貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

磐田市: 医王寺薬師堂 百八名の集団疎開も五位の聲!

2023-09-02 14:12:25 | 日記
令和5年9月2日(土)
 磐田市: 医王寺薬師堂   
<歴史と自然を大いに感じ参拝>
   
 周りが区画整理・道路整備のため、
やっと拝顔! 
 桜と紅葉と緑と岩がいっぱい!
 天平6〜20年(734~748)、
聖武天皇の勅命を奉じて、
行基菩薩が当地を訪れ、
この地に薬師如来の霊験ありとする。
 山内の名木で薬師如来の尊像を
一刃三礼のもとに敬刻、
ご本尊として祀ったのが始まり。
<本殿>

 行基菩薩が開基と仰がれている。
 平安時代の弘仁年間(810~822)、
嵯峨天皇の篤い帰依を受け、
七堂伽藍が整い、
真言密教の根本道場となる。     
 その当時の山容は、
広大な境内に、
本堂、金堂、講堂、五重塔、
三重塔、鐘楼堂、仁王門、
三十六ヶ坊の末寺等配置。
 戦国時代の元亀3年(1572)、
武田信玄勢の兵火にかかり、
寺塔悉く灰燼と化す。
 天正12年(1584)、
徳川家康自ら浄財を出して
その再興を援助するが、
旧観に復帰させること叶わず。
 慶長9年(1604)、
再び失火による火災に見舞われる。
 しかし、徳川幕府の御寄進を受け、
医王寺は復興。 

 寛永12年(1635)、
三代将軍家光は、
祖父家康のかつて与えた「黒印」を
改めて、石高百三十五石(135石)
の「朱印」を与える。
 おかげで
代々百三十五石を領し隆盛を期すことに。
 医王寺に「大名駕籠」を
現存していることからも分かる。
 昭和19年(1944)、
第二次世界大戦本土空襲の激化のため、
帝都疎開命令が出され、
東京の国民学校初等科児童が
次々と集団疎開。
医王寺では、児童108名を受け入れる。
<芭蕉句碑>

 芭蕉句碑の句は、  
「いなつまや 
  闇のかたゆく 
    五位の聲」 。 
 「五位」とは、ゴイサギのこと。