令和4年11月2日(水)
多賀城市: 多賀城址
以前来廳した時とは、
違う駐車場に停める。
管理事務所のある所だ。
多賀城祉は、前回訪れた時に、
丁寧に説明をして下さった
年配のボランティアの方が
印象に残っている処。
今回も出かけようとした時、
今回も出かけようとした時、
「パンフレットある?」
と気さくに声かけて下さる方、
やっぱり年配の男性だ。
有難し!
パンフレットを戴き、
有難し!
パンフレットを戴き、
ひとりで好きなように廻る。
前回よりも説明板や復元図など
整備され、わかりやすくなっている。
多賀城跡
後は、国が予算をつけて復元すること。
ロマンも近い!?
聞くと、
聞くと、
南門の復元は国の予算がつく予定だが、
県と市の予算化が難しいとのこと。
「特別史跡多賀城跡附寺跡」
という資料によると、
「多賀城は、奈良・平安の時代に、
陸 奥国の国府が置かれた所で、
奈良時代には鎮守府も併せ置かれた。
神亀元年(724)、
大野東人によって創建され、
11世紀の中頃に終焉を迎えるまで、
古代東北の生寺・文化・軍事の中心地
としての役割を果たす。
規模は、約900m四方で、
規模は、約900m四方で、
周囲は築地塀で囲まれ、
南・東・西に門が開いている。
南門跡と復元図
ほぼ中央には、
儀式などを行う政庁があり、
第Ⅰ期から第Ⅳ期まで4時期の変遷が
あることが分かっている。
さらに、城内の城前・作貫・大畑
・六月坂・金堀・五万崎の各地区には、
実務を行う役所や公房、
兵士の宿舎などが置かれていた。」
と記されている。
石碑群
~つづく。