令和4年11月23日(水)
石巻市: 住吉(大嶋)神社
通称は住吉神社。
通称は住吉神社。
鎮座地名も住吉町。
祭神も住吉神。
社前の川岸に、
「袖の渡り」
という名所がある。
北上川対岸への渡し船が出ていた場所で、
歌枕として有名らしく、
芭蕉も当地を訪れている。
河合曾良の旅日記に、
「帰りニ住吉ノ社参詣。
袖ノ渡リ、鳥居ノ前也。」
と記されている。
芭蕉は、『奥の細道』」の
「石巻」の項で、
「~ 終に路ふみたがえて、
「~ 終に路ふみたがえて、
石の巻という湊に出。・・・・。
思ひかけず斯かる所に来れる哉と、
宿からんとすれど、
更に宿かす人なし。
漸(ようよう)まどしき小家に
一夜をあかして、
明(あく)れば又しらぬ道
まよい行(ゆく)。
袖のわたり・尾ぶちの牧・
まのの萱はらなどよそめにみて、
遥かなる堤を行く。
・・以下省略」
と述べている。
大嶋神社には鐘楼がある。
大嶋神社には鐘楼がある。
神社に鐘楼?
これは、江戸時代に寿福寺という
お寺がこの境内にあり、
その名残だそう。
津波にも耐えた。
袖の渡しは、常緑の松に囲まれ東屋が
ある渡し場であったが、
津波で松も東屋も流され、
津波で松も東屋も流され、
枯れた松が残っていた。
道標には、石巻街道、金花山道、
一関街道となっている。
<石巻街道の説明>
説明板によると、
「石巻街道は、
仙台城下と石巻を結ぶ道で、
この街道から北部への道として、
涌谷・登米道、気仙道が分かれていた。
金花山道は、石巻から山鳥に至る道で、
金華山への参詣の道として利用された。
一関道は、
石巻から登米を経て一関に至り、
奥州街道と接続する道でした。」
とある。
<句碑もあり、石碑群>
さて、「袖の渡し」の先端の松の木の下、
川の中に「石の巻き石」が見える。
仙台藩が編纂した
封内風土記(ほうないふどき)には、
「古来伝えられた説によれば、
地元の人が(石巻石)と呼ぶ巨石が、
住吉社の前にあり、
形が烏帽子に見える。
その石の周りに水の渦が回って
自然の紋ができ、
物を巻いたように見えるところから
「石旋/イシノマキ」
と呼ばれるようになり、
そこから地名が生まれた――。」
そこから地名が生まれた――。」
という。
津波で枯れた松の横、
津波で枯れた松の横、
川の中に見える石が、
地名の由来となった巻き石。
今回は、数多い石碑の読み取りや
復興の実情に気をとられてしまった。