貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

岡崎市: 西 光 寺古戦場「井田野」と岡崎市内最古の芭蕉句碑夏草塚!

2023-09-27 10:49:17 | 日記
令和5年9月27日(水)
岡崎市: 西 光 寺                
 西光寺は、
開創以来500年以上の
歴史を持つ真宗大谷派の寺。
 応仁2年(1468)、
本願寺8代蓮如上人が
三河に滞在、布教する。
 その折、
針崎の勝(しよう)鬘(まん)寺は、
真宗高田派から本願寺派に転派。
<本殿>

 その後、信心深い勝鬘寺門徒某に
蓮如上人筆と伝えられる「名号」が、
勝鬘寺を通して下付される。
「名号」を授けられた門徒某は
井ノ口村に一宇を建て、
井ノ口道場を開き、布教に努める。
 50年後の文亀3年(1503)、
井ノ口道場の地に西光寺が創建される。
 その後、三河一揆等により廃寺。
 後にまた再開という戦国時代の荒波
を受けている。
 「井田野古戦場」の説明板に
明記されている。
<古戦場の説明>

 1467年松平4代親忠と、
寺辺、伊保、八草、挙母、上野の土豪軍が、
この辺りで激しい戦いをする。
 勝った親忠は、
戦死者を敵味方の区別なく葬って
塚を築く。
 それが「千人塚」。   
 また、家康が桶狭間の戦い後、
大樹寺に逃げ込んだ際、
追手の織田方と戦って倒れた
多くの僧を葬った「大衆塚」もある。
 井田野は、その後3度も激しい戦場
となっている。
<夏草塚>

「夏草や 
  兵どもが 
   ゆめの跡」
という句が、
句碑に刻まれている。
<芭蕉句碑>

 この句は、
芭蕉が元禄2年(1689) 、
平泉で夏草の茂る中に、
戦いに消えた兵士を偲んで
作ったもの。

 ここ、井田野も、
また、戦国時代多くの兵士が
戦った古戦場である。
 寛保3年(1743)10月芭
蕉が亡くなって50回忌に、
菊里亭座明を中心とする当時の
岡崎連中が、この地に相応しい
「夏草の句碑」
を建立。
 その時『ゆめのあと』
という句集1巻を残している。
<芭蕉句碑の説明>

 この「夏草塚」は
、岡崎市内の芭蕉句碑8基中、
最古のもの。