:44 | 日記

陽炎と俤

令和3年3月5日

  貞享二年(1688)、芭蕉45歳の句。

死の6年前の句。

 丈六に 

  かげろふ高し 

    石の上

   伊賀市のあった五宝山新大仏寺は、

東大寺の三分の一の大きさであった。

 寛永十二年5月、山崩れのため

埋没する。

 芭蕉が訪れて時には、掘り起こされた

石が堂の後ろに積み重ねられ、

大仏の首だけが安置されて

いたという。

 壊れた石と首から

ゆらゆらと陽炎が上がって

いる姿を詠む。
 
初句は、

  かげろふに 

  俤つくれ 

    石のうへ

  陽炎の中に大仏の姿を、芭蕉は想像する。

 「石のうへ」を「いしの上」と

仮名を取り替えてみたのが次の句。

 かげろふや 

  俤つくれ 

    いしの上

  「石」を「いし」に替えてみただけで、

陽炎のゆらゆら動く様が

形として絵になる。

 面白い思いつきである。

 しかし、何の俤か?

初句ともわからない。

 やはり大仏の姿を思い描く必要がある。
丈六に 

  かげろふ高し 

    石の跡

「丈六」というのは、あらゆる仏像の

基本の大きさ。

 それを入れれば、陽炎が大仏を示す

と理解されるであろう。

 これで読み手にもわかる。

 さあ、最終句となり得るか。

 つづく。

 


芭蕉の老いの自覚

2021-03-03 16:57:44 | 日記

芭蕉の老いの自覚

令和3年3月4日(木)

 初句の修正句は、

めでたき人の 

 かずにも入らン 

   老のくれ

 必死で生きる追い詰められた状況と

そのような生活を見せびらかす

ような心が潜む。

 芭蕉にも自分に対して矛盾する評価

がある。

 その二重性を言表するには、

ひらかなの茫洋とした「めでたき」

のほうが複雑な心根を表現している。

と、師匠は語る。

  「年のくれ」は平凡すぎるから、

「老いのくれ」に変えた方がと

何となくすわりがよい。

「老い」と「暮れ」とのハーモニー

もよい。響き合う感じ。

 これでよいか。

 芭蕉は満足しない。

「かずにも入ン」がやや不明瞭。

めでたき人の 

 数にもいらむ 

    老の暮れ

  「いらむ」で少し「えっ」という感じ。

 そこで、「入む」という平凡で

わかりやすい表現として、

納得の最終句となる。

めでたき人の 

 かずにも入(いら)む 

     老のくれ

 

 


芭蕉にも老い・・・自覚

2021-03-03 16:57:44 | 日記

芭蕉にも老い・・・自覚

令和3年3月3日(水)

 さんさんさんと光り輝く

雛祭りの日、孫に雛祭りの

成り立ちの曲を、ラインでおくる。

パパとお口パクパクして、歌い、

踊っている動画が返信される。

 サトウハチロー作詞とは知らな

かった。

 久しぶりに雛祭りを身近で

愉しんだ。

 さて、芭蕉の老いの句。

 初句は、

目出度人の 

 数にもいらん 

    年のくれ

   前書きは、

「もらふてくらひ、こふてくらひ

 飢寒わづかにのがれて」

とある。

 人にもらって食べ、どうにか

年の暮れを越えた。ほど良い格好

の良い生活ではないが、自得の境遇は、

全うしている。

   飢えと寒さを何とかのがれて生きて

いるのは楽ではないが、自ら選んだ

境遇。

 これは必死に自分を励ましている

句かな。

 しかし、「目出度」と漢字にした

ために、「めでたい」方へ落ち着く

感じ。

 切羽詰まって猶必死に生きている

気迫が表現されていない。

 「数」という漢字もはっきりし

すぎて面白くない。

 そして、作り直す。

めでたき人の 

 かずにも入らン 

   老のくれ

 これで、芭蕉はよしとするか?

 ノン!

さらにつづく。