貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

子規もほととぎす

2021-03-22 16:39:15 | 日記

子規もほととぎす

令和3年3月22日(月)

落くるや 

  たかく宿(しゆく)の 

     郭公(ほととぎす)

 前書に

「みちのく一見の桑門、同行二人、

那須の篠原を尋ねて、猶殺生石みんと

急侍るほどに、あめ降り出ければ、

先此処にとゞまり候」

とある。

 元禄二年作。

4月16日から二泊した庄屋宅での

挨拶吟。

 高久の宿だけに高い空から

時鳥の高い声が落ちてくることだ、

の意。

   普通は、「同行二人」というのは、

四国巡礼のように弘法大師と二人で

あるの意であるが、

此処では、曽良と二人で旅している

ということ。

 明日温泉の高久の里の殺生石を

見ようとして道を急ぐうちに、

天高く鳴いていたほととぎすが

急に落ちてくる気がしたと

いうのである。

 この鳥の高い声が高い天から落ちて

くるという出来事と、

殺生石の高久の里とをかけて、

死んだ鳥の落ちてくる様子の

三つを掛け持ちさせている。

  曇った日、雨の日に鳴く

ほととぎすの血を吐く声を、

「人生無常の象徴」にしている。

  梅雨時の雨の中で、

鳴いている鋭いほととぎすの声は、

いろいろな人に死期を知らせると

思わせる。

 芭蕉はこの一句に、人生の終末を表現

していたのだろうか。

 正岡子規の「子規」も「ほととぎす」。

結核で血を吐く自分に

「子規」という号をつけ、

「死期」の近い自分を表現していた

ことも、今回理解する。

 初句は、

 落来るや 

  高久の里の 

    ほとゝぎす

   これでもいいのでは?

しかし、高久の里という地名を出すと

場面が限定され狭くなる。 

 天が雨を降らし、ほととぎすの命も

雨とともに落ちてくるという、

「たかくの宿」という宇宙的なひろがりが

失われてしまうという感じもする。

 おそらく芭蕉はその狭隘さを嫌った

のであろう。

と師匠(?)は語る。

 奥が深い!