令和4年11月6日(日)
多賀城市: 寶 国 寺
末の松山の麓にあり、
「末松山」の山号を有す。
初めは隣障寺と称したが、
出羽国から当地に移り住んだ
天童頼澄の法名から寶国寺と改め、
天童氏の菩提寺となる。
本殿
『奥の細道』本文に、
「松のあひあひ皆墓はらにて、
はねをかはし枝をつらぬる契の末も、
終はかくのごときと、
悲しさも増りて、
塩がまの浦に入相のかねを聞。」
と綴られている。
建立句碑と歌枕の説明
曽良は、
「末の松山」について
「塩カマノ巳午ノ方三十丁斗。
八幡村ニ末松山寶国寺ト云寺ノ後也。
市川村ノ東廿町程也。
仙台ヨリ塩カマヘ行ハ右ノ方也。
多賀城ヨリ見ユル」
と、名勝備忘録に記している。
後に、
正岡子規や与謝野鉄幹なども訪れている。